エスカレーターホールの死闘
台車を送り込んだ後、彼らはしばらく扉の後ろで身を潜めた。
ギギギッ!ギギギッ!
という鳴き声がだんだん激しくなり、ドア越しにもバタバタという足尾がハッキリと響いた。
「凄い効き目ですね。大混乱だ」
ソウタがシンバに言った。
「効いてますけど、混乱はしてないですね」
シンバが答える。
「そうなんですか?」
「はい。あのギギギッて声は『危険だ逃げろ』ぐらいの意味です。パニックを起こしてるような声はあまり聞こえません」
「あのネズミ、喋るんですか?!」
「ええ。この六本脚は、今分かっている範囲では、20前後の言葉を使用していますね」
「やはり賢いんですね。。。」
「ですね。でもこれぐらい会話する動物はけっこういますよ。うん。そろそろ大丈夫そうですね」
シンバかドアを開けると、あれだけいたネズミが全くいない。代わりに大量の糞だけが残っていた。
「今のうちですね」
先頭をオオモリとカンダ、真ん中をユーリとシンバ、最後尾とソウタという隊列で進む。
オオモリが周りを警戒しつつ、台車を押して行った。進む台車に乗せられた缶からはもうもうと煙が立っており、離れた所ではそこかしこでギギギッ!ギギギッ!というネズミの声がした。
人間たちは全員、教会メンバーが所持していたマスクをしており、多少目に染みるものの行動には大きな支障はない。
周りは荒れ果てた棚のようなものとネズミの糞ばかりで、言われなければ、ここがかつて食料品売り場だったとは、とうてい想像が出来ない。
糞はほとんどが乾燥しており、特にそれによる臭気は感じられない。全体的に湿った土のような匂いが立ち込めていた。
「ここ全部が食料品売り場なんですか?」
ソウタがユーリに尋ねた。おおよその配置は、バックヤードにあった店内図を読み取ったユーリから聞いていたものの、実際に見ると信じられない。市場がまるごと一つ入るほどの広さがある。
「ですね。かつては1世帯に1台程度自動車を所持しており、地下に公共の機関車が走っていたので、多くの人が長距離移動が苦ではありませんでした。だからこういう場所に人が集まったのです」
ユーリが解説する。
「でも、食べ物こんなに集めて腐りませんか?」
「ここの棚の半分は冷気が出ていました。冷蔵庫ですね」
「えっこんなに!?」
ソウタが驚愕する。電力供給が抑えられ、かつ、電気機器産業が縮小しているこの時代では、冷蔵庫は官給品であり世帯人数により決められたサイズの物が支給されている。それ以上の個人用冷蔵庫を持つ者は相当な富裕層だったのだ。
ましてや、電車や車に冷房が効いていたこと等、思いもつかない。
次々に出るソウタの疑問にユーリ達は一つ一つ答えていく。少し前まで必要最小限のことしか話さず、秘密主義を貫いていた彼らの変化をオオモリは感じていた。もっとも教会側の3人はあまりその自覚は無さそうにも見える。
煙がよく効いているおかげでネズミの襲撃も無く、そんな話をしているうちに、最初の目的地のエスカレーターホールに着いた。
「これですか、随分細い階段なんですね」
エスカレーターに着いた時の、オオモリの第一印象がそれだった。
巨大な施設なので、階段も巨大なのだろうと想像していたが、この階段は人が二人並べる程度しか幅が無い。
しかし、その細い階段が何本もある。それがが彼には奇異に映った。こんなことするなら、もっと幅の広い階段を作ればいいのにと。
「なんでわざわざこんな構造に・・・」
オオモリがそう言いかけた時、一番近くにあった階段が動き始めた。
「こういうことです。安全の為、乗ってる全員が手摺を掴める幅になってます」
とカンダが解説する。
オオモリは呆然と動き出した階段の先を眺めた。
「動いてるならちょうどいいですね。先に煙だけ上に上げましょう。露払いになります」
シンバが言った。誰も異存がないため、彼はもう一缶開封しエスカレーターに乗せた。今まで使っていた物は念の為1階に置いておき、ネズミ達が階段を上がってこないようにする。
開封したて缶は、もうもうと勢いよく煙を上げながら、自動で動く階段を昇っていった。
上のフロアでも、ギギギッ!という声がする。
缶が最上段までたどり着いてしばらくすると、声も聞こえなくなった。
「そろそろ大丈夫かと」
シンバの促しと共に一行は、台車を先頭に隊列を保ったままエスカレーターに乗り込んだ。
静寂の中、エスカレーターのウーーーーーンという音だけが響き渡っている。
こういう状況で無ければソウタあたりは、はしゃぎそうなものだが、緊張感がそれをさせない。
自由に身動き取れる幅が無い状況で、今立っている足場が動いているというのは敵地では一刻も早く終わらせたい時間である。
だが、そうはいかなかった。
エスカレーターの上方に人影が現れた。
そして、聞いたことがある声がした。
「エスカレーターに物ヲ置かない、お願いしまス」
警備ロボットだった。
その機械の手が缶を掴むと、脇にどける。
そして、オオモリ達を見て言った。
「台車をエスカレーターに乗せル、危険でス。エスカレーターが止まル原因、なりまス」
「ああ、すまない。今度から気をつけ・・」
オオモリがそこまで言った所で、警備ロボットの右手の警棒がバチッと音を立てた。
「ルール違反者達、確保します」
そして身構えた。
「おいおい、今回のヤツは随分短気だな。問答無用か?!」
オオモリは呟いてから、台車を持ち上げた。そして警備ロボットに向かって声をかける。
「ちょっと待ってくださいよ。もう載せません。こうやって手に持っててもダメですか?」
そう言っている間にも、エスカレーターは無情にも彼らを敵の前まで運んでいく。
「ダメです。確保します」
「そこを何とか!今回だけ!」
「ダメです。確保し」
ガンッ!という衝突音がその先の声をかき消した。
オオモリが台車を盾に体当たりをしたのだ。
オオモリと警備ロボットが倒れこむ。その間に他のメンバーは2階のフロアに降りることが出来た。
4人が周りを囲む。
オオモリは倒れたまま、警備ロボットを抑え込もうとする。
「コイツ、意外に寝技まで出来るんだな・・」
そう言いつつ、右手の手首を抑え、なんとか電撃棒だけは食らわないようにしていた。
「ソウタ、電撃行けるか」
「よし!」
ソウタはユーリから電撃棒を借りる。しかし、オオモリも警備ロボットも激しく動くので、なかなか的が絞れない。
警備ロボットには露出した関節の金属部分を狙わないといけないのだが、間違ってオオモリに当たると、どこの当たっても感電させてしまう。ミスが許されないのだ。
そうこうしていると、警備ロボットが奇妙な声を出した。
「チーーーィ!チーーーィ!」
「なんだ?!」
オオモリは何かの拍子で頭でも打って、警備ロボットが壊れたのかと思った。
しかし、そうでは無かった。
「まずい!」
いち早く気付いたシンバが捨て身で警備ロボットの片足に脚にしがみつく。
「ソウタさん行けますか!」
「もちろん!」
ソウタは反対の脚を抑え、膝関節に電撃を加えた。
バババッ!と火花が散り、警備ロボットは止まる。
カンダが駆け寄りバッテリーのプラグを外すと。警備ロボットは完全に停止した。
「助かりました。でも無茶しないでくださいね」
と、ソウタが声をかけている間にも、シンバは真剣な顔で自身のバックパックを下して中身を確認している。
そして言った。
「マズいです。最後に警備ロボットが出した音はネズミの言葉です」
「えっどんな意味ですか?!」
シンバは、ソウタが今まで見た中で一番の真顔で答えた。
「『集合せよ』です」




