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第九章「噂話と満足」

それは、取るに足らない話だったかもしれない。しかし、私を大変満足させた。

第九章「噂話と満足」


井上との面談から数週間が経ち、佐々木は、徐々に以前の生活に戻りつつあった。

世間では新しい事件、小学校の林間学校中に児童が行方不明になった事件に関心を向けており、ワイドショーでは、日々、当時の学校や施設の管理責任を追及していた。

そして井上が話していた記事は、まだどの雑誌にも掲載はされておらず、佐々木の周りから、既に八木の存在は消えつつあった。

そうして落ち着いて仕事に取り組んでいたある日、佐々木は、浅井に呼ばれ、彼のデスクに向かった。


「今日、昼飯に付き合ってくれないか。」

浅井は、佐々木が目の前に来た途端、机に置かれた書類に目を通しながら、開口一番に要件を述べてきた。

「はぁ、分かりました。」

別段、断る理由もないため承諾の意思を示すと、浅井は、「じゃあ後程。」と応えると、そのまま仕事に戻った。

佐々木も一礼をして、そのまま自身の仕事に戻った。


浅井と食事に行くこと自体は珍しいことではなかったが、今回の浅井の態度は、食事以外の要件があっての呼び出しのように思え、佐々木に違和感を抱かさせた。

基本、浅井は、何かがあればその場で聞いてくるタイプではあった。

それが、今回のような食事の誘いをしてくることに、佐々木は違和感を感じたのであった。

ただ、それを気にしていても仕方がなかった。

応えは、昼食のタイミングですぐにわかることと考え、佐々木は、仕事に戻ることにした。


昼食時のタイミング、佐々木が電話の対応を終えた瞬間を見計らい、浅井が声をかけてきた。

飯に行くぞ。と一声かけられ、佐々木は、はい。と応えてその後ろをついていく。

何かあるのかもしれないし、何もないのかもしれない。

一抹の不安と期待を感じながら、佐々木は、浅井と共に事務所を出た。


「この後、何か入っているか?」

外に出て早々、浅井は、佐々木に聞いてくる。

「いえ、特に決まった用事は入っておりません。」

仕事が一段落していたこともあり、佐々木は、余裕を持った表情で答えた。

浅井は、そうか。と呟くとついてくるように促して、商店街の方に向かい始めた。


「偶には、落ち着いたところで飯を食いたいな。」

そういいながら、浅井が入った店は、天ぷらがうまいことで評判な蕎麦屋であった。

金額もそれなりにすることで有名であったが、店内は、それなりに混み合っている模様だった。


浅井が、店員に落ち着いた席で食事をしたい旨を伝えると、店員は、慣れた対応で座敷の方へ通してくれた。

通された奥の座敷は、他の席から離れており、周りの視線を気にせずに落ち着いて食事ができる空間が広がっていた。


席に座ると、浅井は手慣れた様子で、ざる蕎麦と、天ぷらの盛り合わせを頼む。

「どうする?」

注文を終えた浅井に聞かれた佐々木は、メニューを閉じると、同じものを店員に注文した。


「ここの天ぷらは、衣が他と違って美味いんだ。病みつきになるぞ。」

浅井は、笑いながら話す。

佐々木は、適当に相槌を打ちながら、話を続ける。


しばらくすると、蕎麦と天ぷらが運ばれてきた。

天ぷらは、山菜を中心にしていたが、穴子や海老等、一通りの品目が盛り付けられており、とてもボリュームが多く、昼時で空腹だった佐々木の胃に、その豊満な香りで食欲を訴えてきた。


「酒もあれば、最高なんだが、さすがに午後も仕事なのに飲むわけにはいかんよな。」

浅井はそういうと、蕎麦を箸に絡めると、さっそく食べ始めた。


佐々木もそれに倣い、適当な天ぷらを箸で取る。

口に入れた天ぷらは、確かに浅井が言うように、やわらかい、他とは違う衣を使っており、中々に美味であった。

その味に夢中になったように、佐々木は箸を進め、皿を空にする。

ふと浅井を見ると、彼もある程度、蕎麦を食べ終えており、佐々木が食べ終わった様子を確認すると、少し待つように指示をし、自身の皿をすぐにカラにして、改めて佐々木に向かいなおった。


「八木の事だが、聞いているか。」

浅井は、やや真剣な顔をして、話を始めた。

佐々木は、急に出た八木の名前に少々驚きながら、返事を返す。

「いえ、特段変わった話は聞いておりませんが。」

浅井が、わざわざ話をしたがる理由は、八木関係位だろうと考えていたこともあったためか、急な質問にも関わらず佐々木の言葉は、スムーズに口を出た。


浅井は、その言葉を受け止めると、少し考え込むように口を閉じると、湯呑を持ち上げお茶を一口含み、口を開いた。

「あいつ、自殺したらしいぞ。」


佐々木は、その言葉を聞いた瞬間、一瞬固まり、そのまま口を開いた。

「えっ、はい。」

混乱した頭の中から出てきたのは、特に意味のない相槌の言葉であった。

佐々木にとって、その言葉は、あまりに予想外の内容であり、頭の理解が追いつかなったのである。


「まっ、正確には自殺未遂だな。特段、命には別条もなく、今後の裁判の日程とかに影響するような話ではないようだ。」

浅井は、慌てふためく佐々木の様子を見ながら、何事もないように話を続けた。


驚いている佐々木を尻目に、浅井は言葉を続ける。

「昨日の午後、取り調べの移送中に、急に警官を振り切ってな。死んでやるとかいいながら、窓から飛び降りようとしたらしい。」

浅井は、なんのこともなかったように話を続ける。

「それで、どうなったんですか?」

佐々木は、その言葉にかぶせるように返事をした。

「何、そのまま取り押さえられて騒ぎは終わったよ。どうも飛び降りようとしたが、結局、ビビッてしまって飛び降りられないうちに捕まったらしい。」

浅井は、軽く笑いながら話を続ける。

「どうも八木のやつ、刑務所内でイジメにあっているらしくてな。裁判が近いこともあって、情緒が不安定になっていたらしい。まっ、何事もなくてよかったよ。」


佐々木は、浅井の話を聞き、色々と考えをまとめようとしてみた。

八木がイジメにあっている。

言葉にすると、とても下らないようなことに思えた。

しかし、八木をイジメているのは、犯罪者という社会のクズたちであった。

そんな彼らに下に見られ、尊厳を破壊される。

それは、中年という年代の男性にとって、いかなる屈辱であったのだろうか。

そして、その場から逃れようとするも、結局、最後の一歩が踏み出させず、何もできないまま取り押さえられる。


そんな八木の状態を想像すればするほど、佐々木は、八木が哀れに思えた。

そして、それと同時に、彼の惨状を聞くことで、どこか満足を感じている自分がいることに佐々木は気が付いた。


しかし、それもしかたないことであろう。

八木は、自分自身の全てを奪った男である。

そのような者が、苦しい目にあっていることに、満足を感じること。

そしてそれは、自分自身が果たせなかった復讐の代わりとして、佐々木の中の憎しみを和らげているのは確かな事実であった。


ふと気が付くと、浅井がこちらをじっと見ていた。

佐々木は、その目線に、自身の心の中の思いまで見透かされているように感じ、酷く気まずい思いを抱きながら視線をそらした。


「昨日、保内と仕事で会ったんだが、その時に聞かされたんだ。まあ事件の関係者のお前が、ニュースとかで知るよりも、俺が直接伝えたほうがいいと思ってな。」

浅井は、変わらない視線でこちらを見ながら、会話を続けてくる。

「まあ今日のこの時間になってもニュースになってないところを見ると、今後表に出てくる可能性もなさそうだな。」

浅井は、こちらに気を遣うように事情を話すと、こちらをもう一度見て、「大丈夫か?」と聞いてきた。


ふと気が付くと、佐々木の手に持っていた割り箸が割れていた。

話を聞きながら、知らず知らずのうちに力を込めていたのだろう。

佐々木は、割れる瞬間に気が付きもしなかった。


自分の分は、自分で出すという佐々木を制して、浅井が会計を済まして店の外に出る。

そして二人で事務所に向かいながら歩いていると、浅井が、声をかけてきた。


「そういえば、昨日保内から聞いたが、そろそろ八木の裁判が始まるぞ。」

浅井は、佐々木の方を見ながら慎重に声を掛けてくる。

佐々木は、その言葉を受けて、「そうですか。」と軽く相槌を打つ。


浅井は、その様子を見て肩をすくめるような仕草をすると、「あんまり考えすぎるなよ。」といいながら、先に歩いて行った。

佐々木は、「はい。」と返事をしながら、彼の後を追いかける。


その後、事務所まで他愛のない話をしながら、事務所につくと、浅井は、すぐに次の仕事があるから。と鞄を持つと、急いで事務所を出て行った。

佐々木は、その様子を見送りながら、パソコンの前に座り、午後の仕事に取り掛かった。


浅井からの話は、概ね、佐々木を満足をさせる内容であった。

しかし、佐々木は、浅井の言う「考えすぎるな」という言葉の真意が分からず、そして、それが頭を悩ませ続けるのであった。


~第十章へ続く~

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