おぞましい敵
膠着状態が少しばかり続いた。
痺れを切らし、ヴァンが叫んだ。
「来るなら来い! 来ないなら、こちらから行く!」
今にも走り出そうとした、その時だった。
「人間風情が・・・」
低くぞっとするような、おおよそ人間では有り得ないような声が響いた。
「へえ、人語を喋るのか。頭が良いな。」
「食い尽くしてやる。」
がさ、と茂みが揺れた。
そこから、ぬっと巨大な獅子の足が見えた。
辺りに緊張が走る。かちゃ、とロアが弓を構えた。
茂みからのそりと出てきたのは、奇怪な魔獣であった。
体は獅子の姿をしているが、顔と耳は人間の形をしており、背にはこうもりのような羽がついている。特に歪なのが尾で、まるで蠍のように先端が鉤状に曲がっていた。
建物の中から恐れるように悲鳴が聞こえた。
「ふうん、マンティコアか。」
さもなんでもないかのように、ヴァンはじっと魔獣を見つめた。
「お気をつけください、ヴァン様。マンティコアの尾は蠍の五十倍の毒を持ち、遠くまで飛ばすことも可能です。」
「へっ。誰に言ってんだよ、ロア。」
むう、とまた口を尖らせた。
「ご忠告したまででございますっ。」
「はいはい、お前も気をつけろよ。」
マンティコアに倣うように、茂みの奥からぞろぞろと魔獣が現れた。真っ黒な犬のような魔物だが、人間よりでかいかなりの大型である。
「ヘルハウンドどもですね。強靭な顎に注意です。」
「おし、サポート頼む。行くぜっ!」
それが合図のように、黒犬の魔物がいっせいに飛び掛ってきた。
にやりと笑みを浮かべたまま、ヴァンは黒犬の一匹に狙いをつけた。
六匹の驚くほど太くて鋭い爪をひらりと避けると、真ん中にいた黒犬の腹部にふかぶかと左の剣を突き刺した。
痛みに咆哮を上げながら、なおヴァンを食いちぎろうとする。その前に出てきた首を、右の剣でやすやすと刎ねた。
どう見てもヴァンの細い腕では持ち上げることも不可能に見える大きく太い首が、胴体を離れてごろりと地面に転がった。
瞬時に左の剣を胴体から引き抜くと、続けざまに横にいた黒犬のわき腹に突き刺した。
恐ろしい唸り声を上げて黒犬が痛みに悶えた。それにも動じず、左の剣の上に右の剣を突き刺した。
「ファイアカクテル! ショット!」
その声と共に、ヴァンの背後を狙って飛び掛った黒犬が一瞬のうちに炎上した。
振り返らず、にやりとヴァンは笑う。
「ナイスサポート、だな。」
そう言うと同時に、双剣に力を込めて左右に引き裂く。耳を劈くような声をあげ、絶命した。
「あと三匹ィ!」
楽しそうに、ヴァンは横から飛び掛ってきた黒犬の額に剣を向けた。ずぶりと嫌な音がして、黒犬がだらりと垂れ下がった。
難なく剣を引き抜く。
その直後、前後挟み撃ちにするように黒犬が飛び掛った。
「ライトニング・ボルト! ショット!」
ヴァンが前方の黒犬の頭を跳ね飛ばした瞬間、後ろの黒犬に巨大な雷が落ちた。飛び掛った格好のまま、黒焦げになった黒犬はどさりと地に落ちた。
あっという間に、巨大な黒犬を全滅させてしまった。
「後は、お前だけだな。」
血で濡れた左の剣を、マンティコアに向けた。
「おのれ・・・人間どもめ・・・!」
マンティコアは獣の唸り声を上げた。びりびりと建物が震える。
「ロア。俺にやらせろ。」
すでに弓を引いていたロアが、首を振った。
「油断なさいますな、ヴァン様。」
「大丈夫。お前は毒が飛んでこないように気をつけてな。俺が仕留める。」
ヴァンは楽しそうに双剣を構えた。
「さあ、来いよ。マンティコア。」
「愚か者め。ここで食われるが良い!」
先ほどの黒犬とはまったく比較にならないほどの速さで飛び掛ってきた。
鋭い爪をまたひらりと避ける。だが、攻撃はそこで終わらなかった。
鉤状の尾が、ヴァンの死角から襲い掛かってきた。
「おっとぉ。危ね。」
動きが読めたのか、ヴァンの頭を尾が掠めていった。
その間にマンティコアは向きを変え、またヴァン目掛けて飛んできた。
双剣を交差するように構え、凶暴な爪を受け止めた。
ヴァンが後ろに跳ぼうとした瞬間、はっとして足元を見た。
足に、マンティコアの尾が巻きついていた。
「あ、やべっ。」
鉤の先端がヴァンの足に向かって延びた。
慌てて尾を切り落とす。そこから紫色の液体がどろりと流れ出した。
「ヴァン様!」
はっとして双剣を構えなおした、はずだった。
左に構えた剣が、爪によって弾かれた。
「食いちぎってくれる!」
剣を失った左腕に、マンティコアの巨大な牙が噛み付いた。
「―っ!」
ぎち、みし、と嫌な音がしている。
「ヴァン様ァ!」
ロアは弓を構え、魔力を矢に注ぎ込んだ。
「いい、ロア!」
ぎちぎちと音を立てる左腕とマンティコアを見ながらロアを制止した。
「このまま、腕をちぎってくれよう・・・」
腕を咥えながらマンティコアは笑った。
さらに強く力が加えられる。みちみち、と音がした。
「ってぇな。この、猫野郎っ。」
汗を流しながらヴァンが苦く笑った。
「食いちぎれるなら、やってみな。」
「言われなくても、やってやるわ。小僧っ!」
ぶちぶちぶち、と気持ち悪い音が、辺りに響いた。