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23 崩落

 モルゼスタン騎兵が消えると、スタニスワフは走り出した。その先にあるのは蒸気車(改)だった。


 牽引ロープを外していたレフ・グレツキは、突然の駆動音に仰天した。

「殿下!」

 護衛が慌てて乗り込もうとするが、急激な加速に蒸気車(改)は雪上で一回転し爆走を始めた。護衛が橇で追うも到底追いつけない。

 取り残された少年たちは呆然とした顔を見合わせた。


 王太子は雪上仕様の蒸気車(改)の運転席で正面を見据えた。何としても馬の足跡が消える前に、日が沈む前に追いつくことしか少年の頭にはなかった。彼は迷うことなく赤いボタンを押した。




 後方を振り向くと景色は白一色だった。絶望に呑み込まれそうになるのをカトレインは懸命に堪えた。

 セルゲイの馬に寄せたモルゼスタン騎兵が彼に問いかけた。

「我々は先行しましょうか?」

 小柄なブシバルスキ馬に二人乗りは負担になる。行軍速度を落として他の傭兵部隊と合流できなくなることを恐れての質問だった。亡国の王子は頷いた。

「そうしてくれ」

「ではお先に、アナトーリィ様」


 聞き慣れない呼び方に、公爵令嬢は思わず彼を見上げた。

「…あなたは誰なの?」

「モルゼスタン王家の者だ。……庶出の」

「何故こんなことを」

「この作戦を成功させれば、モルゼスタン復興の足がかりになる」

「ナタリア様のご子息に危害を加えてでも?」


 一瞬青灰色の瞳が揺らいだが、すぐに鋭さが戻った。後方から微かに爆音が響き、やがて音は急速接近した。

 雪の中から橇を履いた蒸気車が現れた。運転席にいるのは枯草色の髪をした少年だった。公爵令嬢は思わず叫んだ。

「スタシェク様!」

 蒸気車(改)は猛然と馬に併走した。

「カトラを返せ!」


 怒鳴る王太子に、若い叔父は舌打ちすると馬の向きを変えた。森を抜けた先の崖沿いをまだら馬は走った。追ってくるスタニスワフに、アナトーリィは冷酷な表情を見せた。

「この子が消えれば、殿下は御一門の後ろ盾を失う」

 今にも少女を谷底に放り捨てかねない態度に、スタニスワフはかつてない怒りで爆発寸前だった。

「…カトラを傷つけたら殺す」


 十歳の少年の眼光は叔父を威圧した。忌々しそうに亡国の王子は鞍に装着した銃を抜いた。カトレインは咄嗟に胸元の大振りなブローチをむしり取り、男の腕に力一杯ピンを突き刺した。

「つっ!」

 さすがに怯んだ腕を振り払い、公爵令嬢は馬の背を蹴るようにして蒸気車に飛び移った。スタニスワフが彼女の腕を掴み、勢いのままにカトレインは後部席に転がった。

「大丈夫?」

「……はい」

 背中を打って呼吸が止まる思いがしたが、どうにか彼女は答えた。


 まだら馬が竿立ちになり、アナトーリィは振り落とされる前に馬から飛び降りると銃を構えた。

 蒸気車(改)の後部で銃弾が跳ねた。思わずスタニスワフが伏せると操縦桿を動かしてしまい、蒸気車(改)が崖の方に滑った。懸命に山側に向きを変えて全開にする。

 必死で崖から離れようとする蒸気車の運転席をアナトーリィが照準に捕らえた。引き金を引こうとした時、何かに足を引っ張られた。見れば転倒した馬の手綱が彼の左足首に絡まっている。

 外そうとしたが馬は恐慌状態で暴れ、制御を受け付けない。馬体が崖へと滑り、馬のいる場所の雪が崩れた。

「…やめろ、おい……」

モルゼスタンの王子は必死で雪を掴むも、谷底に落下する馬に引きずられ崖から滑り落ちる。

 目と口を極限まで開いた驚愕と恐怖の表情で、彼は谷間に吸い込まれていった。


 ようやく山腹に登った蒸気車(改)で、スタニスワフはその叫び声を聞いた。

「叔父上……」

 呆然とする間もなく、異変を察知して引き返してきたモルゼスタン騎兵が彼に銃弾を浴びせた。

「伏せて!」

 後部席の婚約者に叫ぶと、王太子は蒸気車(改)を旋回させた。大きな蒸気車は小回りが利かず、森の中では不利だった。銃弾が数発雪上車に命中し、何かが壊れる不吉な音がした。モルゼスタン騎兵が包囲するかと思えた時、再度状況が激変した。


 山頂方向から新たな銃声が加わった。それは確実にモルゼスタン騎兵を狙撃し、一騎また一騎と落馬していった。

「あれは……辺境守備隊?」

 白い外套に身を包み、スキーで雪山を自由自在に移動する狙撃部隊が駆けつけたのだ。

「もう大丈夫だよ」

 後部席の公爵令嬢にそう言って、スタニスワフは蒸気車(改)を止めようとした。だが、すぐに異常に気付いた。

「止まらない」


 被弾で制御装置が壊れたのか、全く減速できなくなっていた。どこかの雪だまりに突っ込んで止めようかと考えたが、プロペラの方向舵も効かない。蒸気車(改)は雪山を崖に向けて恐ろしい速度で滑降した。

「殿下!」

 体当たりしてでも車の向きを変えようとした狙撃隊は、別の傭兵部隊が接近するのを察知した。

 応戦する間に王太子の乗る雪上車はどんどん谷間に向けて疾走する。


 スタニスワフは目測で対岸との距離が最も狭く端に勾配が付いている箇所を見つけ、そこに導こうと操縦桿を必死で押した。

「しっかり掴まってて!」

 後部席に向けて怒鳴り、赤いブーストボタンを殴るように押す。

 蒸気車(改)は最高加速で崖から飛び出した。車体は放物線を描いて対岸の崖上に突っ込むように着地した。加速に耐えきれなくなったプロペラが崩壊し、蒸気車(改)は激しくスピンした。二人は遠心力で雪の上に放り出され、車は大木に叩きつけられた。

 限界を超えたボイラーが爆発し、大音響が山と谷間に轟いた。


 よろよろと立ち上がったスタニスワフはカトレインに手を貸した。

「大丈夫?」

 声も出ない様子の公爵令嬢を支えた時、山脈に異様な音が湧き起こった。対岸の山頂付近の積雪が崩れ、雪崩となって斜面を滑り落ちた。

「退避だ!」

 辺境守備隊は数箇所に設けられた避難地点へと急ぎ難を逃れたが、モルゼスタンや他の傭兵部隊はうろたえるばかりだった。やがて彼らは雪に呑み込まれ、そのまま谷間へと落ちていった。


 言葉もなくその光景を見ていた二人は、こちらの山でも地響きがするのを感じた。

 急いで近くの岩棚に逃げ込んだ直後に、彼らの側を雪崩が通り過ぎた。しばらくして周囲が嘘のように静まりかえり、二人はそろそろと岩の陰から出た。対岸の山頂付近の雪が抉られたように消えており、侵入者は影もなかった。


 スタニスワフは雪の中でうずくまる婚約者に声をかけようとした。しかし、彼女の口から漏れる地を這うような声に王太子は固まった。

「……スタシェク様」

 カトレインは見たこともないほど据わった目を彼に向けていた。金色を帯びた琥珀色の瞳で婚約者を睨み上げ、公爵令嬢は宣言した。

「私、金輪際、二度と、蒸気車には乗りませんからね!」


 王太子はかくかくと頷くしかなかった。彼女は続けざまに糾弾した。

「それに、一人で追跡するなど危険な真似はおやめください! 護衛も命がいくつあっても足りませんから! それに…、それに……」

 肩で息をしながらカトレインは叫ぶように言った。

「忘れました!」


 そしてスタニスワフに腕を伸ばすなり、彼を思いきり抱きしめた。

「……あなたがご無事なら、それでいいの」

 震える彼女の背中に腕を回し、ようやく王太子は声を出すことが出来た。

「僕は大丈夫だから。泣かないで、カトラ」

 前にも同じようなことがあったが、一人で泣くより今の方がいい。少年にはそう思えた。


 対岸の崖付近に辺境守備隊が集合し、王太子に向けてそこにいてくださいと呼びかけた。

 国境地帯を襲った傭兵部隊は短時間で殲滅されることとなった。

公爵令嬢、逆ギレの回。

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