第2話 追いかける義姉
「そっか、雄ちゃん受かったんだ」
母からの連絡を受けた五十嵐真莉紗。
それは弟の雄二が大学に合格したとの内容だった。
本当なら直ぐ雄二に直接おめでとうと祝福をしたい真莉紗。
しかし、もう叶わない。
その元凶は自分も含め、この家族にある事を知っていた。
『そうなのよ!
でも雄二ったらあの人に報告だけすると一方的に切っちゃったそうなの。
酷いと思わない?私達家族なのに』
「うん」
母から発せられた家族と言う言葉に、今さら何を言ってるの?
そんな怒りがこみ上げる。
大学に行かず働けと言ったのは貴方達夫婦ではないか、そう言いたい気持ちを真莉紗は懸命に堪えた。
『でね真莉紗、今月の仕送りの事だけど』
「分かってるよ、大丈夫だから」
家を出て大学の友人と共同生活を送る真莉紗。
生活費は実家からの仕送りで賄っていたが、この数ヵ月途絶えていた。
原因は母の浪費癖だと分かっていた。
それが最初の離婚原因だったからだ。
『そう、良かった』
電話の向こうでホッとする母の声、もはや怒りは感じない。
煩わしさから真莉紗は早々に話を切り上げる。
「それじゃ切るね、もう家庭教師の時間だから」
『あっ、ちょっと待ちなさい真莉紗。
お母さん来週お友達とランチに...』
まだ話足りない母の電話を切る。
実際に家庭教師をしているが、今日の授業は無い。
バイト代を集るつもりなのは分かっていた。
私立の医学部に通う真莉紗。
その学費は年間数百万、まだ卒業まで5年ある。
いくら特待生と言えども、金銭の負担は大変だった。
「学費はおばあちゃんが出してくれる約束だから大丈夫だけど...」
一人暮らしの祖母にこれ以上の負担は掛けられない。
生活費は全てバイトで賄う日々。
忙しい学業の合間に入れた沢山のバイトで真莉紗は疲労困憊だった。
「でも負けないよ。
雄ちゃんは塾に行かないでバイト浸けだったもん」
脳裏に浮かぶのは雄二の姿。
毎日休まずバイトしていた、それでもしっかり大学に受かったのだ、しかも国立大に現役で。
「おめでとう雄ちゃん...」
小さな声で呟く真莉紗。
雄二に電話はしない。
出来ないのだ、一年前の騒動から雄二との間に決定的な壁が出来てしまい、着信拒否をされてしまった。
真莉紗は必死で誤解を解こうとした。
『私は雄二に高卒で働けなんて言わないわ』
『分かってるよ姉さん。でも戻れないんだ』
悲しそうな雄二の表情に取り返しがつかないと実感した。
思い起こせば、雄二が家族に一線を引くようになったのは忌まわしい三年前の出来事からだった。
妹、日向の誕生日。
あの日は自宅で誕生日を祝うと聞いていた真莉紗。
雄二はバイトに行き、真莉紗も妹のプレゼントを家族で買いに行った。
しかし、プレゼントを買った後、車は自宅に帰らず、そのまま母の実家に向かったのだ。
『どうして家に帰らないの?』
『おばあちゃんがお祝いしてくれるって』
『おばあちゃんも日向の誕生日をお祝いしたいんだ』
楽しそうに話す両親。
チャイルドシートに座っている日向は何も分からない様子で笑っていた。
『雄ちゃんはどうするの?』
気になるのは弟の雄二。
バイト代で日向の為にプレゼントを買うのを知っていた。
雄二は秘密にしていたつもりだが、密かに妹が着る服のサイズを確かめていたのを見ていたのだ。
『後で来るから、大丈夫よ』
『そっか...』
母の言葉に不信を募らせる真莉紗が、携帯を持たない雄二と連絡は取れなかった。
『『『おめでとう日向!』』』
母親の実家で始まった誕生会。
そこに雄二の姿は無かった。
『あの、お父さん』
『なんだい?』
『雄ちゃんはまだですか?』
真莉紗が義父に尋ねた。
『そりゃ来られる訳無いよ』
『は?』
『雄二はこの家では他人だ、あいつだって肩身の狭い思いは嫌だろ?』
『そうよ、今日は家族水入らずでね』
酷い言葉に愕然とする真莉紗だが、嬉しそうな祖母の顔にそれ以上は言えなかった。
翌朝、眠れないまま帰宅した真莉紗が見たものは無造作にテーブルの上に置かれたプレゼントだった。
それを見た真莉紗は胸を握りつぶされる様な錯覚に陥った。
姿を現した雄二に何か言おとするが、諦めている彼の目に上手く言葉が出て来なかった。
後日、必死で謝る真莉紗に雄二は呟いた。
『仕方ないよ、姉さんが悪いんじゃない。
ね、日向』
『...雄ちゃん』
そう言って日向の頬を優しく撫でる雄二だった。
「考えてみれば、雄ちゃんは我慢ばかりだったな」
真莉紗の頬を涙が伝う。
彼女は雄二が好きなのだ、隠しきれない程に。
元々真莉紗が医学部を目指した切っ掛けも雄二から聞いた実の両親の死だった。
『...母さんも父さんと同じ病気が見つかって一年後に死んだ』
その言葉に雄二を失う恐怖、雄二の様に悲しむ人を助けたい。
真莉紗はそう考えた。
死に物狂いで望んだ大学受験。
残念ながら国公立の医学部には受からなかったが、なんとか特待生で私立医大に合格した。
『立派な医師になって、雄ちゃんと』
そう考えていた時に、あの騒ぎだったのだ。
「雄ちゃんが出ていった原因はアイツにもあるわ」
吐き捨てる真莉紗。
アイツとは雄二が高校時代に付き合っていた恋人、山本史佳。
雄二がバイトをしていたレストランのオーナーの娘。
店の手伝いをしていた史佳は同い年の雄二と17歳から付き合いだした。
その事を知った真莉紗の絶望は筆舌に尽くし難い物だった。
しかし、雄二に少しだけ明るさが戻り、真莉紗は何とか耐える事が出来たのだ。
何度か真莉紗は雄二のバイト先に客として顔を出した。
そこで見たのは派手なメイクをした史佳。
確かに綺麗な顔をしていたが、どう考えても雄二とは釣り合わない。
そう思ったが、真莉紗は雄二の恋を見守るしか出来なかった。
そんな雄二の恋は僅か一年で終わりを告げた。
史佳には将来を約束していた恋人が居たのだ。
その事実は雄二からで無く、彼の知り合いから聞いた真莉紗。
『仕方ない、未練はあるけどな』
雄二はそう呟いて笑ったそうだ。
史佳は最後まで『違うの!』そう叫んでいた。
「女の事なんかどうでもいいわ、それより雄ちゃんの居場所よ」
真莉紗はパソコンを立ち上げ、雄二の合格した大学名を検索する。
「雄ちゃんはどこに下宿するのかしら?
絶対に見つけるからね」
近隣の地図を見ながら真莉紗が呟く。
彼女には雄二との再会しか頭に無かった。