4.朝のコーヒー
目を覚ますと、床で寝ていた。
ベッドを見ると、金髪の貴族令嬢──アカリが眠っている。
ああそうか、昨日こいつを拾って来たのか。
「変わった子だったな」
訳ありとは思っていたが、まさか自分のことを『ダンジョン』などと言う娘だとは思わなかった。
頑なに素性を明かそうともしない。アカリを救ったお礼を親から貰う俺の目論見は、簡単には実現しなさそうだ。
「まいったね、このままだと大損だ」
でも可愛い子の寝顔を見れただけでプラスなのかもな。
洗面所で魔石を回して水を出し、上半身裸になって体を濡れたタオルで拭く。
胸に斜めに走る古傷……過去の俺の消えることない失敗の痕。ふん、もう見慣れたもんだ。
そのまま歯を磨き、最後に顔を洗う。
鏡に映る、ボサボサの長髪にヒゲが生えた不審人物。
「さすがにこのツラじゃあ警戒されるわな」
よくアカリは怖がらなかったものだ。
いつか彼女の実家からお礼を貰うにしても、このままでは山賊か何かと間違われてしまう。
──そういえばバーパスのやつは、ずいぶんと小綺麗になっていた。せめてあれに近づく努力くらいはしないと。
「剃るか」
その辺に置いてあった紐を使って髪を後ろで束ねると、切れ味の悪いナイフを手に取り、石鹸をつけてヒゲを剃る。
久しぶりに顕になった素顔。うん、さっぱりした。
「リレオン、お主は何をしているのだ?」
「おわっ!?」
びっくりした、急に後ろから声をかけてくるなよ。
「起こしちまったか? おはよう、アカリ」
誰かにおはようなんて言うのは久しぶりだ。
「ふむ、朝の挨拶はおはようと言うのか」
おいおい、お嬢様はそんなことも知らないのかよ。
「リレオン、昨日までとずいぶん顔が変わったな。まるで別人のようだぞ」
「顔? ああ、ヒゲ剃ったからな」
「ほう、ではそちらのタオルは何に使っていたのだ?」
「ああ、体を拭いてたんだよ。昨日ダンジョンに潜ったあと風呂も入ってなかったからな」
「風呂?」
首を傾げるアカリ。貴族のお嬢様なのに風呂も知らないのかよ。
「興味深いな、妾もやりたい」
「はい? やりたいって、体を拭きたいんですかい?」
「うむ」
まぁ女の子だもんな。体がベトベトして気持ち悪いのかもしれない。
「あいにくとお湯は出ないから水でいいか? どうしてもお湯がいいなら火の魔石で沸かすが」
「いや、リレオンと同じで良い」
「じゃあこうやってタオルを濡らして、水をギュッと絞ってから拭くんだぞ?」
だがアカリはタオルを受け取らずに、なにやらモゴモゴと動いている。
「どうしたんだ?」
「服が脱げん」
いや、俺が目の前に居るのに脱ごうとするなよ。
何だよその訴えかけるような目は。もしかして俺に手伝えっていうのか?
「俺は男だぞ?」
「知っているが、そんなことがなにか関係あるのか? ……ああ分かったぞ、リレオンは妾に欲情しようとしているのだな」
「なっ!? ち、違うわ!」
俺はお前みたいなガリガリのガキに欲情なんぞせんわ!
「なら問題ないではないか。そもそも服を脱がないと拭くこともできん。さっさと手伝うのだ」
「あーあ、もう知らねーぞ」
俺、女の子の服なんか脱がしたことないんだけど……。
「この胸を締め付けるもの、どうやって解くのだ?」
「知らねーよ! って、後ろに紐で括られてるな。これコルセットかよ、こんなもん人の手を借りなきゃ脱げないだろ。なんでこんなもん着せるんだよ……」
無心だ、無心。邪念を抱くな。
紐が解け、一気にコルセットが緩む。
「ふーっ、人生で一番疲れた作業だったぜ……」
「取れたな。ふむ、ずいぶんもすっきりしたぞ。人はなぜこのような無駄にきついものを身につけるのだ?」
そんなの俺が聞きたいよ。
「まあ良い。リレオン、よくやったぞ」
服を脱がして礼を言われたのは初めてだよ。
「そういうときはせめて『ありがとう』って言って欲しいもんだぜ」
「……リレオン、ありがとう」
不意打ちのように放たれた素直なお礼の言葉が、俺の心に刺さる。
人に感謝されるのなんて、どれくらいぶりだろうか。
ずいぶんと長い間、俺は人とろくに接点のない日々を送っていたことに気付く。
だけどアカリ、頼む。上半身裸の状態でこっちを向こうとしないでくれ。
「どういたしまして、だ。タオルと水はここに置いておくから、あとは自分で体を拭けよ」
「リレオンはどうするんだ?」
「あー、さすがにこの状況は目に毒なんで朝飯でも買ってくるわ」
「目に毒?」
「未婚のお嬢様の裸を見るわけにはいかんからな。拭き終わったらこの服でも着といてくれ」
俺は持ちうる服の中で一番綺麗なシャツを取り出すと、なるべくアカリの方を見ないようにしながら放り投げる。
「リレオン、ありがとう」
「あーもうお礼はいいから、早く拭いて着替えてくれよ。じゃあまたあとで」
独身生活が長いおっさんの目にはマジで毒なんだよ。
◆
「ったく、参ったな……」
時間潰しに近所のパン屋に行ったら、「あんた見慣れない顔だねぇ」なんて言われてしまった。そういやヒゲを全部剃ったのは10年ぶりくらいだもんな。
だからと言って「リレオン、あんたそんなイケメンだったんだねぇ」なんて言われるのは勘弁願いたい。
まったく、アカリを拾ってから慣れないことばかりやってる気がするよ。
「ただいま、アカリお嬢様」
声をかけてみて、ただいまなんて言ったのも酷く久しぶりであることを思い出す。
まったく、しみじみ慣れないことをするもんじゃない。
「リレオン、こういう時はなんて言えばいいのだ?」
「『おかえり』じゃないかな」
「──リレオン、おかえり」
ありがたいことにアカリの着替えは無事終わっていたようだ。
さすがに俺が貸した服はブカブカだ。でも今更ドレスなんて着れないから仕方ないよな。コルセットはもう懲り懲りだ。
「しかしその服装もなかなかクるものがあるな……」
いくら痩せているとはいえ、相手は成人した女性。服の下から見える胸の膨らみなんかが目に入ると、精神衛生上あまりよろしくない。
「リレオン、何か言ったか?」
「いや、なんでもないよ。さぁ、朝飯でも食おうか」
俺は買ってきたパンを切り分け、火の魔石で沸かしたお湯でコーヒーを作る。残火で卵を焼いてパンを軽く炙って完成だ。
「コーヒーは飲めるか?」
それとも貴族のお嬢様の飲み物は紅茶かね。あいにくそんな洒落たもんは無いけどさ。
「ふむ、飲んでみよう」
「火傷するから、ふーって息を吹きかけながら飲むんだぞ? こうだ、ふーっ」
「ふーっ」
白い蒸気が、もわっとコーヒーカップから湧き上がる。
「……どうだ?」
「少し熱くて苦味があるな。だが悪くない」
「これまで飲んだことはあるのか?」
「いや、初めて飲んだな」
お嬢様にまた貴重な体験をさせてしまった。
そういえば昔、あいつが──好きな人と一緒に夜を明かして、朝コーヒーを飲むのが素敵だとか言ってたな。
あいにくと俺はいま、ダンジョンで拾った謎の貴族令嬢と朝のコーヒーを飲んでいる。
「パンも美味いだろ? 昨日の夜の店と違って、ここの店は毎朝焼きたてだからな」
「ああ、美味いな。焼きたてのパンも初めて食べた」
貴族令嬢なのに焼きたてのパンも食べられないのだろうか。
「リレオン、妾はこれが気に入ったぞ」
「そうかい、それはよかった」
貴族の味覚も、案外一般人と変わらないのかもしれない。
「食べるのに髪の毛が邪魔だ。妾もそれがしたい」
「ん? アカリも髪を纏めたいのか?」
「うむ」
確かに、食べるたびに髪が口に入って邪魔そうだ。
「……やり方、分かるか?」
「分かるわけないだろう。さっさとやるがよい」
「はーっ。ったく、仕方ないなぁ」
滅多に使わない櫛を持ってくると、軽くアカリの髪を解く。
驚くほど滑らかだ。スルスルと指の間を抜けていく。
たぶん、すごく上等な洗髪剤を使ってるんだろう。
「よし、結んだぞ」
俺と同じように雑に後ろで束ねると、アカリの細いうなじが見える。細いな……まるで折れてしまいそうだ。
「リレオン、ありがとう。これで食べやすくなったぞ」
「どういたしまして。お腹が膨れたら、そのあと今後のことを一緒に考えようか」
パンを食べながら頷くアカリ。
変わったやつだけど……こうして人と一緒に食う朝飯も悪いもんじゃないな。