第1話 逃げる男
「あった...」
国立大学の合格発表。
自分の番号を見つけた五十嵐雄二は特に喜ぶ様子を見せるでなく、静かに呟いた。
「受かったよ、うん、ありがとう。じゃ」
雄二は携帯を取り出し、父親に合格を伝える。
電話口の向こうで合格を祝う父親の言葉を無視すると雄二は一方的に通話を切った。
「これで最後か、呆気ないものだな」
静かに着信拒否の設定をする雄二。
携帯のディスプレイには着信拒否の一覧が並んでいた。
母親、元彼女、そして父親。
「...みんな偽物だから仕方ないよ」
そう呟いた雄二は携帯を近くのゴミ箱に投げ捨てる。
ポケットから真新しい携帯を取り出す。
そこには大切な連絡先が数人登録されていた。
雄二の父親、彼は本当の父親では無い、実の父は15年前に病気で亡くなっていた。
そして母親も雄二の実母では無い。
産みの母は8年前に同じく病気で亡くし、彼は10歳にして両親を失ってしまった。
「これで養子縁組は解消だな」
10年前、実母の再婚に伴い、新しい父親の養子となった雄二。
その僅か2年後に実母を失った後も雄二と義父の養子縁組は解消されず、そのまま養父は3年後に新しい女性と再婚をした。
離婚歴のあるその女性には連れ子がいた。
雄二より一つ年上の真莉紗。
余所余所しく始まった義姉弟の関係だったが、1年も経つと、二人の関係は上手く行くようになり、義母と義父も二人の打ち解ける様子に安堵していた。
その関係が変わったのは、義両親が再婚から2年後に生まれた妹日向の存在。
義両親にとってお互いの血が繋がる唯一の子供。
雄二にとっても歳の離れた妹は可愛くない筈がなかった。
そんな雄二を襲った最初の悲劇は彼が15歳、妹が一歳の誕生日だった。
家族で祝う日向の誕生パーティー。
可愛い妹にプレゼントを買うため、数ヵ月前から雄二は新聞配達のバイトを始めていた。
幼少期からお小遣いを殆ど貰っていなかった彼が金を稼ぐ為にはバイトをするしか無かったのだ。
バイトの給料で買った妹の好きなアニメキャラのパジャマ。
妹の喜ぶ顔を楽しみに雄二が家に帰ると、自宅には誰も居なかった。
『あれ?』
不思議に思いながら家の中を探し回る雄二。
連絡を取ろうにも彼は携帯を持って無い、両親が彼に与えなかったのだ。
家の電話から両親の携帯に電話を掛けるが、留守番電話にきりかわる。
『一体どうなってるんだ?』
疲れた雄二がリビングのテーブルに座ると一枚の書き置きに気づいた。
[雄二、日向の誕生会を実家でする事になりました。
今日は泊まりますから、貴方は家に居るように。
母より]
『なんだよこれ...』
手紙の内容に唖然とする雄二。
母の実家は確かに雄二と血の繋がりは無い。
だが、事前に何も言わないのはやりすぎだ。
例えようもない孤独感が雄二を苛んだ。
翌日帰って来た家族は雄二のプレゼントを見て、若干の気まずさを感じた様子だったが、
『まあ、すまんな』
父親の言葉に雄二は諦めてしまった。
所詮他人だと。
姉は何かを言っていたが、もう雄二の心には届かなかった。
そんな雄二だが、勉強は出来た。
特別、塾に通っている訳でもない。
元々実の両親も国立大の出身だったから地頭が良かったのだろう。
雄二は地元で一番偏差値の高い高校に進学する。
『さすがは雄二、俺の息子だ』
『そうね、凄いわ』
『本当、私負けちゃった』
合格を祝う家族だが、両親の目は笑って無かった。
しかし携帯を持つ事を許してくれたのは雄二にとって何よりのプレゼントだった。
使用料は彼の貯めたバイト代からの引き落としだっだが。
高校生になると、雄二は沢山のバイトを掛け持ちする様になった。
進学を心配する声もあったが、彼には金が必要だったのだ。
『これ以上家族に迷惑を掛けられない』
育てて貰った恩。
全く血の繋がりの無い自分だが、ちゃんと部屋は与えられていた。
食事も、洗濯も、それだけで充分だ。
高校に入学した雄二にやがて恋人も出来た。
信頼する仲間、優しい彼女、こうして充実した雄二の高校生活は過ぎて行った。
しかし彼が高校三年になった昨年、事態は一変する。
それは義両親から告げられた一言。
『進学を諦めてくれ』
『そうよ、働いて私達に恩を返して欲しいわ』
『...どうして急に?』
『真莉紗の学費よ』
『私立の医大は金が掛かるんだ』
雄二は激しい衝撃を受けた。
確かに姉は医大に通っている。
しかし姉から祖母の実家から援助は受けているから大丈夫と聞いていた。
『分かりました』
もう何を言っても無駄なのか
全てを諦めてしまった雄二はそう頷いた。
『何を馬鹿な事を言ってるの!!』
その時、真莉紗が部屋に飛び込んで来た。
『私は特待生で学費は一部免除でしょ?
生活を圧迫される何て変よ!
ましてやおばあちゃんの援助もあるのに!』
『...それは』
『真莉紗は黙ってなさい、これは大人の事情なんだ!』
『黙るもんですか!』
姉と義父の激しい口論が始まった。
雄二にとって堪えられない時間、このままでは家族が崩壊する。雄二が静かに立ち上がった。
『僕が出ていけば良いんでしょ?』
『そんな雄二!』
真莉紗が叫んだ。
『でもあと一年だけ、お願いします。
大学に入れば、あの事は言いません』
『あの事って?』
『もしかしてお前...』
『実母の遺産ですよ』
『そんな物があったの?』
義母の顔が歪む、どうやら知らなかった様だ。
『お前、やっぱり知っていたのか...』
『ええ、貴方には僕の母が入っていた死亡保険と預貯金があったでしょ?
僕は一円も受け取って無い」
『...ぐ』
痛い所を疲れた義父が唸る。
雄二の母が遺した金は総額数千万以上はあったのだ。
それを全て手にしていた義父だが、株や先物で全て溶かしていた。
『その事は僕が大学に受かったら不問にします。それが条件です』
『分かった、頼むぞ雄二』
態度を急変させる義父。
対して真莉紗は辛そうに雄二の顔を見つめていた。
彼の頭にあるのはただ逃げる事、義両親と、義姉、義妹、そして元彼女から。