28.異常事態
「……」
最近、アカリの様子がおかしい。
今日もなにやら心ここに在らずといった感じで、伯爵邸の窓から外を眺めている。
「どうしたアカリ、珍しくおとなしいじゃねーか」
「……うむ、なんだか妙な感覚があってな」
「おいおい、本当に大丈夫か? 風邪とかじゃねえよな?」
アカリは今まで病気になったことがない。
酒を大量に飲んでも二日酔いすることもなかったので、身体は強いと思っていたのだが……異常事態だな。
「リレオン様、失礼します。お客様で──」
「おいリレオン、大変だっ!」
執事の案内も終わらないうちに部屋に飛び込んできたバーパスが、落ち着く間も無く駆け寄ってくる。
「なんだよ、どうしたんだ?」
「異常事態だ! ヤツが──現れたんだ!」
「ヤツ?」
「ああ、【原色の悪夢】が──レベル3に出現したらしいんだよ!」
「なんだって!?」
初めて出現してからこれまで10年以上も〝レベル4″のみを徘徊していた【原色の悪夢】が、レベル3まで上がって来るなんてこと……ありうるのか?
「バーパス、詳しく話せ」
「ああ、俺もメルキュースの旦那から聞いたんだけどよ──」
バーパスの話によると、とある探索者チームが上位ダンジョンから帰還しなかったことが発端だったらしい。
4人組のそのチームは、実績もありそれなりの経験を積んでいた。勝手な探索をするような者たちではないことから、念のため捜索隊が組まれることになった。
そこで、今やメルキュースの配下となりつつある【王国宝守隊】が上位ダンジョンへ探索に降りたところ──レベル3で【案内人】に遭遇したそうだ。
「【案内人】って確か……【原色の悪夢】が出現する前に現れる固有エネミーだったか?」
「ああそうだ、こう──両手を拡げて警戒するかのように目の前に立ち塞がる謎なエネミーだよ。そいつがレベル3に現れたから、【王国宝守隊】は異常事態を察知し慌てて帰還したらしい」
「なるほど……異常事態なんてもんじゃないな。4人のチームは残念ながらもう死んでるだろう」
「ああ、役所サイドもそう考えてる。メルキュースの旦那は近いうちに〝討伐隊″を編成するつもりだ」
「そっか、もう【原色の悪夢】から逃げ回るのは辞めたってことか……」
今まで役所が【原色の悪夢】を放置していたのは、ヤツがレベル4に停滞していたからだ。
ところがレベル3に進出してきたとなると話が違う。ヤツがいつどこに現れるか分からないからだ。
神出鬼没になった【原色の悪夢】をこのまま放置していたら、間違いなく被害者が増えていくだろう。
「バーパス、メルキュースに頼んで俺も討伐隊に加えてもらえないか?」
「……お前ならそう言うと思ってたよ。もちろん俺も参加させてもらうつもりだ」
ミーティアの仇、などとセンチメンタルなことを言うつもりはない。
だが他の誰でもない、俺が──【原色の悪夢】を討つ。
「その探索、妾も混ぜてもらおうか」
まだ頭痛がするのか、頭を押さえたままのアカリが話に加わって来る。
「いや、アカリは体調が悪いんだろう。無理するな」
「そうもいかん。どうやら妾にも関係ありそうな気がするからな──」
それはアカリが〝ダンジョン″であるということに関係があるのだろうか。
「ちょっと待てよお前たち、はやる気持ちはわかるが残念ながら討伐隊が編成されるのはもう少し先だ。今は上位ダンジョンを立ち入り禁止にして斥候隊が情報収集している。しばらく待つことになるだろうさ」
「そうか……仕方ないな。状況が動きそうになったら教えてくれ」
「ああ、分かったよ」
あとの調整を頼むと、用は済んだとばかりに去っていくバーパス。
ダンジョンに入れないなら、今の俺たちにやれることはない。
相変わらず窓の外を眺めたままのアカリを放置して、もはや日課となったカイルの調教──いや特訓に入る。
「なぁリレオン、聞いてくれよ! オレ昨日ついに廃棄ダンジョンの二層まで行けたんだ!」
「ほう……カイルはもう〝首無し小鬼″は問題なく対処できるのか?」
「ああ、今のオレの腕前はあんたが一番よく分かってるだろ」
確かに最近のカイルは、廃棄ダンジョンであればさほど命の危機も無く対応できる域に達している。
廃棄ダンジョンの二層程度ならまず問題はないだろう。
「だが油断は禁物だぞカイル、一人だといざという時に対応できないからな」
「いつまでもガキ扱いしてんじゃねぇよ! そもそも一人だと稼ぎがイマイチなんだよ……」
確かに、今の廃棄ダンジョンはドロップが相当厳しいらしい。
アカリは廃棄ダンジョンのことを〝抜け殻″だと言っていた。自分が居なくなったから、いずれ消えることになるとも。ドロップが悪化しているのはその影響なのかもしれないな。
「まあ無理はしないことだ、運が良ければ俺が喰わせたナイフが魔剣になってドロップするかもしれないしな?」
「んなの、オレがお前みたいなジジイになっても出ねぇよ! いいからさっさと腰の魔剣をオレに寄越せ!」
「俺が死んだらくれてやるって言ってるだろ、それまではせいぜい鍛えるんだな」
もし【原色の悪夢】と対峙して俺が負けたら──。
いや、弱気なことを考える必要なんてない。
俺は必ず──ヤツを倒すんだ。
結局、その日の夜になってもアカリの調子が悪そうだった。
「アカリ、本当に大丈夫か?」
「ああ……だがあと少しで思い出しそうなのだ」
思い出しそう? 何をだ?
「うむ、妾の〝目的″だ」
「目的? アカリがこの世界に存在している理由があるってことなのか?」
「うむ、妾には何かやらなければいけないことがあった気がするのだ。それが何か、もう少しで思い出しそうなのだ」
結局その日、アカリが「やらなければいけないこと」というのを思い出すことはなかった。
だが──イレギュラーな事態は立て続けに発生することとなる。
◇
さらに翌日の昼下がり──。
上位ダンジョンの入り口は、6人の兵士によって封鎖されていた。
危険指定固有エネミー【原色の悪夢】のレベル3出現により、一切の人の出入りが禁止されていたからだ。
だが──。
……ザッ……ザッ……ザッ。
「……おい、なんかダンジョンの中から足音がしないか?」
「何言ってんだ、するわけないだろう? そもそも中には誰もいないんだ。居たとしてもエネミーだが、あいつらはダンジョンから出てこないし──」
──ザッ、──ザッ、──ザッ。
「いや、やっぱ足音がするだろ?」
「そんなバカな。いや、だが……」
確かに聞こえる足音。
兵士たちは恐る恐るダンジョンへと振り返る。
彼らが目にしたのは──。
「な、なんだあれは……」
「どうなってやがるんだ……」
上位ダンジョンから出てくる〝異様な存在″。
それは、一切の表情を持たない人々の姿だった。
あるものは、騎士の姿をしていた。
またあるものは、平民のような姿をしていた。
別のものは、片腕が無かった。
全身鎧を着ているものや、探索者の姿をしているものもあった。
彼らに共通するのは──。
生きているものとしての気配を、全く感じないこと。
「もしかしてあれは……〝死者″なのかっ!?」
彼らは一様に光のない眼で、ゆっくりとダンジョンから外に出る。
「ウソだろ……死んだ人が蘇るなんて……」
「おい、お前! 今すぐ騎士団へ報告してこい」
「な、なんて報告すればいいんだよっ!」
「そんなの決まってる! さらなる異常事態の発生だ! 上位ダンジョンから──死者が蘇ったと!」




