14 分岐点
歓迎会場中の注目を集めながら、故王妃の弟は甥を相手に楽しげに会話をした。
「セービンからこちらに来られたのですか」
「はい、叔父上は?」
「私は幸いザモイスキ伯爵から国境守備隊に加わらないかとお誘いをもらいまして、こちらに移動してきました」
「じゃあ、これからはここに来れば叔父上に会えるのですね」
嬉しそうな王太子と麗しの王子様を体現したかのような若い叔父は嫌でも注目を集めていた。セルゲイ・ブロンスキィは次にポニャトフスキ公爵令嬢に挨拶をした。
「ご公務でお疲れでしょう」
「殿下と一緒ですので楽しく過ごさせてもらっております」
よそよそしい返答と丁寧なお辞儀にセルゲイは一瞬意外そうな顔をしたが、会場に流れるワルツを耳にして彼女に手を差しのべた。
「一曲お相手願えますか」
羨ましそうなご婦人方をちらりと見て、カトレインは笑顔で答えた。
「私は社交界デビュー前ですし、セルゲイ様を独占するなどまた兄に怒られてしまいますわ」
随伴していた侍女頭が令嬢に小さく囁くと、国境の特産品に興味を引かれている王太子の元へ彼女は移動した。
「…振り向きもしない、か」
低く呟いた後、セルゲイは彼を取り囲むように話しかける女性陣の相手をした。
歩くカトレインに侍女頭が声をかけた。
「お嬢様」
公爵令嬢が頷くと、彼女はすぐさま配下の侍女に指示して行動を起こさせた。
スタニスワフの元にカトレインが行くと、王太子は婚約者に興奮気味に言った。
「知ってた? 昔はこの地方にも翼竜が飛んでたんだって。でも段々生息地が北に移って、代わりにこんな大型の猛禽類が繁殖したんだって」
翼を広げたオオフクロウの剥製を前に少年は熱弁した。グロースの市長が笑顔で説明した。
「残念ながら、現在野生の翼竜を見られるのはザハリアス帝国北部かポラリス半島や大陸南部のごく一部のみですね」
「そっかあ……」
心底残念そうな様子の王太子にカトレインが言った。
「聖ツェツィリア修道院でバルバラ様からその話も聞けるといいですね」
「うん」
二人は夜更け前に会場を後にした。カトレインは最後に若い女性と踊るセルゲイの姿を視界に収めた。
ロウィニア王都パデレシチ。ポニャトフスキ公爵邸では公爵家独自の情報伝達網でグロースでの出来事が委細漏らさず送られていた。
「セルゲイ殿がザモイスキの守備隊に?」
父親から伝文を知らされた長男エドムンドは驚きを隠せなかった。
「モルゼスタン生き残りの親衛隊を連れて合流したらしい。殿下の歓迎会に堂々と姿を見せたとか」
「カトレインはどうしていたのですか」
「そつなくあしらっていたようだ。侍女頭は満点の対応だったと評価している」
「セービンの件もあるし、警戒してるんじゃないのか」
彼らのやりとりを聞いていた次男テオドルが推測した。そして、兄と父に笑いながら言った。
「カトラは殿下に危害を与える可能性のあるものは何だろうと誰だろうと排除するよ。やられっぱなしでいる子じゃない」
「…確かに、別荘の件ではかなり反省していたな。殿下の機転で助かったとはいえ、もっと用心深くあるべきだったと」
「三階から飛び降りて藁まみれになってたって?」
笑うテオドルに公爵は苦い顔をした。
「殿下は危機から脱出する勘に優れておられるようだが、幸運はいつでも訪れるとは限らんぞ」
「なら、幸運の頻度を上げるように工作するしかないな」
テオドルは事も無げに言い、エドムンドは別の事を考えていた。
「後宮の抗争はまだ収まりそうにないな」
「誰かが王妃の座に納まるか全員いなくなるかしないと無理だろう」
「そのためにどれだけの者が犠牲になるか考えたくないな」
「我々としては共倒れを期待したいところだが、最も強く厄介な者が生き残る可能性もあるからな」
公爵家の父と息子たちは薄ら寒い笑顔を浮かべた。
スヴェアルト宮殿奥の後宮では、一人の側室がひっそりと去って行った。一時国王の寵愛を受けたと華やかな茶会などをしていたが、懐妊も間近かと言われていた際に急に体調を崩し、精神的に不安定になっての宿下がりだった。
彼女は侍女に付き添われながら馬車に乗った。その中で待っていた中年男性が若い側室を抱きしめた。それにも反応を返さない様子を見て、男性は涙を溢れさせた。
「……すまない。こんな事になるのなら、養女に出す話など受けるのではなかった……」
無表情に小さな声で何事かを呟く娘は、その言葉も耳に入っていないようだ。男性の目は哀しみから怒りの色へと変わっていった。
「後宮で陛下の寵愛を得れば安泰だなどと言っておきながら、御子が流れてしまえばお払い箱か。あの方の言ったとおりだ……」
彼が決意を秘める中、馬車は青果市場の一角に止まった。そこに待機していた者がそっと馬車に近寄る。
馬車内の男は窓から手を出し、一つの瓶を渡した。
「揮発性だ、気をつけて扱え」
それだけ言うと窓を閉め、男は娘を抱き寄せたまま馬車を走らせた。
「静かなところに行こう、ルイザ。父さんが必ず守ってやる」
正気を失った娘に、男は語り続けた。
馬車が去った後、瓶を受けとった者が花屋の裏口から店内に入った。市場の片隅で新聞を読んでいた若い男が一連の出来事を見届けた。端正な容貌はポニャトフスキ公爵家次男テオドルのものだった。
後宮ではヴェロニカが侍女から他の側室の末路を聞いていた。
「陛下の御子を流産した挙げ句におかしくなってしまったとか。田舎に引っ込んだようですわ」
「バカな小娘」
不幸な側室の話に、ヴェロニカは鼻で笑った。
「懐妊などと誰彼構わず自慢するから、あんな目に遇うのよ。ここがどんな所かも分からない愚かな者など、入宮する資格もないわ」
彼女の言葉を聞き、取り巻きの侍女たちが一斉に笑った。
「本当に、態度の大きな生意気な女でしたわ」
「若くて多産家系だけが取り柄のくせに」
「どこかの田舎伯爵しか後ろ盾もなかったとか」
「ちょっとナタリア王妃に似ていただけで…」
亡き王妃の名を出した途端に、ヴェロニカの柳眉が跳ね上がった。侍女は床に頭を擦り付けるようにして詫びた。
「失言をお許しください」
「……まあいいわ、目障りな者が一人消えたことだし」
彼女は寛大な気持ちで自らの下腹部を撫でた。
「懐妊など、ここで最も気付かれてはならないことなのにね」
用心に用心を重ね、晴れて男児を出産しさえすればヴェロニカをブラウエンシュテット公女として入宮させた高位貴族たちの後ろ盾を得られる。それは彼女を王妃の戴冠へと導いてくれるはずだ。
浮かれる気分でヴェロニカは大きな花瓶に飾られた豪華な花に近寄った。
「どなたからの贈り物なの?」
「さる侯爵家としかカードにはありませんでした」
侍女の一人が答えた。馥郁たる香りを楽しんだヴェロニカは、不意に失調感に囚われた。
「ヴェロニカ様?」
侍女が彼女を長椅子に座らせた。
「少し、目眩が……っ!」
急激な痛みに襲われ、ヴェロニカは下腹部を押さえた。侍女の一人が悲鳴を上げた。
「お召し物が!」
見れば彼女の薄緑色の部屋着の腰から下が赤く染まっている。
「…まさか、そんな! 嫌っ!!」
取り乱す側室を宥め、侍女たちは侍医を探して部屋を飛び出した。
後宮の異変はチャルトルィスキ侯爵家にも伝えられた。
「それで、ヴェロニカ様はご無事か?」
「……残念ながら、お子様は死産でした。男児だったそうで」
「何と言うことだ!」
忌々しげに侯爵は書斎机を叩いた。
「あの女にどれだけ資金をつぎ込んで後宮での地位を確保したか…。まあいい、次こそは」
「それが、医師の報告によると死んだ胎児の処置に手間取った結果、再びの懐妊は望めまいと…」
侯爵の顔が土気色になった。
「……何を盛られた」
「え?」
「毒か? 毒味役は何をしていた!?」
「食べ物も飲み物も異常はないと。……ただ、最近贈られてきた花は侯爵様からではないのかと聞かれました」
「花だと?」
ぎりぎりと歯噛みし、侯爵は告げた。
「王都内全ての花屋から事情聴取しろ! 疑わしい者は即刻捕らえろ!」
部下が出て行くと、彼は頭を抱えるようにして呟いた。
「誰の仕業だ、王太子派か? それなら……」
その目には昏い光が宿っていた。
怒りと恨みと呪いは後宮内でも荒れ狂っていた。
「出てお行き! この役立たず!!」
女主人に水差しを投げつけられた侍女は半泣きで部屋を飛び出した。寝台に突っ伏したヴェロニカは髪を掻き毟りながら呟いた。
「陛下は見舞いにも来てくださらない。きっと王太子に与する者が邪魔をしているのよ。私の坊やを殺した者どもが……」
枕に赤い爪を立て、彼女は笑い出した。
「見ているがいい、必ず敵を討ってやるわ!」
涙を流しながら側室は笑い続けた。




