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18 演習

朝夕は息が白くなる中、国境守備隊の山岳演習が始まった。

「演習は狩猟形式で行います」

 王太子たちに説明してくれたのは指揮を執る中隊長だった。守備隊は銃を背負って騎乗している。乗馬ができるスタニスワフとトマシュ、グスタフは小柄な馬に単独で乗り、アンジェイとレフは守備隊員の馬に一緒に乗せてもらった。


 カトレインはスタニスワフの馬に近寄り、彼に一枚のハンカチを差し出した。

「これを使ってください」

 王太子の家紋と頭文字、それに薄紅色の花を組み合わせた刺繍を見て、彼はぱっと目を輝かせた。婚約者の手を取って感謝の言葉を贈りたかったが、演習中だと思い出し儀礼に則りハンカチにキスをして上着に収めた。


 その様子に微笑んでいたカトレインは、守備隊の中に小柄なまだら馬の一団がいるのに気付いた。

「あれは…」

 その中に知人を見つけた王太子が馬を寄せた。

「叔父上も参加されるのですか」

「ザモイスキ伯のご厚意で、ご一緒させていただきます」

 セルゲイ・ブロンスキィがいつもの秀麗な笑顔を見せていた。


「変わった馬ですね」

 珍しそうにスタニスワフが言うと、亡国の王子は懐かしそうに言った。

「モルゼスタン原産のブシバルスキ馬です。馬格はやや小さいですが機敏で忍耐強く、疲れ知らずで走りますよ。我々の先祖はこの馬で草原を支配しました」

 目を丸くしていた王太子はぽつりと言った。

「母上もこの馬に乗っていたのかな」

「馬術の巧みな方でした」


 少年は頷くと、仲間の元に戻っていった。彼の婚約者が離れた場所から見ていたことに気付き、セルゲイは帽子を取って礼をした。カトレインはお辞儀をすると、バルバラがいる天幕に入っていった。

 修道院長の隣に座り、公爵令嬢は悔しそうに言った。

「もっと乗馬を練習しておけば良かった」

 貴族の嗜みとして乗馬を習っていたが山岳地帯の狩猟が出来るほどではなく、待つだけなのがもどかしかった。バルバラは不安そうな少女を宥めた。

「モルゼスタンの部隊とは離しておくように言ってあるよ。連中も草原とは勝手が違うだろうし」

「…はい」

 わざわざ彼らを演習に加えるのは考えがあってのことだろうとカトレインは自身を落ち着かせた。

 やがて狩猟ラッパが鳴り、演習の開始を告げた。



 最初、どうして軍事演習なのに狩りをするのだろうかという思いがスタニスワフの中にあった。しかしすぐに疑問は消滅した。

 守備隊は各班に別れて森を索敵し、獲物を発見すればすぐさま伝令を出し、状況によっては下馬し歩兵状態で獲物に接近した。

 追い立てる者も銃撃で仕留める者もほとんど言葉を発せず、班長の手振りで素早く行動した。王太子を始めとした少年たちは、グスタフでさえ着いていくのがやっとだった。


「これが山岳では無敵の辺境伯守備隊か」

 モルゼスタン騎兵を率いるセルゲイも、その洗練された動きに感心していた。彼はすぐに守備隊に合流し、共に獲物を追った。下馬し木の陰から出てきた動物に照準を合わせるが、セルゲイは引き金から指を外した。それは森から出てきたハイイログマだった。猛獣は飢えで血走った目で餌の臭いを嗅ぎつける。熊が駆けていく先には中隊長と王太子たちがいた。



「殿下はお望みの獲物はありますか」

 中隊長に尋ねられたスタニスワフは迷わず答えた。

「雪貂がいれば、カトラに毛皮をあげたいな」

 微笑んだ中隊長が表情を変えた。異変を察知した彼は少年たちに下がるように指示した。

「何かが来ます」


 銃を手にした彼らの前に、茂みをかき分け巨大なハイイログマが現れた。すぐさま中隊長が二発撃ち込むが熊は怯ます咆吼すると彼らをめがけて襲いかかった。スタニスワフは凍り付いたように動けない。

 そこに飛び出たのはグスタフだった。熊の真正面に位置取り連射する。


 銃声と吠え声がやんだ。心臓と眉間を打ち抜かれたハイイログマは地響きを立てて倒れた。

「中隊長!」

「ご無事ですか、殿下!」

 守備隊が駆けつけ、撃ち殺された熊の大きさに驚いた。

「こいつは、身体が大きすぎて冬眠できなかった奴だな」

「大きいと冬眠できない?」

 ようやく声が出せるようになったスタニスワフが守備隊に訊いた。

「身体に合った穴を見つけられず、飢えて凶暴化するんです。一番厄介な奴ですよ」

「凄いよ、グスタフ!」


 スタニスワフはそんな危険な熊を仕留めた友人の背中を興奮気味に叩いた。

「よく、あんなに冷静に射撃できましたね」

 トマシュは呆れた様子だった。

「中隊長殿の先制攻撃で動きが鈍ったおかげです」

 殊勲の本人の方は、いたって平静だった。

「だが、こんな大物を見過ごすとは、索敵班は何をしていた」


 苦々しい中隊長の言葉に、朗らかな声が答えた。

「申し訳ない、別の獲物に気を取られてしまって」

 現れたのはセルゲイ・ブロンスキィだった。彼は片手に仕留めた雪貂を下げていた。

「それを叔父上が?」

 王太子は驚き、中隊長は渋々怒りを収めた。

「演習に慣れていなければ仕方ないか」

 その後は何事もなく、国境守備隊の軍事演習は終了した。



 練兵場に戻ってきた守備隊を、待ちわびていたカトレインが出迎えた。

「スタシェク様、お疲れ様でした」

「ごめん、カトラ。何も狩れなかった」

「お怪我がなければ充分です」


 王太子はせめて格好良く馬から下りようとしたが、膝が笑った状態で言うことを聞かなかった。守備隊員に手を貸してもらうことになり、婚約者の心配そうな顔を見て余計にへこんでしまうスタニスワフだった。

「公爵令嬢、これをあなたに捧げます」

 二人の前にやってきたセルゲイが鞍にくくりつけた雪貂をカトレインに差し出した。

「ありがとうございます」

 礼を言い、狩りの伝統に従って彼女は指に獲物の血を付着させ、跪くセルゲイの頬をなぞった。


 顔を血で汚しても尚優雅な貴公子は、颯爽とその場を去って行った。スタニスワフは無意識に溜め息をついた。少年は肩を落として宿舎に戻った。

 バルバラは橇で運搬されたハイイログマに目を瞠った。

「こんなのが冬眠できないまま里に下りてたら一大事だったよ。よくやったね、エデルマンとこの坊主」


 練兵場で合流したアンジェイとレフも、疲れを忘れて口を開けている。

「これを仕留めるって…」

「毛皮だけで凄い額になるぞ」

 商会の息子は買い取る手段を模索していた。

「エデルマン様、今度何か仕留めたらすぐにうちに連絡してください。現金でも最新式の銃でもご相談に乗りますよ」

「…そうか」


 グスタフの無骨な脳内では熊と銃のレートが計算されているようだった。トマシュはカトレインが気遣わしげに宿舎を見るのに気付いた。

「殿下がどうかされましたか?」

「いえ、少し元気がないようでしたので」

「お疲れなのでしょう」

 励ますように言われ、公爵令嬢は頷いた。


 少し離れた場所で、修道院長は中隊長から報告を受けた。

「あの熊が殿下の前に出てきた?」

「索敵に出ていたセルゲイ殿から合図があって然るべきでしたが」

「偶然と思うかい?」

「証拠はありません」

 途方に暮れたようなカトレインを視界に入れ、バルバラは腕組みした。

「引っかき回されるのも問題だけどね」

 練兵場に獲物が集められ、暖めたクリマ酒を振る舞われた守備隊は狩りの成功を祝った。

国境守備隊の冬季戦ではスキーを履いた狙撃手が無双します。

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