もう一度あなたの手を取れたなら
玄関から来客を知らせるチャイムが鳴った。
「はあい」
インターホン越しに母が愛想良く何か話している。
「はいはい、今行きますね」
「誰なの? 母さん」
「美哉、お前もおいで。お隣に引っ越して来た人だって」
玄関のドアを開けると、三十代らしき夫婦と小さな男の子が立っていた。
「今日隣に越してきた安積です。よろしくお願いします」
「まあまあご丁寧に。こちらこそよろしくお願いしますね。この子は娘の美哉、高校一年生です」
紹介されたので頭を下げ、挨拶をする。
「安積さんのお子さんはおいくつなの? 可愛いわねぇ。お名前は?」
「あづみれんです。しょうがくいちねんせいです」
「まあお利口さんだこと」
Tシャツに短パン、クリクリした目がやんちゃそうな子だ。その子が私を見るなり、指を差して言った。
「ママ! このお姉ちゃん、おはるちゃんに似てる! おはるちゃんってほんとにいたんだ!」
目を輝かせ、興奮して話す少年を安積ママはこらこら、と制した。
「すみません、この子、夢でよく見る女の子のことをおはるちゃんと呼んでいまして……蓮くん、お姉ちゃんは、おはるちゃんじゃないのよ。夢と一緒くたにしちゃダメ」
「えー、でもー……」
尚も食い下がる少年を、安積パパが抱きかかえて
「すみません、お邪魔しました。明日からよろしくお願いします」
そう言って安積家は帰っていった。
これが私と安積蓮の出会い。私は十六歳だった。
それから蓮はしょっちゅう我が家に遊びに来た。共働きの安積家は母親が帰ってくるのが午後六時半を過ぎる。学童保育から五時過ぎに帰ってくる蓮は、うちのピンポンを鳴らして入ってくるのだ。
「美哉ちゃん、僕のお嫁さんになってよ!」
蓮はいつもそう言う。夢の中に出てくる、私とそっくりだという『お春』とは恋人同士なんだとか。
「ボクたちいつも一緒にいるんだよ! 大きくなったら結婚しようねって言ってるんだ」
夢は毎晩見るわけではなく、月に一、二回らしい。そして見るたびに違う場面で、どうやら時間も進んでいると言う。
「だからさ、美哉ちゃんとボクも結婚するんだと思うんだ! 絶対、お嫁さんになってね!」
「でも蓮くん、蓮くんが大人になった時、私はおばちゃんになってるよ? それでもいいの?」
「いいの! 美哉ちゃんはおばちゃんになんかならないから。ずーっと可愛いから大丈夫!」
十も下の子供なのに、そう言われて私は顔が赤くなってしまった。今まで、他人から可愛いなどと言われたことがなかったからだ。
私は幼い頃から引っ込み思案で大人しく、友達を作るのも下手くそだった。地獄のような小中学時代を経て、今は高校でそれなりに過ごしている。進学校だからか、一人で行動する人が割と多く、私のようなぼっちでも浮かないのがありがたい。
母は毎日やってくる蓮にちょっと迷惑そうな顔をしているが、私は小さな友達が出来たことをけっこう楽しんでいた。
やがて蓮も成長し友達と遊ぶことが増えて、うちに来ることはなくなった。私は高校を卒業し、地元の国立大学に通っている。相変わらず友達は少ないけれど、勉強・バイトと忙しい毎日を送っていた。
私が大学三年の夏、珍しく蓮がうちにやって来た。
「美哉、明日って予定ある?」
ちょっとちょっと、久しぶりに会いに来たと思ったらいきなり呼び捨てなの? と思ったけどそんなこと本人には言えない気の弱い私。
「ううん、明日はバイト無いから家にいるよ」
「だったらさ、俺の試合見に来てくんない?」
あらー、もう自分のこと俺って言ってるんだ。昔はボクって言ってたのに……なんて感傷に浸ってたんだけど。
「ねえ聞いてる?」
強く促されてハッとして、思わず頷いていた。
「試合ってバスケの?」
蓮はスポーツ少年団に入っていて、平日の放課後と土日はバスケ浸けの日々を送っている。六年生になってキャプテンにも選ばれたと聞いた。
「うん。最後の大会だからさ、一度くらい美哉に見てもらいたくて」
声変わりをまだしてない蓮だが近頃少しハスキーになりつつある。私の顔を見ずにそう言った蓮に、つとめて明るく返事をする。
「いいよ、見に行くね。差し入れとか持って行こうか? チームメイトの分も」
「いや、それはいいよ。恥ずかしいし」
蓮は結局一度も私の顔を見ないまま、試合会場が書かれたプリントを置くとすぐに帰っていった。
(恥ずかしい、か……)
近所のお姉さんが見に来るのが恥ずかしいのかな。それとも、地味な見た目の私を紹介したくないのかな。それならなんで、見に来てなんて言うんだろ。いろいろ考えてるうちにすごく行きたくなくなってきたけれど、約束を破るわけにはいかない。
次の日、マスクと帽子、それにいつもの銀縁眼鏡を黒縁に替えて試合会場に向かった。ちょっと不審者ぽいが、仕方ない。
第一試合は十時だ。体育館の二階には人が一人通れるほどの通路が壁に沿ってあり、応援はそこからするようだった。二階に上るとチームの旗が通路の柵に取り付けられ、そこに保護者が固まって応援をしている。蓮のママの姿も見えた。
私は保護者たちからは離れ、サイドからそっとコートを見下ろした。ウォーミングアップを終えた蓮がコート中央に整列している。
蓮は最近背が伸びてきたが、それでもまだ大きな方ではない。チームでは三番目くらいの高さだ。身体は華奢ではあるが痩せ過ぎてもいない。そして顔は驚くほど小さく、今時の子らしいスタイルの良さだ。
(へえ、蓮ってカッコいいんだな)
純粋にそう思った。ポイントガードを務める蓮はコート上で誰よりも声を出し、指示をしてボールを回す。時には自分で切り込んでシュートを決めたり、外からスリーポイントを打ったり。さすがキャプテン、という感じだ。
女の子ファンもいるようで、蓮が決めるたびに黄色い歓声が上がる。
(すごい、キラキラしてるなあ……私の小学生時代と全然違う)
一試合目は圧勝し、その後順調に勝ち進んだ。そしてあと一回勝てば明日の準決勝に進めるという試合で蓮たちは負けてしまった。
相手チームは大きな子が揃っていて、高さの壁にやられたようだ。点差はそれほどなく、あと少しシュートが決まっていれば……という感じだ。
「ありがとうございました!」
最後の挨拶が終わり、コートから引き上げる時、蓮がこちらを見上げた。
悔しいのか目を真っ赤にした蓮は、私に片手を上げて『サンキュ』と言った、気がした。
その夜、八時を回ってから蓮がやって来た。
「ごめん、遅くなって。打ち上げ行ってたから」
玄関先でポケットに手を突っ込み、所在無げに俯いて蓮は言う。
「お疲れ様。蓮くん、すごくカッコ良かったよ」
「でも明日の準決勝行けなかった。ホントは、優勝するつもりだったんだ」
「悔しいね。でも本当に、蓮くんとっても上手だったし、まだまだこれからだよ。中学行っても続けるんでしょ?」
「うん、そのつもり。次は、決勝戦を見せられるように頑張るよ」
「楽しみにしてるね。そうそう、蓮くんすごく女の子に人気あるんだねー。声援が凄かったよ」
「うるさいんだ、あいつら……」
そう言うと蓮は俯いて黙ってしまった。
(嫌な話題だったのかな? どうしよう、私もうるさいと思われるかな……)
私は昔からそうだ。人と話す時にどう思われるか、そればかり考えてしまって上手く言葉を紡げない。沈黙が訪れても何も言えず、黙ってばかりだ。
「あのさ、美哉」
不意に顔を上げて蓮が言った。
「就活、もうすぐだろ? 都会に出てくのか?」
「……ああ、就職? ううん、こんなに人見知りなのに、都会でなんてやっていける自信がないもの。地元で、自宅から通える所にしようと思ってる」
「……そっか」
蓮は安心したように顔をほころばせて笑った。こんな顔を久しぶりに見たような気がする。
「じゃあ、またいつか見に来てくれよな。今日はホントにありがとう。お休み」
「うん、お休み」
翌年、四年生になって就活を始めた私は、無事に地元の企業に内定を貰った。そして社会人になり、慣れない仕事に四苦八苦しながら毎日の業務をこなしていった。
蓮とは顔を合わすことがほとんどなくなった。部活の朝練や遠征、塾などで朝から晩まで忙しそうなのだ。
時々見かける蓮は身長が高くなり、顔もますます格好良くなった。オシャレにも気を使っているみたいだし、かなりモテていてバレンタインの時期には女の子が何人も安積家の門の前をウロウロしている。
ある日、私が残業で少し遅めに帰って来た日、安積家の前で蓮と女の子が話しているのが見えた。
(わあ……邪魔をしないようにしなきゃ)
私は下を向き、そそくさと二人の横を通り過ぎようとした。
「俺が好きなのはあの人だから」
その時、蓮のハッキリとした声が聞こえた。
「ええ? ちょっと待ってよ蓮。あんなの、おばさんじゃない!」
「なんだと?」
蓮から怒りの気配が伝わる。私はちょっと足を止めたが、怖くて家に飛び込んだ。
二階の自室からそっと覗くと、まだ二人は揉めていた。何と言っているかは聞こえなかったけれど。
やがて、女の子は泣きながら自転車に乗って帰って行った。蓮は首を振りながら家に入ろうとして後ろを向き……顔を上げた。
(あっ……)
私は慌ててカーテンを閉めたけど、目が合ったような気がする。
(覗いてたのバレたかもしれない)
蓮が事のあらましを説明しに来るかと思ったけれど、それはなかった。
(彼女の告白を断るためにあんな事言ったんだろうな。それにしても、十歳も上なんだからそりゃあおばさんだよね。告白を断る理由にするには無理がありすぎるよ、蓮……)
十五歳と二十五歳。この年の差は一生変わらない。美哉ちゃんはおばちゃんになんかならない、蓮は昔そう言ってくれた。でも現実は……。
(蓮が今の私の歳になる頃、私は三十五。お嫁さんにはしてくれないわよね)
馬鹿げた考えに自分でも可笑しくなって笑った。
それからまた月日は流れ、蓮は高校三年生になり私は二十八歳になった。
「ねえ美哉、お見合いの話が来てるのよ。ちょっと会ってみない?」
唐突に母が釣書を持ってきた。
「ほら、美哉もそろそろ三十代が見えてきたじゃない? なのに彼氏の一人も連れて来たことがないし。このままほっといたら結婚なんてしそうも無いからね」
「だって母さん。私、知らない人と話すの苦手なんだもの。お見合いなんてその最たるものだわ」
「大丈夫よ。相手もきっとそんなタイプだからお見合いしようとしてるんじゃないの? 会うだけでも会ってみなさいよ。別に断ってもいいんだし、かしこまった形式じゃないから」
ほらほら、と釣書と写真を広げて見せる。
「この人、東京の〇〇大学出てるんですって。それから地元に戻って〇〇会社にお勤めでね。次男だからうちに婿養子になってくれるんじゃない? 顔も悪くないし、どう?」
確かに、ずっと地元にいたい私には最適な条件に思える。顔も、そんなに悪くない。というか、なんだか懐かしい感じがする顔だ。何故だろう?
「美哉の成人式の振袖写真を渡したらね、先方は凄く気に入ってくれて。ぜひ会いたいと言って下さってるのよ。ね、会ってみましょうよ」
「……わかった。会ってみる。でも結婚するかどうかは別よ」
「もちろんよ。気に入れば、でいいんだから。じゃあ返事しておくわね」
母はすっかりご機嫌だった。今まであまり結婚をせっつかれた事はなかったが、やはり一人娘の行き遅れを気にしていたんだろう。
(結婚かぁ……他人と一緒に生活するのってどうなんだろう? そもそも、誰かと付き合ったこともない私なのに、いきなり結婚話なんて荷が重いわ)
それでも、その日はやって来た。お見合いのために母が奮発してくれたワンピースに身を包み、化粧もいつもよりは濃いめにした。
「あらあ、やっぱりいいじゃない。いつも美哉は地味にしてるから勿体ないと思ってたのよね。せっかくだからコンタクトにしておけばよかったわねえ。そのワンピースに眼鏡はなんだか野暮ったいわ」
「いいのよ、眼鏡で。もう私の顔の一部なんだから」
普段より高いヒールを履き玄関を出ると、ちょうど家から出てきた蓮と出会った。背が高くて顔の小さい蓮は、流行りの服をモデルのように着こなしている。
「あら蓮くん。お出掛け?」
「あ、はい。ちょっと友達と映画を観に。それよりどしたの、美哉。お洒落して」
母は待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべて言う。
「うふふ、この子ね、今からお見合いなのよ」
「お見合い?」
「そう。写真を見た相手がすごく気に入ってくれててねえ。美哉さえその気になれば結婚するかもしれないわ」
蓮の顔が曇った。だが母はそれに気づかず、相手の話を続けている。
「もう、母さんたら。いいから、早く行きましょう」
「はいはい。じゃあね、蓮くん」
私はそれ以上蓮の顔が見れず、母の背中を押して駅への道を急いだ。
待ち合わせのホテルのコーヒールームには相手の男性と母親、そして仲人協会の人が和やかに談笑しながら待っていた。
「ごめんなさい、遅くなって」
「いえいえ、神野さん。私たちが早く着き過ぎちゃったんだから気になさらないで」
仲人協会の人は山本と名乗り、母より少し歳上のようだ。既に母とは面識があるようで、流れるようにスムーズに紹介され、そのまま五人で話を続けた。私以外の女性陣は皆喋り好きで、話題が途切れることはない。おかげで気がつけば私と男性とは何一つ話していなかった。
「あらあら、もうこんな時間。では、そろそろ私たちは退散致しましょう。光一さん、美哉さん、ホテルのお庭でも散策して。その後場所を移すならご自由に。ゆっくりとお話ししてね」
母たちはまだ賑やかに喋りながら店を後にした。
(よくあれだけ喋ることがあるものね……)
半ば呆れながら見送っていると、その男性、大川光一が呟いた。
「まったく、よくあれだけ喋ることがあるもんだ」
私は思わず彼の顔を見つめ、吹き出してしまった。
「あれ、僕何かおかしな事言いましたか」
「いえ、私も同じことを思っていたので」
光一も私の目を見て笑い出した。
「良かった、なんだか気が合いそうですね。実は僕、美哉さんの写真を見て一目惚れしちゃったんですよ。お見合いなんてずっと断ってきたのに、この人には絶対に会わなくちゃ、と思って」
「あ……ありがとうございます。私なんかでいいんですか?」
「もちろん! お会いして、物静かな雰囲気にますます惹かれています。ぜひ、良い返事をしてもらいたいと思ってますよ」
とりあえず場所を移そうと光一は提案し、庭から出口へ向かおうとした時、植え込みの陰から蓮が飛び出して来た。
「美哉!」
「ええ⁉︎ 蓮くん⁉︎ 」
蓮は無言で私の手首を掴むと、そのまま走り出そうとした。
「ちょ、ちょっと蓮くん! どうしたの⁉︎」
「何だ、君は! ちょっと、待てよ」
ヒールを履いている私は上手く走れず、光一にすぐ追いつかれてもう片方の腕を取られた。
「彼女は今僕とお見合いしてるんだ。誰だか知らないが帰ってもらえないか」
蓮は私の手首を掴んだまま、怖い顔で光一を睨んだ。
「……美哉に気安く触るな」
蓮から溢れ出る殺気のようなものに、光一は一瞬怯む。
「なっ……」
「もう一度お前に奪われたりなんかしない。その手を放せ」
光一は今度は怒りで顔が真っ赤になった。
「美哉さん。これはいったいどういうことですか? 彼はあなたの何なんですか」
「あの、蓮くんは私のお隣さんで……」
「俺は美哉と結婚するんだ。後から出てきて余計なことするな」
あまりにも意外な言葉で、私はただただびっくりして蓮を見上げるだけだった。
「美哉さんは驚いているじゃないか。片想いか? 一人で勝手なことを言うんじゃない。君はまだ学生だろう」
「俺はずっと前から美哉に言ってある。俺と結婚してくれって」
「そんな、蓮くん、あれは子供の時のことでしょ……?」
「子供の時からずっと本気だ。俺もやっと十八になった。もう結婚出来る歳なんだ。美哉、結婚してくれ」
もう、何がなんだかわからない。どうしたらいいのかも。
「美哉さん、私の釣書見てくれましたよね? 私はあなたを養って幸せにしていく自信があります。どうか、私を選んで下さい。こんな子供のたわ言を鵜呑みにしちゃダメです」
そう、確かに光一は条件が揃っている。いい人だとも思う。結婚するならこんな人がいいんだと頭ではわかっている。でもーー
「ごめんなさい。大川さん。私も蓮くんが好きみたいなんです」
私は頭を下げて謝罪し、呆然としている光一に背を向けて蓮と一緒にその場から離れた。
「蓮くん。蓮くん、ちょっと待ってよ。ヒールで足が痛いのよ……」
蓮はハッと気がついたように手首を掴んでいた手を離し、立ち止まった。
「ごめん……美哉。靴ずれしちゃった?」
「ううん、そこまでではないけど……走るのは難しいわ」
「ちょっとそこの公園で休もう」
「そうね、ベンチもあるし……って、きゃあっ!」
いきなり、蓮は私を抱き上げた。
(人生初のお姫様抱っこ?! 恥ずかしすぎる、人目があるのに……)
「蓮くん、大丈夫だから下ろして! 恥ずかしいよ……」
「駄目だよ。足痛いでしょ。歩かない方がいい」
私は観念して顔を隠すように身体を預けた。こんなに若くて綺麗な子が、私なんかを好きだなんて……本当に信じてもいいんだろうか。
公園に入り、奥のベンチに蓮は私をそっと下ろした。
「足、どう? 赤くなってる?」
「うん、少しね。でもまだ靴擦れって程ではないわ。ゆっくり帰れば大丈夫」
「そっか。良かった」
公園の木々を風が優しく揺らす。しばらく私たちは黙ったまま、揺れる枝を見つめていた。
「あのさ、さっきの」
「うん? さっきの、何?」
「あのさ、美哉が俺のこと好きって言ってくれたの……あれ、本当?」
そう。あれは、自分でも意外で……今でも、あんな事言ったのが信じられない。十歳も年下の高校生のことを好きだなんて! でもあの時は本当にそう思ったのだ。
「うん……本当よ」
蓮は胸に手を当て、目を瞑ってじっと何かを考えていたが、やがて口を開いた。
「ありがとう……美哉、夢みたいだ」
声が掠れている。まるで泣いているかのように。
「でも蓮くんこそ、私を好きだなんて本当なの? 私、ニ十八だよ?」
「歳なんて関係ない。前から言ってただろ? お嫁さんにしたいって」
蓮は私の顔を正面からじっと見つめた。前から思っていたけど、蓮は本当に綺麗な顔をしている。
「美哉はさ、俺の運命の人なんだ。俺の前世での恋人」
「えっ? もしかして『お春』さん?」
蓮は頷いた。
「俺は勘太って名前の町人で、子供の頃から仲良くしてたお春とは将来を誓った仲だった。だがとある大店のドラ息子がお春に横恋慕してさ。金にモノを言わせてお春を奪い取ったんだ」
「さっき、もう一度奪われたりしないって言ってたけど……」
蓮は顔をしかめ、吐き捨てるように言った。
「あの男はそいつの生まれ変わりだ。あの顔は間違いない」
そんなバカなことがあるんだろうか? 前世で因縁のあった三人が、再び交わってしまうなんていう偶然が。
「本当はちゃんと就職して金を貯めて、美哉にふさわしい男になってから告白しようと思ってた。でも見合いするって聞いたから……気になって後をつけて来たんだよ。そしたら見合い相手があいつだったから、もう黙って見てるわけにはいかなかったんだ」
「でも、私と大川さんは同い年なのに、どうして蓮くんは年下なのかしら」
「二人は結婚した後に火事に巻き込まれて死んだんだ。俺が死んだのはその十年後。だから、十歳差があるんだと思う」
光一とは前世で会っていたから、釣書の写真を見た時に懐かしい気持ちがしていたのか、と私は腑に落ちた。
「前世を思い出したのは蓮くんだけよね?」
「たぶん。でもアイツは、思い出していなくても美哉のことがやはり好みなんだ。一目惚れだって言ってたもんな」
大きく息を吐き出すと、蓮は私の手を取った。
「美哉。俺、ちゃんと大学行って、就職する。だから、すぐに婚姻届を出そう」
「でも、蓮くんまだ若いのに。大学を出てもまだ気持ちが変わってなかったらでいいよ。蓮くんの可能性を縛りたくない」
「駄目だよ。その間に美哉を他の人に取られたら死んでも死にきれない。一刻も早く結婚したいんだ。今日、ご両親に挨拶に行く。お嬢さんを下さいって」
私は、とても嬉しかった。ずっと抑えていたこの気持ちを、もう隠さなくてもよくなったんだと思って。
それから親を説得するための紆余曲折はありながらも、私たちは婚姻届を出し、蓮が大学に行く間私は仕事を続けた。とりあえず住む場所は安積家にしたが、隣という利点を生かして両方を行ったり来たりして過ごしていた。
そして四年後、蓮は就職し、ようやく私たちは実家を出て二人でアパートを借りた。二人きりの新婚生活がようやく始まったのだ。その時蓮は二十三歳、私は三十三歳になっていた。
十歳の歳の差はもちろん感じることもあるけれど、蓮はとても私を大切にしてくれる。前世でお春を失った後悔を、私を大事にすることで無くしていこうとしているみたいだ。
そうして幸せに過ごしていたある日、私は夢を見た。
家が……平屋の家が燃えている。そして目の前には丁髷に着物姿の、蓮と同じ顔をした男が血のついた刃物を持ってうっすらと微笑んでいる。私の足元には血塗れの……大川光一と同じ顔の男が倒れていた。
「きゃあーーーーっ!!」
目の前で勘太が人殺しをしたショックで『お春』は泣き叫んでいた。
「お春、こっちへ来い! 家が焼け落ちてしまう!」
「嫌よ、勘太! あんたが怖い。この人に復讐するために火付けという大罪を犯し、しかも刃物で殺すなんて……怖い! 一緒には行けない!」
「何を言うんだお春! 俺たちが一緒になるにはもうこれしかないんだ。二人で逃げよう! さあ、こっちへ! 逃げられなくなっちまう」
「イヤ……怖い……」
「早く! お春、早くするんだ!」
お春はようやく、勘太の方へ震える手を伸ばした。その瞬間。
「お春ーーーー!」
柱が倒れ、屋根が焼け落ち、そのままお春の意識はなくなった。
「……ハッ!」
私は飛び起きた。全身にビッショリと汗をかいている。蓮は横でグッスリと寝ていた。
(思い出した……)
そうだ。あの火事の火は、勘太が付けたのだ。そして逃げ出そうとした夫を包丁で刺し殺し、私を連れて逃げようとした。
(でも私は、怖くて。ためらっているうちに、焼け落ちた柱で動けなくなり死んだ。私を失った勘太は、それから十年間生きていたのね。蓮は、その事を……自分が人を殺した事を覚えているんだろうか?)
安らかに寝ている蓮の髪を、起こさぬように優しく撫でた。
(覚えていても、いなくても。私は蓮を愛してる。前世で取ることが出来なかったあの人の手を……私はもう離したりしない)
いつの間にか蓮が目を覚ましていた。
「おはよ、美哉」
「……おはよう、蓮」
私たちはそっとキスを交わした。