10・執事のカイル
騒動の後、私はカイルを呼び出した。
ロイアスと話をする前に、事前に情報が欲しかった。今回の件で、私はロイアスについて、何も知らないと改めて気がついたもの。
急な話ではあったけど、こうして夫婦になった以上、一緒に問題を解決していきたい。
それには、第三者からの意見も参考にする必要がある。
「ねぇ、カイル。ロイアスとイザベラ様はどういう関係なのかしら?」
私の質問に、カイルは思いっきり顔を歪めた。
「一言で言うと、ストーカーと、被害者の関係ですね。ロイアス様はイザベラ様を心底嫌っておられます。本人には全く伝わっていないようですが…」
深いため息を付きながら、カイルは何やらブツブツと小声で呟き始めた。
やっぱり殺っとくべきだった…とか耳を疑う言葉が聞こえた気がして、聞き返すと、カイルは笑顔で「いや~悔しいです」と答えた。
ん?何がそんなに悔しかったのかしら?
「本当は、奥様に知られる前に極秘に処理したかったんですけどね…わたくし、痕跡を残さず人間を始末するのが得意なので!」
はい?
紅茶を吹いちゃったじゃないの!
実に楽しげな笑みを浮かべて言うことじゃないわよね。
全身に鳥肌が立ったわよ。
カイル…こわいっ!こういうタイプが一番怖い。
この人、敵に回したらヤバイ人認定…。
イザベラは、ロイアスの義理の母に当たる女性の姪であり、二人はいわゆる幼なじみの関係との事だった。
「私もまだ、侯爵家で働きだして日が浅いので、これは私の前任者から聞いた話ですが…ロイアス様が5才の時に、母君のロ-ザ様がお亡くなりになり、その後、前侯爵様と再婚されたのが、義理の母となるナディア様でした」
ナディア様は前侯爵様と共に3年程前に馬車の事故で亡くなっている。
その為、まだ若かったロイアスが侯爵家を継いだのだ。
「ナディア様は、実子を産み、侯爵家の跡継ぎにするべく、躍起になっていたようですが、とうとう、子宝に恵まれることはありませんでした。ですが、当然、ロイアス様の存在は目障りでしかなかったようで…前侯爵様の目の届かない所ではかなりきつく当たられていたようです」
義理母からの心理的虐待ね。
母を亡くしたまだ幼いロイアスを思うだけで胸が締め付けられそうになる。
身近にいる女性から酷い言葉を投げ掛けられてどれだけつらく、怖かったか。
激しい怒りが込み上げてくる。死んだからって許されるものじゃないわ。
私の怒りバロメーターがハイペースで上がっていくのを肌で感じるのか、触発されたようにカイルが語気を強めていく。
「更にナディア様は、実家である伯爵家との結び付きを強めるため、ロイアス様とイザベラ様を無理矢理婚約者と決めました。さすがに、前侯爵様もこれには難色を示されたようで、あまり公にはなっておりませんが」
イザベラが叫んでいたことも全くの嘘ではなかったわけね。
公にはなっていなかったとしても、一応は婚約者として内々では通っていただろうし。
周りの大人から「あれがあなたの婚約者よ」って吹き込まれたら信じるわよね。
しかも、あれだけのイケメンだもの。
簡単に手離したくない気持ちも分からなくもないけど。
それにしても解せないのは、確か、イザベラは、乗り込んできた時に、ロイアスの事を「ブサイク!」呼ばわりしてなかったかしら?
あれは私の聞き間違いだったのかしら。
まだ私、寝ぼけていた?
「ねぇ、カイル。まさかなんだけど、イザベラは、ロイアスの事を、ブサイク呼ばわりなんてしていないわよね?」
数秒の沈黙後、カイルがゆっくりと口を開いた。
「しています。しかもまだ幼い、出会った時からずっとロイアス様をブタだ、醜男だ、と罵倒し続けているそうです」
ロイアスが、あれだけ美しい容姿をしながら、自己評価の低い理由に納得がいった。
「ロイアス様は、子供の頃は少し…いや、だいぶ、体格がよろしかったようで。その点についてもいろいろ言われていたようです」
なるほどね。
ポッチャリした子供の頃のロイアスもとっても可愛いと思うけど。
その事を理由にいろいろ言われるのは苦しいわよね。
「まるで洗脳ね…」
幼い頃から、呪いのように罵倒され続けていたら自分に自信が持てなくて当然だわ。
だから、周りから愛されている事にも気づけないのよ。こんな自分が愛されるはずがないと決めつけているから。
「まあ、イザベラ様としては、ロイアス様が自分に自信を持たないよう、時間をかけて暴言を投げつけていたんでしょう。二人は婚約者同士というには、どう見ても不釣り合いですからね。ロイアス様はあれほどまでに美しいのに、自分が醜いというのは我慢ならなかったでしょうね」
サラッと、酷いこと口にした。
まあ、カイルに関してはもう、何を言われても驚かないけど。
「嫉妬だけではなく、歪んだ愛情も混ざっていたかもしれませんが。ナディア様からは冷たくされ、イザベラ様からは罵られ、ロイアス様は女性不信を深めていきました」
身近な女性が二人とも自分を攻撃してくるんだもの。女性というものに恐怖心を抱いても無理はないわ。ロイアスにとって、女性とは憎しみの対象であり、愛情を交わす相手ではないのね。
「ナディア様とイザベラ様への鬱憤を晴らすかのように、幼少期より剣を握り、追い回してくるイザベラ様から逃げるように戦地に赴いていたようです。私が出会った頃のロイアス様は女性不信に陥っていましたから」
17歳にして女性不信だなんて。
思っていたよりもずっと根深いわ。
ロイアスには、自分を愛せる人になって欲しい。そうしなければ、愛してくれている人にも気づけないもの。
「カイルはどうして、ロイアスの側で働こうと思ったの?」
私の問いかけに、カイルは一瞬、頭を悩ませたようだった。「そうですねぇ…」としばらく間を置いてから、言葉を続けた。
「あれだけ恵まれた容姿を持ちながら、自分を醜男と思い込み、帝国を代表する英雄でありながら、女性からの評判は最悪です。それがあまりにもおもしろく…いや、違います。不憫に感じまして。執事としてあの方のお役に立ちたいと感じたのですよ」
いや、絶対、面白がってるでしょ…。
って、思ったけど。
「あの方、実はとても優しい人ですから」
しみじみとカイルが言った。ロイアスを思いながら浮かぶ笑顔には、親しみが溢れていた。
「ええ。分かるわ」
私もつい、笑顔になってしまう。
「ついでに言うと、とても可愛いところがあるわね」
赤い透け透けネグリジェで、額の汗をぬぐったロイアス。耳まで真っ赤になった姿。
思い出すと可愛くて、笑えて、ほっこりしちゃう。笑いを堪える私に、カイルがそっと囁いてくる。
「分かります!ああ見えて、ちょっと抜けてるというか…可愛い所があるんですよね!」
前のめりになって、カイルがニンマリと微笑んだ後、得意気に語りだした。
「転んだ拍子に、ズボンのお尻の縫い目が裂けたり、むにゃむにゃと寝言を言ったり。最強の剣士だというのに、実はネズミが怖かったり…いやあ、本当に憎めないお方ですよ。ロイアス様は!」
ひゃああああっ!なんという胸キュンエピソードかしら!聞きたい!知りたい!語りたい!
それから小一時間、私とカイルは、『侯爵様の可愛いポイント』について、たっぷりと討論したのだった。




