3 婚約式
翌月、霧月下旬十曜日。首都パデレシチにある聖十字大聖堂で王太子スタニスワフとポニャトフスキ公爵令嬢カトレインとの婚約式が行われた。
いつもは荘厳な雰囲気の大聖堂だが、この日はまだ幼い二人のために薄紅色の花々で可憐に飾り付けられた。
カトレインはロウィニアの伝統的な衣装に身を包んでいた。胴部と袖に華やかな刺繍が入った細身のドレスは胸元で切り替えがあり、少女のすっきりとした優雅さを引き立てていた。
並んで聖典に手を置き祝福を受ける時、隣に立つスタニスワフは婚約者の胸元までしかなく、嫌でも二人の年齢差を印象づけることとなった。
参列者は好意的なポニャトフスキ公爵家の派閥と水面下で対立してきたチャルトルィスキ侯爵家の派閥に別れていた。
当然ながら前者は微笑ましい婚約者だと賛美し、後者は幼い王太子を意のままにするつもりかと批判的だった。
「可愛らしい一対ですわね」
「子供の成長は早い。すぐに似合いの夫婦になるだろう」
「これは『御一門』の権力を見せつけるだけの場だな」
「殿下もお気の毒に」
それらの言葉を打ち消すように、大司教クレメンスが重々しく宣言した。
「これでお二人は正式に婚約者となられました。聖光輪十字の祝福を」
人々は一斉に大司教の掲げる聖光輪十字に向けて頭を下げ、祝福の祈りを唱えた。
大聖堂からスヴェアルト宮殿に移動した二人はすぐに着替え、晩餐会に出席した。
国王リシャルドが幼い婚約者たちにねぎらいの言葉をかけた。
「これで王太子も伴侶を得た。ポニャトフスキ公爵令嬢であれば、よき王太子妃、王妃となれるであろう」
「はい、父上」
「殿下を支えていけるよう精励します」
神妙に答える二人に国王は目を細めた。そして自分の傍らに王妃がいないことに寂しげに視線を漂わせた。
そこにすり寄るように発言したのはチャルトルィスキ侯爵エウゲニウシュだった。ちらりと政敵であるポニャトフスキ公爵に視線を走らせ、わざとらしく朗らかな声を出す。
「陛下、最近の冷え込みは体調を崩しやすくなるもの。南方大陸寄りの薬草が手に入りましたので、ヴェロニカ様にお届けしました。後宮においでの際はぜひお試しを」
側室ヴェロニカ・ブラウエンシュテットの元に行くよう仕向ける露骨なやり口にポニャトフスキ公爵はわずかに眉を上げた。隣の公爵夫人イザベラがそっと夫を宥め、娘に向けて心配ないと笑顔を向ける。
病床の王妃をないがしろにするような言動にカトレインは内心憤ったが、それよりも気掛かりなことがあった。
そっと隣を見るとスタニスワフは戸惑ったような顔をしていた。彼の表情が大人たちの険悪な雰囲気に対するもので、後宮の生臭い駆け引きには気付いて言いない様子にカトレインは安堵した。
テーブルに並んだ料理へと、公爵令嬢は婚約者の意識を誘導した。
「マルケヴァのソテーですね」
肉料理に添えられた根菜を見て王太子は難しい顔をした。栄養はあるが独特の風味がある野菜が苦手なのだ。それでも、隣で好き嫌いなく食べている婚約者にちらりと視線を走らせ、勇敢にも一口で頬張った。
クリマ酒ではなく葡萄の果実水を、カトレインは王太子に差し出した。薬を飲むように果実水で野菜を喉に流し込み、スタニスワフは幼い威厳を保った。
微笑むカトレインにスタニスワフは小声で言った。
「ロステン夫人が、婚約者ができたから野菜を残したら駄目だって」
「少しずつでいいのですよ、無理をしなくとも」
優しい言葉は有り難いが、王太子としては素直に受け止められない。テーブルに居並ぶ高位貴族夫妻と自分たちが違うことが身に染みて感じられたからだ。
ただ子供というだけではない。どの夫妻も夫人は自然と夫に付き従いその権威に照らされているように思えた。自分たちとは正反対に。
突き詰めれば『早く大きくなりたい』という願望が膨れ上がるばかりのスタニスワフだった。
カトレインは婚約者と談笑しながらも、周囲からの視線に気を緩めなかった。好意的な者ばかりではないことも知っている。嘲笑うような笑い声をたてる者にはあえて視線を合わせて微笑を向けた。
彼女が頭を動かせるたびに、鹿毛色の髪に乗せられたティアラの大粒ダイヤが揺れて虹色の輝きを放つ。社交界デビュー前の少女であっても公式の場で恥ずかしくない装いができることを見せつけ、ポニャトフスキ公爵令嬢は見世物にするならどうぞと言わんばかりにスタニスワフと笑い合った。
表面上は和やかに晩餐会は終了し、人々は席を立って退出する国王リシャルドを見送った。その背後にぴったりとチャルトルィスキ侯爵が張り付いていることから、国王が侯爵にあらがえずに後宮で過ごすのだろうと誰もが予測した。
――こんな時くらい、スタシェク様の側にいてくだされば……。
苦々しい思いでカトレインは国王から目をそらした。スタニスワフの方はいつものことと気にも留めていない。少年はどうすれば婚約者を立派にエスコートできるかという難題で頭がいっぱいだった。
やがて王太子とその婚約者の退席の順番がやってきた。スタニスワフはカトレインの手を取り、並んで歩き出す。
奧宮への回廊で彼は公爵令嬢と向き合い、礼儀正しくその手にキスをして別れを告げた。
「おやすみなさい」
「また、明日」
淑女の礼をしてカトレインが答えると、王太子は嬉しそうに頷いた。ロステン夫人を始めとした王太子付きの女官たちは幼い婚約者たちを温かく見守った。
奧宮の寝室で就寝の準備をしていたスタニスワフは、しきりにつま先立ちのように背伸びをした。彼の乳母、ロステン夫人が怪訝そうな視線を向けると、王太子は大真面目に尋ねた。
「あと何回寝たら追い越せるのかな」
正式な婚約者になったばかりの公爵令嬢の背丈に追いつきたいのだと察し、ロステン夫人は笑いを堪えて答えた。
「焦らずとも、すぐに背が伸びる時期になりますよ」
今伸びたくて仕方ないスタニスワフは、不満顔をしながらも渋々納得した。生まれた時から世話をしている夫人は慣れた様子で少年を宥めた。
「それには夜にしっかりお眠りにならないと。成長するために睡眠は大切ですからね」
素直に天蓋付き寝台に横たわった王太子に、彼女は優しく告げた。
「今日はご立派でした。国王陛下も王妃様もお喜びだったでしょう」
「うん」
何年も顔を見ていない母親の笑顔を思い浮かべ、スタニスワフは目を閉じた。