第11話 二つの注文
月曜日の午後。喫茶シリウスに、二人の客が入ってきた。
一人は六十代くらいの男性、もう一人も同じくらいの女性。二人は入口で軽く会釈を交わすと、別々の席に座った。
男性は窓際の席。女性は奥の席。
「いらっしゃいませ」
明穂が二人に水を運ぶ。
男性はメニューを見ずに言った。
「カフェオレを」
女性も、メニューを見ずに。
「アメリカンを」
「かしこまりました」
明穂がカウンターに戻ると、京馬は既にコーヒーを淹れ始めていた。
「京馬さん、あの二人」
「どうした」
「知り合いなんですか?」
「さあな」
京馬は淡々と答えた。
「でも、毎週月曜日、同じ時間に来る」
「え、毎週?」
「ああ。二ヶ月前から」
京馬はカップにコーヒーを注いだ。
「必ず二人一緒に来るが、別々の席に座る。男性はカフェオレ、女性はアメリカン。必ずそうだ」
「不思議ですね」
「そうだな」
京馬は二つのコーヒーを盆に載せた。
「運んでくれ」
「はい」
明穂はコーヒーを運んだ。まず男性の席へ。
「お待たせしました」
「ありがとう」
男性は穏やかに微笑んだ。
次に女性の席へ。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
女性も同じように微笑んだ。
明穂がカウンターに戻ると、二人は静かにコーヒーを飲み始めていた。男性は窓の外を眺め、女性は持参した文庫本を読んでいる。
「二人とも、話さないんですか?」
「ああ」
「知り合いなのに?」
「知り合いかどうかは、わからない」
京馬はカウンターを拭きながら言った。
「ただ、同じ時間に来て、同じものを頼む。それだけだ」
「でも、入口で会釈してましたよ」
「それは見た」
「じゃあ、知り合いですよね」
「かもしれないし、ただの社交辞令かもしれない」
明穂は二人を横目で見た。男性は相変わらず窓の外を眺めている。女性も本を読んでいる。二人の間には、何の会話もない。
三十分ほどして、男性が席を立った。
「ごちそうさま」
「ありがとうございました」
男性はレジで会計を済ませて、店を出ていった。
それから五分後、女性も席を立った。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
女性も会計を済ませて、店を出ていった。
明穂は首を傾げた。
「やっぱり不思議ですね」
「何がだ」
「だって、二人とも同じ時間に来るのに、話さないなんて」
「人それぞれだ」
京馬は淡々と答えた。
「でも、気になりません?」
「……まあな」
京馬は少し考え込むような表情をした。
「二ヶ月間、一度も注文を変えていない。男性はカフェオレ、女性はアメリカン。必ず」
「何か理由があるんでしょうか」
「さあな」
それから一週間後。また月曜日の午後。
ドアベルが鳴って、あの二人が入ってきた。いつものように会釈を交わし、別々の席に座る。
男性は窓際。女性は奥。
明穂が水を運ぶ。
男性が口を開いた。
「アメリカンを」
明穂は少し驚いた。いつもと違う。
女性も注文する。
「カフェオレを」
明穂は思わず聞き返した。
「カフェオレ、ですか?」
「ええ」
女性は微笑んだ。
明穂はカウンターに戻った。
「京馬さん、大変です!」
「何だ」
「二人とも、注文が逆になってます!」
「……何?」
京馬は顔を上げた。
「男性がアメリカン、女性がカフェオレです」
京馬は二人を見た。男性は窓の外を眺めている。女性は文庫本を読んでいる。いつもと変わらない様子だ。
「……そうか」
京馬は静かにコーヒーを淹れ始めた。
「京馬さん、何か意味があるんでしょうか」
「わからない。だが、二ヶ月間同じ注文を続けてきた二人が、突然変えた。何かあったのかもしれない」
「何かって?」
「さあな」
京馬はコーヒーを盆に載せた。
「今回は俺が運ぶ」
京馬はまず男性の席に向かった。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
男性はコーヒーを受け取って、一口飲んだ。
京馬は少し間を置いてから、尋ねた。
「いつもと違う注文ですね」
「ええ」
男性は穏やかに微笑んだ。
「たまには、違うものもいいかなと思って」
「そうですか」
京馬は頷いて、次に女性の席へ向かった。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」
女性もコーヒーを受け取って、一口飲んだ。
「いつもと違う注文ですね」
京馬が同じ質問をすると、女性は少し考えてから答えた。
「ええ。今日は、少し気分を変えてみようと思って」
「そうですか」
京馬は静かにカウンターに戻った。
明穂が小声で尋ねた。
「何かわかりましたか?」
「いや」
京馬は首を横に振った。
「ただ、二人とも同じことを言っていた」
「同じこと?」
「『たまには違うものを』『気分を変えて』。似たような理由だ」
「偶然ですかね」
「……わからない」
京馬は二人を観察した。男性は、窓の外を眺めている。女性は、本を読んでいる。
いつもと変わらない光景。ただ、注文だけが逆になっている。
四十分後、男性はレジに向かった。
「ごちそうさま」
「ありがとうございました」
京馬が会計をしていると、男性が小さく呟いた。
「今日で、最後かもしれません」
「え?」
「また来られたら、来ます」
男性はそれだけ言って、店を出ていった。
五分後、女性も席を立った。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました」
女性も会計を済ませようとして、ふと言った。
「あの男性、もう帰られましたか?」
「はい」
「そうですか……」
女性は少し寂しそうな顔をした。
「実は、あの方とは、昔の知り合いなんです」
「そうだったんですか」
「ええ。でも、色々あって、今は話すことができなくて」
女性は小さく笑った。
「だから、せめて同じ時間に、同じ場所にいるだけで、少しだけ繋がっている気がしていたんです」
京馬は静かに頷いた。
「今日、注文を変えたのは?」
女性は少し照れくさそうに言った。
「あの人が、私の好きだったカフェオレを毎週頼んでいるから、私は彼の好きだったアメリカンを頼んでいたんです」
「逆だったんですね」
「はい。でも、そろそろいいかなって」
「そろそろ?」
「ええ」
女性は微笑んだ。
「もう過去にとらわれるのはやめよう。それぞれ、自分の道を歩もうって」
京馬は少し間を置いた。
「それで、お二人とも今日が最後かもしれないと」
女性は頷いた。
「もう、十分です。二ヶ月間、同じ時間を共有できました。それだけで、私は満足です」
女性は会計を済ませて、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。素敵な時間でした」
女性は店を出ていった。
明穂がカウンターから出てきた。
「京馬さん……今の」
「ああ」
京馬は窓の外を見た。
「お互いの好きだった飲み物を注文することで、相手を想っていた」
明穂は目に涙を浮かべた。
「切ないですね……」
「今日で区切りをつけた」
京馬は静かに言った。
「それぞれの道を歩むために」
「また来てくれますかね」
「わからない」
京馬は二人が座っていた席を見た。
「でも、それでいいんだろう」
明穂は涙を拭いた。
「京馬さん、私たちにできることは?」
「何もない」
京馬は淡々と答えた。
「ただ、二人がここで過ごした時間を、大切に覚えておくだけだ」
「はい」
明穂は頷いた。
それから一週間後、月曜日の午後。
あの二人は、もう来なかった。
でも、京馬は時々、あの二人が座っていた席を見る。
そこには、小さな物語があった。
二つの注文が語る、静かな別れの物語。
添削雑気が向いたら読み返します変なとこあったらおしえて




