6.権能
アカリの要求は、予想外のものだった。
「はぁぁ? アカリをダンジョンに連れて行けと?」
「ああそうだ」
「いや、そりゃダメだ」
ズブの素人をダンジョンに連れていくだって? そんなの無理に決まってる。
「断るのか? であればその魔剣は渡せん。さっさと妾に返すが良い」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれよ! そもそもアカリはダンジョン内で倒れてたんだぞ? 俺が見つけなかったら死んでいたかもしれないんだ。そんな危険な場所に貴族のお嬢様を連れて行けるわけがないだろうが」
「大丈夫だ、エネミーが妾を襲うことはない」
「なんでそんなに自信満々に断言できるんだよ! まったく、その自信はどこから来るんだか……ダンジョンで気絶してたやつのいうセリフじゃないだろ。おとなしく留守番していてくれよ、俺一人で行ってくるからさ」
「妾は、リレオンより強いぞ?」
「はい?」
こいつの発言には何度驚かせられることか……。
「アカリが、俺より強い? そんなことがある訳ないだろう」
俺がどうやったらこのガリガリのお嬢様に負けるんだか。
「信じられないなら試してみるか?」
「試すって、どうやって──」
「なぁに、たいしたことではない。ほぉれ」
アカリが無造作に右手を前に出すと、掌を──まるで何かを掴む顎のように構える。
「──《異界の無限顎》」
突如──俺の目の前の空間が裂け、巨大な口が牙を剥いた。
「は!?」
訳がわからない、意味がわからない。
理解する前に開かれた口が俺に襲いかかる。
「ひっ!?」
──〝死″。
問答無用に命を刈り取られると確信した瞬間──俺を喰らうはずの巨大な口は、溶けるように消え去った。
「どうだ、分かったであろう? リレオンでは妾に敵わないと」
「な……なんだ今のは……」
幻だったのか?
いやあれは間違いなく俺の命を奪うものだった。単にアカリが直前で魔法を解除しただけだろう。
魔法? そもそもあれは魔法だったのか?
俺の知る魔法は──火の玉を飛ばしたり魔力の矢を放ったりするシンプルで分かりやすいものであり、今みたいに意味不明で恐ろしげなもの見たことも聞いたことも無い。
アカリは……とんでもなく強いのか?
「もしかしてアカリは凄い魔法使いなのか?」
「凄いことは確かだが、妾が行使するのは魔法などという下等なものではない」
「はぁ……じゃあ魔法の上位的な、それこそ奥義みたいなものか?」
「違うな。強いて言うなら──【権能】。妾の本当の〝口″を見せただけだ」
「本当の口!?」
可愛いお口で何を言うのかね、この子は。
相変わらずデタラメな理由ばかりなのは、やはり本当のことを俺に言うつもりがないのだろう。
ただアカリがかなり強力な術、いや【権能】とやらを使う魔法使いであることは事実のようだ。ダンジョン中でぶっ倒れていたとはいえ、一人で潜っていたのも頷ける。
「まぁ……アカリが強いってのはなんとなく分かったよ。だけどやっぱりダンジョンには連れていけない。なぜなら──さっきも言った通り、魔剣持ちか《魔装》の魔法を使えることが上位ダンジョンへの入宮条件だからだ。いくら強力な魔法を使えたとしても、魔剣を持っていなかったら──」
「なんだ、その程度のことか。だったらこれでいいのか?」
無造作に前に出されたアカリの手には、いつのまにやら短剣が握られている。
奇術師かよ。ってかアカリが持つこの短剣は──。
「おいおい、もしかして……それも魔剣なのか」
こいつ一体何本の魔剣を持ってるんだ?
いやそれ以前に──。
「アカリ。さっきから気になってたんだが、どこから魔剣を取り出してるんだ?」
剣なんか持ってたらすぐに気づく。身体確認はしてないが、間違いなくこいつは武器の一つも持ってなかった。
なのに一体どこから剣を取り出しているのか──。
「ああ、ここに格納してる──《異界の収納》」
アカリの右手が、空間にできた穴に吸い込まれて消える。
……って、消えた!?
「はっ!? えっ!? ど、どうなってるんだ?」
「妾のものが収まっている収納場所だ」
「それは……魔法か?」
「だから何度も言っておるであろう、魔法などという下等なものではないと。これは妾の持つ【権能】だ」
ふむ……【権能】か。貴族の間だけに伝わる上位魔法みたいなものなのだろうか。荷物を持ち運ばなくて済むのは便利だな。
「さあリレオン、これで条件は満たしたのであろう? であれば、妾をさっさとダンジョンに連れて行くがいい」
色々と驚かされはしたが、確かにアカリの言う通りだ。
アカリは二本の魔剣を用意した。これでもう止める理由は無い。
無いのだが── 成人になったばかりの〝か細い女の子″をダンジョンに連れて行くのは、いくらアカリが強力な魔法使い、いや【権能】使いだとしてもさすがに気が引ける。
でも俺は──魔剣が欲しい。
どうしても欲しい。
俺はどうすればいいのか──。
「どうした? 何を悩んでいる、リレオン」
……いや、悩むことなんてない。
守ればいいのだ。
俺が、アカリのことを。
無意識のうちに捨てていた選択肢。
昨日バーパスの手で送り込まれた少年を断った理由。
俺は、他人を守れない。守ることができない。
いやできなかったのだ。
そんな俺に、今更無責任に〝守る″なんて言うことができるのか。前に進む権利があるのか──。
「なんだ、いつまでウジウジ考えているのだ? お前は存外つまらないやつなのだな。ずっと望んでいたのであろう? であればなぜさっさと手を出さない」
「くっ……」
言ってくれるぜ。だけどそのとおりだ。
ウジウジ悩んでても仕方ない。
そもそも──俺がアカリを守ることができれば、なんの問題もないのだ。
あのときの過ちを、二度と繰り返さなければいいだけなのだ。
──もしかしたら、これは俺の人生の転機かもしれない。
単に魔剣が手に入って上位ダンジョンに挑む、なんて簡単な話じゃない。
俺自身が過去に向き合い、今までの泥沼のような停滞から抜け出し、前に踏み出すための転機。
だとしたら、俺は──。
「……わかったよアカリ。お前のことをダンジョンに連れて行こう」
ようやく捻り出した答えを受け、アカリは輝くような笑顔を浮かべた。
「おお、ようやく決心したか。日が暮れるかと思ったぞ」
「くっ、すまなかったな優柔不断で。だけどアカリ、今すぐは無理だ。今のままじゃ連れていけない」
「なんだ、まだ他の条件があるのか。ダンジョンに入るのは随分と面倒なのだな」
「いや、条件じゃないが……さすがにその格好じゃ連れていけないな」
なにせ今のアカリは、俺のシャツを着てるだけなのだ。ちょっと目のやり場にも困る。
「ああなるほどそういうことか。確かにこの格好では色々と動くのに不都合がありそうだな。妾は理解したぞ」
「理解してくれてありがとよ。それじゃあまずは服を買おうかね、ダンジョンはそれからだ。ちなみに服はその【権能】とやらで持ってないのか?」
「服は持っておらんな」
どうせ家出するなら、魔剣じゃなくて着替えを持ってこいよ。
「魔剣のほかには何が入ってるんだ?」
「いろいろ入ってるな。出すとこの部屋が潰れるが?」
「いや、やめてくれ」
もしかしてアカリ、実家から他にも魔法道具なんかをパクってるんじゃないか。なんか怖いからこれ以上聞くのはやめておこう。
「リレオン、さっさと服を買いに行こうではないか。この服は胸の部分が擦れて少し痛いのだ。その問題も解決したい」
「くぅーーっ、頼むから下着も買ってくれ」
このままじゃ俺の理性がマジで死んでしまう。




