1・いきなりの縁談
「アリエル…実は…縁談の話が来ているのだ」
さっきまで、険しい顔で何かを言いかけては止めてということを繰り返していたお父様が、思い切ったように口を開いた。
いつもなら、賑やかな夕食が、お父様の放つピリピリした空気を察して誰もが口を閉ざしていた。
弟のセシルは、明らかに様子のおかしなお父様をチラチラと見ながら、具の少ないポトフをすすりつつ、固いパンにかじりついていた。
「坊ちゃま。まだ、お代わりありますからね」
にこやかにセシルにお代わりを勧めるアンナのお腹から、ぐぅぅぅ~と、大音量で空腹を知らせる音が鳴った。
張り詰め、静まり返っていた食卓に、それはそれは大きく鳴り響いたのだった。私は、申し訳ない気持ちが込み上げてきて、アンナの顔がまともに見られなかった。
使用人のお腹を満たせないなんて、主人失格だわ。
すっかり落ち込みながら、ふと、隙間風にガタガタと揺れる窓に目をやると、ガラスに映る自分の姿が目に入る。
エメラルドグリーンの瞳に、お母様譲りのふわふわウェーブの金髪。長いこと散髪をしていないせいで、いつの間にか背中まで髪の毛が伸びていることに気が付いた。
私の唯一の自慢だった艶々の髪の毛も、今ではパサつきが目立つようになった。
没落してから…半年。
高級シャンプーともお別れしたもの。
安い石鹸で洗っていたら、軋むに決まっているわね。
以前とは何もかも違うのよ。
私も強くならなければ。
アルクレスタ伯爵家。
我が国、パルシャン帝国で、ごく普通の貴族として過ごしていた。特別強い権力はないけれど、軽視されることもなく。
パルシャン帝国を支える数ある伯爵家の一つだったのに。
今や没落した名ばかり伯爵家。
没落の原因は、お父様が信頼していた友人の誘いに乗って、架空の投資話に全財産をつぎ込んでしまった事に始まる。
大きな決断をする前に一言相談して欲しかったけど。今となっては全てが手遅れ。
用心深い性格の割に、甘い誘惑に弱いお父様。
騙されやすい性格には気付いていたけれど。
本当に騙されるなんて!
それも、借金までした挙げ句、財産のほとんどを持っていかれるなんて…あり得ない!
詐欺師にとっては本当に良いカモだったと思う。
お父様が詐欺被害を誰にも打ち明けずにひとりで抱え込んでいたせいで、発覚するまでにかなりの時間があった。
詐欺師はもう遠くに逃げているだろう。
お金が戻ることは絶望的。
多額の借金まで抱えてしまい、大勢いた使用人は解雇せざる負えなくなり、残っているのは食事担当のアンナ、私の腹心である侍女のライラと、執事のユアンのみ。
少ないお給料でも構わないと、我が家に残ってくれた忠義者の使用人達には感謝しかないけれど、ハッキリ言って、我が家が泥舟仕様の沈没船なのは間違いない。
お父様は仕事である輸入業で一山当てようと躍起になっているけれど。うまくいっていない事は、一向に改善されない日々の食事が物語っている。
邸宅も引き払い、今では狭い中古の一軒家住まい。
まさしく、坂道を転がるように…落ちぶれた。
我が伯爵家が借金を抱えた事実はあっという間に貴族の間に知れ渡り、社交界からもそっぽを向かれてしまった。
離れていった人も多い。
私の宝石やドレスもほとんど売りに出してしまったし、今さらお誘いがあっても困るけど。
20歳にして…悟ってしまったのだ。
本当の危機が訪れた時にこそ分かる、人間の薄情さと、優しさを。
今日の夕食は、パンと具の少ないポトフ。
育ち盛りのセシルには到底足りない食事だわ。
でも…文句は言っていられない。
まだ食べ物があるだけ、ありがたいわね。
そう思いながらパンを口に運んだ時。
お父様が言ったのよね。
「縁談ですか…まだ、早くはありませんか?」
ナプキンで口元を拭いながら答えると、お父様は真顔で首を横に降った。
「いや、むしろ遅いくらいだろう…」
お父様の目が血走っている。
明らかに寝不足だわ。どうやら、昨夜は考えすぎて眠れなかったみたい。
「ですが…そんなに焦らなくても…」
目の前で、固いパンと格闘しているセシルをみていると、可愛くてクスリと笑ってしまう。
まだまだ幼くて結婚など考えられない。
「お父様…セシルはまだ、10歳です。もう少しゆっくりでいいじゃないですか」
「セシルではない」
「あら。意外。お父様でしたの!確かにお母様が亡くなって今年で5年。ひとつの節目と言えなくもないですわね…」
大好きだった母のエミ-ルが病で亡くなって5年が経つ。お父様もいろいろ考えての事なんだわ。ここは…ちょっぴり込み上げる寂しさをこらえて…喜んであげるべきよね。
切ない目で、お父様を見ると、呆れながら頭を抱えている。
「バカモノ!この家に縁談と言えば、お前に決まっているだろう!」
「…いやです」
間髪入れずに即答した。
絶対に結婚なんてしたくない!
恐る恐るお父様を見ると、怒るどころか、むしろ少しホッとしたような複雑な表情を浮かべている。
意外な反応に拍子抜けすると同時に…気になってくる。
伯爵家の爵位目当てにお金持ちの平民から縁談が舞い込む事はあるけど、伯爵家のプライドはあるのか、その手の話は即座に断っていたお父様が寝る間を惜しんで考えるくらいだもの。
相手は恐らく、貴族。
没落貴族の娘に結婚を申し込むという猛者。
ただ者じゃないわよね。
縁談の相手って、誰なんだろう。
「そうか…嫌か。うむ。それならば仕方ない。本人の意志が一番大事だからな」
急に食欲が湧いてきたのか、吹っ切れたように晴れ晴れとした顔でお父様がパンに手を伸ばした。
「ちなみに…その縁談のお相手はどなたです?」
私の問いかけに、お父様の手が止まる。
一呼吸置いた後、この世の終わりかと思うほどの厳しい顔で言った。
「ロイアス・ジャンヌ-ル侯爵だ」
はい?あの、ジャンヌ-ル侯爵?
全員が凍りついたように動きを止めた。
「冷酷悪魔…」
震え声で呟いたライラが、ショックのあまり、倒れた。