第4話 勝手なケジメ 前編
一台の自動車から降り立った男。
懐かしむ様子も無く、周りの風景に目を細める。
「...久しぶり...なんだろうな」
旧姓五十嵐雄二23歳、5年振りの帰郷だった。
大学に入学以来、連絡を断っていた彼が帰って来たのには理由があった。
それは雄二の遺産を管理している山崎弁護士から連絡があったのだ。
雄二の母は再婚に当たり、雄二の父親が残した遺産の一部を再婚相手に分からぬ様、弁護士に委託していた。
その事は雄二が18歳になった時、山崎弁護士から聞かされた。
山崎弁護士は亡き父の友人。
彼のお陰で雄二は助かったと言っても過言では無い。
養子縁組の解消、亡き父の姓に戻り、川口雄二となる事が出来た。
更に遠方の大学での下宿先等、五十嵐の人間が近づく事の無いよう彼は手配した。
そんな山崎弁護士が雄二に言った。
『雄二、五十嵐の義母方の母(義祖母)が亡くなったそうだ』
『それが?』
籍は抜いてある。
それに義祖母とは血縁も無く、会った事さえ殆ど無い。
雄二の言葉はもっともだった。
『それが遺言でお前にも遺産の一部をを譲ると』
『はあ?』
『先方の弁護士から連絡があった』
予想外の展開。
雄二に理解する事は出来ない。
義祖母の遺産に興味は無い。
義父に騙し取られた母の遺産を返して貰うにしても、義祖母の遺産は考えて無かった。
なにより、
『今更何の為ですか?』
『事情がある様だ。
五十嵐真莉紗がお前に面会したいだと』
『義姉さんが?』
どうしてなのか?
五十嵐と縁を切りたいと知っているのに?
雄二の頭に混乱が広がった。
『どうする?』
『分かりました、会うだけ会ってみます』
無視しても構わなかった。
しかし義理の妹、日向の事が気に掛かる。
日向も雄二とは血縁が無い。
しかし日向は雄二を兄と慕い、辛い五十嵐家の生活では救いになっていた。
『行ってらっしゃい!』
五年前、合格発表に行く雄二を見送ってくれた日向の笑顔に何も言えず家を出た。
それが雄二にとって最後の心残りだった。
待ち合わせはホテルのラウンジ。
約束まで、まだ時間がある。
雄二は5年前にまで暮らしていた実家に足を運ぶ、ひょっとしたら日向が居るのでは?
だとしたら一目だけでも見ておきたい雄二。
一軒の家の前で立ち止まる。
『売り家?』
久しぶりに見る家には看板と幟が立てられており、雄二は立ち尽くした。
庭木は一応剪定されている。
この家は元々雄二の母が父親の保険金で購入した物。
母の再婚に新しい父が同居し、母が亡くなった後、義父が再婚し、この家は乗っ取られてしまった。
『今となってはどうでも良いが...』
無人の家、母との楽しい思い出は既に失われている。
あるのは新しい家族から疎外された苦い記憶だけだった。
「あら雄二ちゃん?」
雄二に声を掛ける年配の女性、この家の隣に住む伊藤家の人間だった。
「お久しぶりです」
「やっぱり、すっかり垢抜けたわね」
「そうですか?」
(面倒な事になった)
そう思う雄二だっだが、無碍にする訳にも行かず曖昧な笑顔を浮かべ頭を下げた。
「そうよ、いつも同じ服で...」
「でしたね」
言われてみれば、そうだった。
小遣いは貰えず、バイトで稼いだ給料は大切に貯蓄し、衣服に使わなかった雄二。
破れたら自分で補修し、考えてみれば途中から、軽いネグレクトだった。
「あの、みんなは?」
「五十嵐さんよね、引っ越したわ」
「引っ越した?」
伊藤夫人は周りを見渡し、雄二を手招きする。
そして耳元に小さい声で呟いた。
「...三年前に離婚しちゃったの」
「離婚?」
「知らなかったのね」
「はい」
縁切りした人間の現状など興味は無い。
戸籍を調べたら分かる事だが、それすら煩わしかった。
「日向は?」
「日向ちゃん?ああ...あの子はお婆ちゃんに引き取られたわ」
「そうですか」
義両親の事なんかどうでもいい。
ただ心配なのは日向の事だけ。
「五十嵐さんの奥さんがあっちこっちに借金しちゃってね、最後はマルチ商法にまで。
御主人も浮気でね、凄かったわよ日向ちゃん可哀想だったわ」
「でしょうね」
そう言いながら伊藤夫人は目を伏せる。
しかし頬が緩んでいるのを雄二は見逃さなかった。
親切心を見せているつもりだが、伊藤家の人間も雄二は信用していない。
「ありがとうございました」
頭を軽く下げ、実家から歩き出す雄二。
母が生きてる時からの知り合いだが、親切にされた記憶もない。
義母が雄二に大学へ行かずに働けと言った時も、一緒になって『恩返ししなさい』と宣った単なる噂好きの迷惑スピーカーな人だった。
「あ、ちょっと!
雄二さんの連絡先教えてくれない?
おばさん、あの人にお金50万円貸して返して貰って無いの」
「それは大変ですね」
証文も見せず、いきなり馬鹿馬鹿しい事を女は口にする。
雄二が五十嵐家と縁を切ったのは当然知っているだろうに。
「ちょっと薄情じゃない?」
「薄情ですか?」
「近所に対してよ!
こっちは出るとこに出ても良いのよ」
「なるほど」
本性を表す伊藤に雄二は笑顔で振り返った。
「全部録音させて頂きました。
これから知り合いに会いますから聞いて貰います」
「は?」
「では」
「ま...待って!」
追い縋る伊藤に雄二は再び振り返った。
「しませんよ、今はね。
ですが今後次第では考えますからね」
呆然と立ち尽くす伊藤に雄二は再度頭を下げた。
「やっぱり碌なもんじゃないな。
でも日向は心配だし」
そう呟きながら雄二は約束のホテルに車を走らせた。