第55話
続く第八ゲーム。からくり屋敷の仕掛けに引っ掛かり、階段を転がり落ちた結月はその場で踞りながら小さく呻く。
「またやり直しかぁ……」
今歩いている廊下ですらもう何度通ったか分からない。何ならずっと同じ景色が続いているような気もする。
『結月さんはもう少し、自分の心に従っていいと思います』
行き詰まれば行き詰まるほど頭の中でフラッシュバックする紗蘭の言葉。
『私には、一緒にいてあげたいって聞こえましたよ?』
その選択肢を簡単には選べないから困っているというのに。
「あぁ、もぉぉ……!」
一体どうしろと言うのか。今まで人付き合いで頭を悩ませた経験などない結月は廊下の片隅で奇声を上げる。と、背後からどこかで聞いたような声がした。
「もしかして、結月かい?」
「え? あ、えっと、楓華、だっけ」
「久しぶりだね。お互い死なずに会えて何よりだ」
第一ゲームで知り合ったプレイヤー、楓華が結月と視線を合わせて笑う。
「行き詰まってる感じかな?」
「はは……まぁ色々ね」
「ふーん、私でよければ話、聞くよ?」
楓華は結月の隣に並び、肘で軽く結月の脇腹を小突いた。結月は躱すこともせずにポツリと溢す。
「人間関係で、悩み中」
「なるほど。友人でも手にかけたのかな? それとも不可抗力で?」
「多分、不可抗力。自殺、しちゃって」
流石はベテランプレイヤー。素人の悩みなど話を聞く前から見当がつくらしい。それとも結月がわかりやすいだけなのだろうか。
「そういう子も多いよね。ゲームで死ななくても精神的に耐えられないのさ。このおかしな環境に適応できない。それはもう、才能の問題だよ」
「死なせたくない子が、いるんだ。私より経験の浅い子で、でも力になってあげたい」
「なら、なってあげればいい。知らぬ間に死んでいて後悔するよりいいんじゃないかな」
「そんな簡単に……」
「簡単さ。結月は何でも深く考えすぎなんだよ。ほら、早く行ってあげな」
そして、突き飛ばされた。
「え……?」
俯いていたせいで前を全く見ていなかった結月を嘲笑うかのように、一歩踏み出した床が嫌な音を立てて抜ける。慌てて背後に飛び退こうとしたものの間に合うはずがない。一瞬身体が宙に浮き、無慈悲にも次の瞬間には落下が始まる。
(あれ、私、もしかしてはめられた……?)
スローモーションで流れ行く景色。
(まぁ、でも別に、ここで死んだって……)
死んだって、いいではないか。そうすればこれ以上面倒なことに振り回されず済む。端から生きたいなんて思ってはいないのだから。いつ死んでもいいと思って生きてきたのだから。だが。
だが、それは逃げになりはしないだろうか。あったかもしれない生存ルートを無視して諦めるなど。
全力でやって、その結果無理だったなら仕方がない。
(……いや、違うな)
結月はまだ足掻いていないのだ。ここに来た当初の目的を完全に見失ってしまっていた。
『本気になれることを見つけたい』
最初から諦観して、自分を卑下して、何もかも途中で放り出す。そんな人間に情熱など宿るはずもない。
(私、まだ死ねないんだ)
閉じていた瞳を開く。どれだけ落ち続けているのかは分からないが、頭を打てばまず間違いなく助からないだろう。何としてでも足から着地しなくてはならない。即死判定さえ免れられればどうにかなる。否、してみせる。
身体が回転しないように重心を制御し着地の衝撃に備えた。
「……っ」
上がる心拍数。浅くなる呼吸。強ばる身体から無理矢理に力を抜き、靴裏が地面を捉える。だが結月の予想とは裏腹に固い感触も、痺れる痛みも襲ってはこなかった。代わりに足が深く沈み込みバランスを崩した結月の全身を柔らかく包む。
そして。
『ゲームクリア、おめでとうございます。これより、現実世界への転送を行います。お疲れさまでした』
スピーカー越しにクリアを告げられた。
「え?」
状況を上手く理解できず、結月は呆けた声を上げる。
「こんな脱出路あり? 本気で死ぬかと思ったんだけど……」
「あはは、私に裏切られたとでも思ったかい?」
「ひどいよ、楓華……」
「まぁまぁ、いい顔になったじゃないか。その調子で頑張りな」
楓華の転送が終わると結月の視界を白い光が埋め尽くす。余韻に浸る暇もなく意識を刈り取られ、次に結月が目を覚ましたのは自室のベッドの上だった。案内役が黙々と後処理をこなす背中を無言で見つめてから、携帯端末を手に取る。
「どうやら道は定まったようですね。結月様」
「うん。まだ迷ってはいるけど、でも紗蘭の言う通り自分の気持ちに素直になってみようと思う」
珍しく声をかけられた結月は端末を操作しながら頷いた。そもそも初めから悩む必要などなかったのだ。結月は結月のやりたいようにやればいいだけの話だった。鳴り響くコール音。わずかな間を置いて届く控えめな声。
「はい、莉乃です……」
「もしもし、結月です。待たせちゃって、ごめんね」




