ある夜、王子が空から降ってきた。(天使ではなく、悪魔ですけど……)
絶対に自分がつけなさそうなタイトルを逆につけてみました。
「……お母さん、ごめんね。私、お母さんが遺してくれたこのお店、守れなかったよ」
がらんとした店の作業場で、ぽつりと置かれた椅子に腰かけ、十五歳のリーナはつぶやいた。
力なくうなだれた姿を窓から差し込む月光だけが照らす。
もう灯の油を買うお金さえなくなった。
床に伸びた影法師に、ぽたぽた涙が落ちた。
空腹でおなかが痛い。
優秀な魔術整備士だったリーナの母親が亡くなってもう三年がたつ。
この国は優秀な魔術師を多く抱えている。
魔術師の魔法の杖をメンテナンスするのが魔術整備士だ。
魔法の杖は、おのおのの魔術師の癖にあわせた調整をへて、はじめて高いスペックを発揮できるようになる。同じ魔法の杖でも、魔術整備士の技量によっては、倍ほどに魔法効果を高めることも可能だ。
魔術整備士の仕事は、魔法の杖のメンテナンスというより、楽器のチューニングに近い。
「……私、がんばったんだけど、駄目だったよ。子供に大事な魔法の杖なんかまかせられないって、私……チャンスも与えてもらえなかった。……ひどいよ。どうして子供ってだけで……!!」
恥をしのんで大通りで呼びこみまでやったのだ。
道行く魔術師には、鼻で笑われた。
リーナの腕はたしかだ。
だが、魔術整備士は熟練工の世界だ。
店をかまえる人間は、二十年近くの経験を経てきている。
リーナのような少女の店は、まず普通は相手にされない。
たまに声をかけてくるのは、いかがわしい裏サービスを期待してくる連中だけだった。
リーナは深く傷ついた。
魔術整備士ギルドの事務所の人間が駆けつけてきて、リーナを睨んだ。
魔術整備士の品位をさげるな、そう罵倒された。
恥さらしとまで言われた。
みじめだった。
泣きながら、とぼとぼ歩いた帰り路のつらさは、生涯忘れられないだろう。
ひとりぼっちで、くるあてのないお客を待ち続けた哀しい日々。
近づく足音に何度胸を高鳴らせ、そして通り過ぎたことに落胆したことか。
膝の上で両手を握りしめたリーナの細い肩が震えた。
母親譲りのダークブラウンの髪の三つ編みが揺れた。
泣き明かした目は腫れていた。
「たった一回でもいい、チャンスがもらえれば、お母さんから教えてもらった技術がどんなにすごいかって、きっと、みんなにわかってもらえたのに……」
悔しさにリーナは歯を食いしばった。
自分が認められないことより、受け継いだ母の技術を消してしまうことがつらかった。
リーナの不運は、母親の顧客の魔術師たちの一派が、宮廷での政争に敗れ、この街を追われたことにはじまった。彼らは残されるリーナを案じ、一緒に行こうと誘ってくれたが、亡くなった母の店から離れられないリーナは申し出を断った。魔術師たちはリーナとの別れを惜しみながら去っていった。
……そしてリーナの隠れた実力を知る親身な大人たちは誰もいなくなってしまった。
そうなったリーナは肩書もないただの小娘にすぎない。
この街は、立派な肩書を看板にした魔術整備士の店が乱立する。
通りのはずれにある古びた店をわざわざ訪ねてくる魔術師などいるはずがなかった。
商売の世界はリーナの想像以上に厳しかった。
そのうえリーナの店は、魔術整備士ギルドから疎まれていた。
今のギルド長は、天才と呼ばれたリーナの母を逆恨みしていた。
若い頃、腕試しを挑み、公の場でこてんぱんにされたからだ。
母が存命中は手が出せなかったが、亡くなった途端に、娘のリーナに意趣返しを開始した。ギルドには相互扶助の役割もあるが、リーナに仕事を紹介しようとしたギルド構成員を厳罰に処した。
普通の商売人なら、とうに店を閉めていたろう。むしろ三年もったのが奇跡だった。
どんなときにも笑顔を失わず、元気にがんばってきたが、もう限界だった。
この三日は水しか口にしていない。
「……一度くらい、思う存分、一級品の魔法の杖をメンテしたかったな……」
リーナは机に置かれている、母親から受け継いだ魔道具箱をじっと見つめた。
魔法整備士の命ともいえる大切なツールだ。
そうしていると母の鮮やかな技量と、笑いの絶えなかったこの仕事場の雰囲気が脳裏によみがえった。
「楽しかったな、あの頃は……」
今のさびれた店内の様子とあまりに対照的で、余計に鼻の奥がツンとした。
もう大切な魔道具箱を売り払うしか生きる道は残っていない。買い手は決まっていた。
それは同時に、リーナの魔術整備士としての未来の終わりを意味していた。
「今までありがとう。ごめんね、ろくに使ってあげられなくて。次の魔術整備士さんのところで、大事に使ってもらってね……」
リーナは立ち上がり、感謝の気持ちをこめ、魔道具箱を撫でた。
月の光に照らされ、真鍮の魔道具箱も哀しげに光っている。
リーナは両手を伸ばし、思い出とともに、ぎゅっと箱を抱きしめた。
……あのね、リーナ。神様は、どんなときも、あなたを見守っていらっしゃるの。。
あなたが優しい心、正しい心を失わなければ、あなたが困ったときは、天使様を遣わして、きっと助けてくださるのよ。
それが、リーナが幼い頃の、母の口癖だった。
リーナの目に涙が零れ落ちそうになった。
誰からも必要とされず消えていくことがこんなにつらいなんて……!!
「……お母さん、天使様なんて、こなかったよ。どんなにがんばっても、私の居場所なんてなかった!! ……誰も、私を助けてなんてくれな……!!」
そのとき、
どおんっ!! と轟音をたて屋根に何かが激突した。
「な、な、な、な……!!」
驚きでリーナの頭の中から、助けてなんてくれなかった、という言葉が吹っ飛び、壊れたレコードのように、な、を繰り返した。
家全体が揺れ動いた。
べきばきと梁をへし折り、床に黒い塊が落下した。
この店は崖下に立っている。
だからリーナは最初落石があったのかと思った。
だが違った。
もうもうと埃が舞い散る中、黒い影は咳き込み、すくっと立ち上がったからだ。
「……げほっ、げほっ、……ふん、崖から民家の屋根に落ちたのか。おのれ、反魔法連盟のテロリストどもめ、よくもやってくれた」
黒いフードつきのコートを着た少年が、怒りに唸りながら立ち上がった。
後ろで束ねたプラチナブロンドの髪が、屋根に空いた穴から差し込む月光によく似合った。
齢の頃はリーナと同じくらいだろうか。
幼さを残しながらもきつい顔立ちだ。
プラチナの冷たい瞳の中に、激情の炎が燃える。
周囲を素早く見回し、ここがどこか把握しようとしている。
手足がちゃんと動くか確認したあと、右手をすっと前に伸ばした。
右手には黄金のガントレットが装着されていた。
龍を模した美しい細工が、リーナの目を釘付けにした。
突然すぎる異常事態についていけず、どうして埃は甘ったるいにおいなんだろうなどと、見当はずれのこところを彷徨っていた意識が、ぴしゃりと鮮明になる。
書物で見た憧れの伝説の魔法の杖が、記憶の底から稲妻となって閃いた。
「そ、そ、それはもしや……」
興奮のあまりリーナの呂律が回らなくなった。
少年はいぶかしげにちらりと見たが、とりあえず黙殺することに決めたようだった。
「……魔法陣セットアップ」
少年の呟きに応じ、ヴヴヴヴとガントレットは唸りをあげた。
リーナは息をのんだ。
それは魔術師が魔法を使う合図だ。
やはりそれは普通のガントレットではなく、魔法の杖だった。
だが、黄金のガントレットは、ぶしゅうっと白い蒸気を噴き出すと唸りを停止した。
「……ちっ、もう安全弁が働きやがった」
少年は高貴な顔立ちに似合わない乱暴な口ぶりで舌打ちした。
「……や、やっぱり伝説のドラゴンタイプのマジックワンド……こんなところでお目にかかれるなんて……これは夢でしょうか……」
リーナにとってはとびきりの御馳走が空から降ってきたに等しかった。
きっと、かわいそうな自分をあわれみ、神様がご褒美を与えてくださったに違いない。
つまり、自分にはあの魔法の杖にさわる権利があるのだ。
リーナは魔道具箱を抱きしめたまま、無意識によろよろと少年に近づいた。
頬が上気し、涎が垂れていた。
もちろんその瞳を独占しているのは、美貌の少年ではなく、右手のガントレットだ。
少年は、魔道具箱を抱えたリーナを、ちょっと嫌そうに一瞥した。
「……よだれ出てるぞ、おまえ。変態かと思ったら、その魔道具……。魔術整備士だな。だったら、今すぐこいつを起動できるように調整しろ。急げ、追手がくる。二分以内に終わらせろ。返事ははいかイエスのみだ」
ぐいっとガントレット型の魔法の杖を突き出す。
「わ、私が、こんな伝説級を整備していいんですか……私、子供ですよ」
「子供だろうが魔術整備士なのだろう? 必要なのは年齢ではなく、腕だけだ。早くしろ」
「……必要……!! ……私を!!」
それこそは三年間、待ち続けていた言葉だった。
涙が出た。
居丈高なむちゃくちゃなな少年の要求だったが、リーナは歓喜に打ち震え、二つ返事で引き受けた。
さわるどころか、伝説級の杖を調整できるなんて!!
「イエッサー!! よろこんで!!」
たかぶるあまり、少し野太い声になってしまった。
前に腕を突き出した少年のガントレットに飛びつくようにし、あっという間にカバーをはずし、内部をぎらつく目で見渡す。魔導全盛時代につくられた精緻なメカニズムに鼻血が出そうになる。リーナが今まで見たどのマジックワンドの内部より美しかった。満月のような輝きが明滅している。そのせいで暗闇でも様子がよくわかる。リーナは気を取り直し、魔道具をひらめかせた。
「……動力源にルナストーンが使われてる。ああ、夢みたい。本物のドラゴンシリーズのマジックワンドだ。なんて美しい内部構造……これはもう芸術品なりよ……」
「ふん、少しは道理がわかるようだな。で、応急処置はどうする気だ」
「安全弁をとばし、増幅魔法陣をバイパスで繋ぎます。回路が焼き切れないよう、出力魔法陣にはローカットした魔力を流すように変更。カットして減衰した出力分は、魔力倍波効果でカバーします」
よどみなく答えたリーナに、少年はにやりとした。
「ほう、ガキの魔術整備士かと思ったが、悪くない判断だ。あとは理論に腕がともなっているかだ」
「まかせてください!! こちとら理論より、むしろ腕で語る派ですって!!」
リーナはハイテンションになり、あとで思い返すと羞恥でのたうちまわる闇記憶をせっせと生産していた。うひょおっと奇声まであげた。少年が何者か詮索する気さえ失せていた。
……魔法の杖を一度も整備できず、この魔道具たちとお別れと思っていた。それが今、伝説級の魔法の杖をいじることができる。信じられない幸運に興奮したリーナは、すべての躊躇いを忘れ、作業に没頭した。
たぶん、これが生涯最後の仕事になる。
神様から与えられた奇跡を無駄にしてはならない。
そう思った。
母親譲りの神がかった腕が実力以上に発揮された。
「終わりました」
「……三十秒で作業終了か……信じられん。変態かと思ったら、腕も変態級だったか。おい、調整は終わったろう。なにをしている」
「ちょっとドラゴンシリーズに頬ずりをば。ああ、肌触りも最高~。至福なり……。もう死んでもいい」
「うざい。退け。ほんとに殺されたいか、この魔法の杖オタクが。……魔法陣セットアップ」
「……ああんっ、もうちょっとだけ……あたしのドラたろー」
「おい、人の杖に勝手に変な名前をつけるな。図々しいやつだな」
黒衣の少年は眉をしかめ、ガントレットから、恍惚状態のリーナをぽいっと引きはがし、構えをとった。
ぶんっと音を立て、三つの魔法陣が、突き出したガントレットに沿うように、縦並びに出現する。起動、増幅、出力の魔法陣だ。ジジッと電光が走り、三つの魔法陣を接続する。
少年の目が鋭くなった。
「反応がメンテ前より早い……!! おまえ、まさか、天才整備士のアメリアの弟子か」
思わぬ言葉に、蕩けていたリーナは目を丸くした。
恍惚から正気に戻る。
「母を知ってるんですか!?」
「母……アメリアに娘がいたのか……!! さすが俺様、我ながらひきの強さに惚れ惚れする。よし、目的は達成した。あとは邪魔なやつらを片付けるだけだな」
少年はにやりとした。
「……邪魔なやつらって?」
この家には少年とリーナの二人だけだ。
だが、リーナが首をかしげるより早く、風切り音とともに、リーナの店の屋根に空いた穴から五人の人影が飛び込んできた。全員が黒装束で奇怪な仮面をつけている。仮面には色とりどりのたてがみがついている。白刃がきらめく。逆手に小刀が握られていた。
「こいつらだ」
「ぎゃあああっ!?」
驚きのあまり、リーナが乙女らしからぬ叫びをあげた。
今日はよくよく空から色々なものが降ってくる日だ。
「第三王子レオ!! 反魔法同盟として、お命頂戴する!! ものども、怯むな!! 今、王子は魔法が放てん!! 魔法のない未来のために!!」
「魔法のない未来のために!!」
刀を構えて襲いかかってくるリーダーらしき刺客を見上げ、少年は落着きはらい、不敵に嗤った。
「は、あれだけ魔法を放てば、魔法の杖もオーバーヒートして使えないはずってか。残念だったな。俺様を甘くみるな。その小汚い仮面の奥の目ん玉おっびろげて、よく拝みやがれ。飛んで火にいる夏の虫ってのは、まさにおまえらのことだな」
「……馬鹿な!! 魔法陣が起動している!! あれだけ魔法をはなったのに、どうやって……!!」
少年のガントレットの上に輝く魔法陣を見て、黒装束たちが悲鳴をあげる。
だが、落下運動中では逃げ場がない。
空中で手足をばたつかせてもがく彼らを見て、少年は残酷な高笑いをした。
心から楽しそうな様子に、リーナは心底ドン引きしていた。
恐怖で奥歯ががたがた鳴った。
刺客の台詞で少年が誰だか理解したのだ。
その悪名は王国中に鳴り響いていた。
……暴龍王子レオ。
高位魔法の炎竜系を得意とし、気にくわない相手をすでに何人も殺しているという、国王でさえ持て余す王家の問題児。それが少年の正体だった。
「おまえたちの敗因を教えてやる。相手が俺様だったことだ。……焼け死ね!! いでよ、炎竜!!」
魔法陣がギュインと回った。
電光のラインと出力魔法陣が凄まじい光を放つ。
巨大な炎の竜が咆哮とともに飛び出し、絶叫する刺客たちを呑み込んだ。
「ははっ、踊れ踊れ!!」
「……悪魔があっっっっっ……!! ……ぎゃあああっ!!」
あとは言葉にならなかった。
火だるまになった男たちが、床にだんっだんっと身体をうちつけながら、狂ったように転げまわる。火を消そうと必死なのだが、魔法の炎は嘲笑うようにまとわりついて離れない。輻射熱と肉の焼け焦げるものすごいにおいが、店中に充満した。断末魔の叫びが耳を聾す。
阿鼻叫喚の地獄絵図のなか、炎の照り返しで美しく緋色にいろどられたレオが哄笑する。
くるりとリーナに振り向く。
「……おまえ、気に入ったぞ。俺様と一緒にこい」
無邪気な笑顔で手を差し伸べる。
レオの狂気と惨状にあてられ、リーナの神経は限界を迎えた。
すなわち、くるんと白目をむくと、その場にひっくり返って気絶したのだった。
……お母さん、天使様じゃなく、俺様がやってきたよ。
それもとびきり凶悪な。
心の中で亡き母に愚痴をつぶやきながら。
読んでいただき、ありがとうございます!!
読んでくださる方がいらっしゃるなら、続けてみようかな……。