26.本当の絆
「……儂は大きな罪を犯した。罪は償う必要がある。その覚悟は──もうできておる」
アカリから身を離したヴァルザードルフ伯爵がそう告げる。
今の彼の表情に、俺は見覚えがある。あれは──命の覚悟を決めた者の顔だ。
「伯爵、あなたは──死ぬつもりか?」
「……君たちには本当に迷惑をかけた。詫びにもならぬが、儂にはもう──生きている意味を見出せないのだよ」
愛娘を失った伯爵は、生きる目的を、生そのものを諦めてしまったのだろう。
娘を失った辛さは、それほどに辛いものなのだろうか。
ミーティアを失った時の喪失感を思い出し、伯爵の気持ちを察した俺は何も言えずにいた。
だけど──。
「愚か者め」
空気の読めないアカリがピシャリと叱りつける。
「アカリ殿……」
「死んでどうする? 死んだら全てが終わりだぞ? なぜ人はそのように意味のないことをしようとするのだ?」
「だが、儂にはもう生きる目的が無くて──」
「無いなら、新たに作れば良いではないか」
「おいおいアカリ、無茶言うなよ。伯爵は心の傷を負ってだな……」
「心の傷? なんだそれは、見えないものに傷など無いであろうが。そもそも伯爵よ、お主の娘はそんなことを望んでいるのか?」
アカリの言葉に、俺はハッとして伯爵に視線を向ける。
ヴァルザードルフ伯爵は──呆然とアカリを見つめていた。
「妾はそなたの娘では無いから気持ちは分からん。だがお主の娘は、お主に何と言ったのだ?」
「……アーデルハイドは……最期に……『ありがとう』と……」
「ありがとう、とは感謝の気持ちではないのか? 妾はリレオンにそう教わったぞ?」
確かに教えたが、ここで言うことかね。
「ありがとうには『死ね』という意味でも込められているのか? お主は娘から死んで欲しいと願われていたのか?」
「……いや、そんなことは……」
「であれば、なぜ死のうとする? むしろお主は──娘のためにも生きなければならないのではないか?」
「う……うう……」
「ここにいるリレオンは、かつての仲間を失ったときに『生きろ』と言われたそうだ。だから今も生きている」
伯爵が驚いた表情で俺を見た。
俺は黙って頷く。
「死にゆくものは、残されたものに『生きて欲しい』と願うものなのではないのか? お主は、娘の願いをも無碍にするつもりなのか?」
「おおぅ……おおおぅ……」
アカリは相手の気持ちを察しない。
ズカズカと心の傷に踏み込んでくる。
だが──アカリのこの無茶のおかげで、俺も過去の呪縛から解き放たれたのは事実だ。
そしてヴァルザードルフ伯爵も──。
「少し……時間をくれないだろうか。その間、この館でゆっくりとしていて欲しい」
彼にはあまりに色々なことが起こりすぎたので、受け入れるための時間が必要なのだろう。
拒否する理由もないので、俺たちは伯爵の申し出を受け入れることにしたんだ。
◆
……ということで、今日は丸一日伯爵邸で待機することになった。
今は元アーデルハイドの部屋でアカリと寛いでいる。
いや、俺は寛いでなんかいない。落ち着かず椅子に座ったまま出された紅茶を飲んでいる。伯爵令嬢の部屋で落ち着けるわけがないだろう。
「リレオンの家も悪くないが、このふかふかのベッドは捨てがたいな」
ポヨンポヨンとベッドで嬉しそうに跳ねるアカリ。こいつ本当に空気が読めない奴だよな。
「アカリはその、ずっと一人だったのか?」
「そうだな、一人だった」
「寂しくなかったのか?」
「寂しい、という感情はよく分からない。だが人のようになってみたいと、混じってみたいとは思っていた。だから今の妾があるわけだな」
「なあアカリ、お前はその──家族といた方がいいんじゃないか」
ヴァルザードルフ伯爵のやったことは到底受け入れられるものではないが、彼の娘への愛情は本物だ。
この家に居ればアカリはきっと幸せに過ごせるだろう。
だがアカリの返事は──。
「愚か者め」
怒られてしまった。
「お主は何も分かっておらん」
『リレオンってホント、女心がわかんないよねぇ』
かつて──ミーティアに似たようなことを言われたことを思い出す。
俺は何年経ってもたいして変わらないらしい。
「で、でもよ、この館に居た方が恵まれた生活は送れるぜ?」
娘を溺愛する父、豪華な家、傅くメイドたち。何不自由ない生活が約束されているわけだし。
「そうだな、その通りだ。では聞くがリレオン、妾の〝家族″は誰だ?」
アカリの言葉に思わずハッとする。
「……やっと気づいたか、愚か者め」
「ああ、やっと気づいたよ。アカリの家族は──この俺だったな」
アカリはどういう運命の悪戯か、俺の元にやってきた。
同じチーム『天差す光芒』として活動してきた。
一緒に上位ダンジョンに潜り、数々の成果を打ち立ててきた。
一緒の飯を食い、寝て起きて……。
「妾はお主と過ごす日々をとても気に入っている。お主は違うのか?」
「いや、そんなことはない」
アカリとの日々は、俺に〝光″を与えてくれた。
暗闇を照らし出す〝灯り″を──もう手放すつもりはない。
「悪かったな、もうアカリと離れようなんて思わないよ」
「うむ、分かればよろしい」
ニカッと無邪気に笑うアカリ。
その笑顔に、ずっと凍りついていた俺の心の一番奥にあるなにかが──ゆっくりと解け出していくのを感じたんだ。
◆
その日の夜、俺たちはヴァルザードルフ伯爵の部屋へと呼び出された。
朝とは打って変わって完全に落ち着きを取り戻した伯爵が、俺たちに向かって頭を下げる。
「今朝は無様なところをお見せした」
「うむ、構わないぞ。妾は心が広いのでな」
ブレずに偉そうなアカリは大したやつだと思う。
「儂は……愚かにも大きな罪を犯した。その罪が許されることはない。儂は──【王国宝守隊】の座を辞するつもりだ」
まあ……そうなるだろうな。
「アカリのことは、国王に報告するつもりですか?」
もし返答次第では今後の身の振り方も考えなければならない。
だが伯爵の答えは──。
「いや、そのつもりはない。罪を免れるつもりもないが……この件は儂が死ぬまで心の中に封じるつもりだ」
「逆に俺が国王に売るとは考えないんですかい?」
「それはないだろう、君たちの関係をみていればわかる」
「ああ、アカリは俺の家族だからな」
俺の言葉に、ヴァルザードルフ伯爵は笑みを浮かべながら頷いた。
俺たちは、アーデルハイドとアカリの秘密を共有する関係となった。
だが貸し借りのような薄っぺらい関係では無い。
かけがえのない大切なものを共有する──〝同志″とでもいうのだろうか。
だから俺たちは、互いに決して裏切ることは無いだろうと確信できる。
「ところで二人に相談があるのだが」
「なんでしょう」
「よければ儂に、チーム『天差す光芒』の支援をさせてもらえないだろうか」
……予想外の申し出。
確かに家族が有力な探索者のパトロンになることはある。バーパスなどがそうだ。
「アカリ殿は儂に生きる理由を見つけるように言った。儂にとっての新たな生きる理由は──そなたたちの活躍を追いかけることにしたのだよ」
伯爵はアカリにアーデルハイドを見ている。
だがそれも一つの理由になるのだろうな。
「そりゃ願っても無い申し出だが……アカリはどうだ?」
「別に構わないのではないか、もともと妾にはファンが多いからな」
ははっ、確かにこいつは回収屋のファンが多いもんな。
「じゃあ前向きに検討させてもらうが、先に大事な話をさせてもらおう。いきなり報酬の話を切り出すのは世知辛いんだが、どういう利益配分の取り決めにするんだ?」
パトロン契約は大事だ。
たとえば魔剣を借りる代償として収益化8割を持っていかれる、なんてこともある。
場合によっては身体を要求されることも。
「それなんだが──もしよかったら君たちも一緒にこの屋敷に住まないか?」
「え?」
伯爵からの予想外の提案に、思わず間抜けな声が出る。
「この屋敷は儂一人には広すぎる。もし良ければリレオンとアカリ殿の〝宿代わり″として使ってもらいたいのだ。儂はパトロンとして宿泊場所を提供する。もちろん活動資金もそれなりに提供しよう。その対価として──ときどき君たちのダンジョンでの活動話を聞かせて欲しいんだ」
「話を聞かせるだけ?」
「ああ、どうかね?」
アカリにしょっちゅう「愚か者」と揶揄される俺でも分かる。
伯爵は──アカリの活躍を見ることで、亡きアーデルハイドに想いを馳せたいのだろう。
「アカリ、どうする?」
「どうするもなにも……リレオンがいいなら?」
「じゃあ断る理由なんて無いな、よろしくお願いするぜ──伯爵様」
俺とアカリが手を差し伸べると、伯爵は心の底から嬉しそうに──俺たちの手を握ったんだ。
こうして俺たちチーム『天差す光芒』は──。
〝ヴァルザードルフ伯爵″という支援者を得ることが出来たんだ。
〜 第三章 完 〜
これにて第3章は完結です。
次からは最終章へと連なる第4章となります。




