3・わたくし、結婚いたします!
「ライラの具合はどうだい?」
「精神的ショックによる一時的な貧血だと思います」
お父様は大きなため息をつくと、椅子に腰かけた。
「実は…情けない話だが、この話がまとまればいいのだが…と願う気持ちもあった。条件が破格だったからな」
「条件って?」
「まず、借金を全額引き受けて下さるそうだ」
借金全額肩代わり?家の借金がいくらあるのか分かってるのかしら?冷酷悪魔、正気なの!?
「それから、セシルが進学するための資金の全面支援」
貴族が通う学園の学費って、かなりの金額になるのに。さすがは侯爵家ね。
「それから、我が家の当面の生活費も保証してくれた。善意で残ってくれた皆にも、きちんとまともな金額の給料を払ってあげられるだろう」
ゴクッ。と生唾飲み込んでしまった。
信じられないくらいの好条件じゃないの。
貧乏な事に漬け込まれて、まんまと足元見られているけど。
確かに、きちんとした貴族の娘と結婚する事は難しいと思う。あれだけ悪い噂を流されたら。
他の令嬢たちからは縁談を断られ続けたのね。
だから私にまで話が回ってきたんだわ。
ジャンヌ-ル侯爵は、戦地に赴いている事が多かった事もあり、王宮で開かれる社交の場にも姿を見せた事がない。
自分が活躍した戦の勝利を祝うパ-ティーにすら姿を見せなかったもの。
余程醜い容姿をしているのよ…と憶測だけが飛び交った。
ジャンヌ-ル侯爵邸も王都からも少し離れているし、実際に会った人も少ないせいか、謎が多い。
その割には英雄として皆の関心を集めている。
だからこそ、ジャンヌ-ル侯爵の噂は恰好のネタなのだ。
気の毒と言えなくもない。
同じく、一時期は噂の種となった身としては。
人が好き勝手言う生き物だということを、身をもって知ったもの。
同情の気持ちがフツフツと沸き上がるも…。
ああっ。やっぱりダメ。
結婚するとなれば避けて通れないアレが。
アレがあるもの~!
没落前、わが伯爵家には、多くの使用人がいた。
私の教育係だったのは、ルイザという、10歳ほど年上の女性だった。
ルイザは優しく、時に厳しく、私にあらゆる事を教えてくれた。
貴族としてのマナーや、振る舞い。
そして閨に至るまで。
閨の授業の時、ルイザが持ち込んできたのは大きなスイカだった。
これくらいの大きさのモノを、女性の体は受け入れるのです。そう言われて、恐怖のあまり私は失神した。
それ以降、閨の授業は失くなったが、私の心には深いトラウマが出来てしまったのだ。
そんな恐ろしい事をするくらいなら、結婚などしなくていい。
あんなものを受け入れるなんて、あなたの体は一体どうなっているのかと、既婚女性を一人一人捕まえて聞いて回りたい衝動に駆られたけど、どうにか我慢した。
結婚から逃げ回って生きる決意はしたもの、一応は貴族の端くれ。
いつかは結婚しなくてはいけないのかも…
と、常に不安だった。
私は、生きていたいのよ。
死ぬほど痛い思い…いや、本当に死ぬと思うから。
そんな思いは絶対にしたくない!
「お父様…前向きに検討しましたが、わたくしには…」
グスッ。と、鼻をすする私を見て、お父様が頷く。
「いいんだ。分かっている。実は侯爵家の出したこちらへの条件が、親としては許せるものではなかった」
「何だったのですか?許せない条件とは?」
お父様は、目に怒りを滲ませながら唇を震わせた。
実は娘大好きな父である。
「まず、お前の事は愛さないし、愛してくれるなと。当然、白い結婚となるだろう。ただ、侯爵夫人としての勤めさえ果たしてくれれば、それで良いと…こう言われたのだよ」
白い結婚。
何よそれ。最高じゃないの!
借金も返済してくれて、セシルも進学できる!
みんなにお給料も払ってあげられる!
それに、何より何より…白い結婚!
まさしく、願ったり叶ったりよ!
容姿に多少難があっても関係ないわ。
仮面夫婦大歓迎!
「します!」
思わず、お父様の手を握りしめた。
「えっ?嘘だよな…アリエル。イテッ!」
おっと。手に力が入りすぎたわ。
「します。結婚。家中のみんなが幸せになる結婚です。これ以上の良縁はこの先望めないでしょう」
フッフッフ。込み上げる笑いが止まらない。
白い結婚よ。あれやこれや、しなくて良いのよ!
こんな幸せな結婚あるかしら。
すぐにでも、駆け出して嫁に行きそうな勢いの私にお父様の方が動揺している。
「お父様、さあ、さっさと婚姻承諾の意をジャンヌ-ル侯爵家に伝えてください!一刻も早くわたくしは結婚したいのです!」
あまりの剣幕にお父様が、タジタジになっている。
「ちょっと、落ち着いてくれ、アリエル。いや、わたしとしては…もちろんお前が結婚してくれるのはありがたいが、お前の不幸と引き換えにしてまで望んではいないんだよ…全てはこの父の…クッ!」
お父様はブルブル震えながら涙を堪えているせいで、ただでさえ怖いお顔が更に怖い顔になっている。
私はお父様の肩にそっと手を置いた。
「お父様…泣かないで下さいませ。誤解しないで頂きたいの。誰のためでもなく、わたくしがこの結婚を望んでいるのですわ」
こんな上手い話、二度とないわ。
油断するとついつい、緩んでくる顔を気合いで引き締める。
「本当に、無理はしてないのかい?アリエル…」
私はゆっくりと首を横に振りながら自然な笑顔をお父様に向けた。
「お父様、毎日の貧乏に慣れすぎて、お忘れではないですか?フフ。わたくしだって、腐っても伯爵令嬢。例えボロを身に纏おうと、溢れる気品は隠せない…。侯爵夫人のお役目、しっかりと努めてみせます!」
私の強気のドヤ顔に、お父様は言葉を失ったよのか、何度もコクコクと頷くばかりだった。
「話は全て聞かせて頂きました。お嬢様…わたしも、わたしも忘れずに連れていって下さいよ~悪魔だろうと、地獄だろうと、死ぬまでお供しますからね…」
かすれた声を吐きながら、ライラがむっくりとベッドから起き上がった。
ちょっと怖かった。