第八章「逃亡者の背中」
私は、知りたいと願った。だから、今ここにいる。
第八章「逃亡者の背中」
「八木は逃亡生活を続けている時、その道中で多くの窃盗事件等を起こしてきました。」
井上は、軽くPC上のメモに目を通しながら話を始めた。
「ただ、その逃亡生活のある時、八木のそのような活動が見受けられず、その足取りが完全に途絶えてしまった時期がありました。」
井上の言葉に、佐々木は頷く。
「その一定の時期、八木は、協力者の助けを得ていたものと考えています。」
そうして井上は、言葉を切り、こちらをじっと見つめてきた。
佐々木は、井上の次の言葉を待つ。
井上は、手元に置いたコーヒーを一口、口に含みながら再度PCに目をそらす。
そうしてお互いに黙りきったまましばらく経った後、井上は、無言のままPCをいじり、佐々木に画面を向けた。
そこには、中学生ぐらいの少年がサッカーボールを小脇に抱えて立っている写真が映し出されていた。
少々日焼けした少年は、どこか人懐こいような笑みを浮かべながら、撮影者の方に自然のままに向いていた。
「これが協力者と思われている、地元の中学生です。この写真は、8年ほど前に撮影されたものです。」
佐々木は、頷きながら写真を改めてみる。
「先程話したように、既に亡くられています。」
そこで井上は、一度言葉を切り、こちらの反応を見ながら、この写真が撮影されて、2ヵ月後ぐらいの時期です。と付け足した。
「彼が、協力者なのは確かなのですか。」
佐々木は、自分でも驚くほど落ち着いた声と対応で井上に声をかけた。
あまりにも若い協力者。そして彼はすでに亡くなっているという。
そのあまりに現実感がない話に、佐々木は、どこか他人事のような思いを感じながら、井上との会話を続けていた。
井上は、少々考え込むと、言葉を続けた。
「恐らく、間違いはないでしょう。」
そう話すと井上は、PCを閉じ、佐々木にしっかりと視線を合わした。
「8年前、八木は、何らかの理由でこの少年と出会いました。そこで何があったかは不明です。ただ少年は八木を匿い、八木に食料等を差し入れしていたようです。」
あくまで予測にはなりますが。と言いながら、井上は言葉を続ける。
「当時、八木の存在に気付いている人はいなかったようです。両親は共働きで、子供に毎日の食費だけを与えて、ほとんど面倒は見ていない状況。少年は、学校で交友関係が広い方でもなく、どちらかといえばいじめられっ子という存在だったようです。」
八木は、いったい何を思い、少年と一緒にいたのだろうか?と、ふと佐々木は考えた。
どこかで人恋しさがあったのだろうか。
それとも、ただ安全と考え、少年を利用したのだろうか。
「しかしある日、少年は、亡くなりました。リンチにあい、大けがをしたまま放置された結果死亡したようです。」
虐めの末の殺人。
少年が亡くなっていたことはわかっていたが、それが殺人によるものと知った瞬間、佐々木は、何とも形容ができない、強い不快な気持ちが溢れてくることを感じた。
その動揺が伝わったのだろうか。
井上が、こちらをじっと見つめてくる。
佐々木は、その視線を受け止めながら、話を続けるように示した。
「その日、少年は質の悪い、いじめっ子達に追われていました。前々からいじめられていたようですが、その日は特にひどかったようです。少年は、いじめから逃れようとしたのか、それとも助けを呼ぼうとしたのかわかりませんが、八木が隠れている空き家に逃げ込んだようです。」
佐々木は、八木を頼って一生懸命逃げている、先程の写真の少年を想像する。
それは、とても鮮明に、しかしどこか非現実的なイメージで頭の中で流れていった。
「ここから先は、警察の調査や、当事者からの聞き込みでわかったことです。少年は、八木が隠れていた家に逃げ込んだ。しかし、そこにいた八木に殴られ、外に追い出された模様です。」
追い出されて、途方に暮れたような顔で八木の隠れている家を見つめている少年が頭に浮かぶ。
「そこにいじめっ子達が追いつき、少年を念入りにリンチをしたようです。」
念入りなリンチ。
それは、想像を絶するような苦痛であったのであろう。
そして少年がリンチを受けている間、八木はどうしていたのだろうかと、佐々木は考えた。
「そうして徹底的なリンチを受けた少年は、その日、そのまま殺された。ということで話は終わります。」
井上は、最後に言葉を切りこちらを見つめてくる。
佐々木は、話をもう一度反芻しながら、井上の顔を見た。
「八木は、少年がリンチを受けている間に逃げたようです。いじめっ子の一人が、少年が逃げ込もうとした家の裏口から、逃げていく男性を目撃しています。」
八木は、逃げた。少年を見捨てて逃げた。
「いじめっ子達が少年を徹底的にリンチしたのは、最近、彼が調子に乗っているように感じたかららしいです。確かに少年は、最近、どこか明るく元気があったという話はあったようです。」
八木との交流が、いじめられっ子の心に何かを与えていたのだろうか。
しかし、八木はそこから逃げ出した。
自分を助けてくれたであろう少年を見捨てて逃げ出したのである。
「少年が八木のことをどこまで知っていたのかは不明です。ただし、八木を助けていたことは事実のようです。」
八木は、少なくてもその少年の心の拠り所であったのかもしれない。
ただ、同時にその心の拠り所に見捨てられた時、少年は何を思ったのだろうか。
そして、そのまま死ぬことをに何を感じていたのだろうか。
「未成年者のトラブルといえど、死人も出ていたため、当時の警察は徹底的に事件を調べたようです。そしてその中で八木の痕跡を発見したようです。」
八木の痕跡。その言葉に、佐々木は耳を傾けた。
「当時、いじめっ子の一人が、逃げていく八木の写真を携帯で撮影していました。彼は、その後その情報を基にその男を脅すつもりだったようです。」
しかし、リンチにあった少年が死亡し、警察が介入したことで、その携帯の画像は警察に押収をされた。
「写真は複数枚あったようです。その中に、逃げていく男の顔が映っていたこともあり、警察は、八木の存在に気が付いたようです。」
佐々木は、その言葉に頷きながら、ふとした疑問が頭に浮かんだ。
「でも、当時そんな話は全く聞いたことがないです。虐めのエスカレートが殺人につながったというニュースは、どこかで聞いたことはありますが、少なくとも八木の名前をニュースで聞くことはなかった。」
その言葉に井上は苦笑しながら、答えをくれた。
「いえ、実はですね。この事件、警察の不手際も多くて、あまり大事にならないようにもみ消された部分が多いようなんですよ。」
井上は、そう話しながら当時のことを簡単に教えてくれる。
「元々、私は警察の不祥事ネタを追っていたところ、今回の八木の協力者の話を入手できたのが実情なんです。当時、警察は、リンチ事件の最中、何度か近所の人の通報を受けていたのですが、学生同士の喧嘩だと考えて、対応を後回ししていたようなんですよ。その結果、死人が出てしまった。まあ警察としては、表沙汰にしたくはない事件ですね。」
その顔には、苦笑とともに、どこかあきれのような表情が浮かんでいた。
「もっといえば、八木の存在は、地元にいる多くの人が知っていたようです。例えば空き家に住みついたホームレスがいるようだから、確認をしてほしいという通報が警察に何件か入っていたようです。しかし八木が潜伏していた半年ほどの間、特に警察が動いている様子はないんですよ。」
警察の不手際。
同時に、先ほどの署内での保内の態度を思い出す。
確かに、殺人犯の足取りを掴んでいながら、怠慢で逃がしたことは、不手際、不祥事としかいいようがないだろう。
そしてそんなことは、保内としては、できれば表に出したくはないだろう。
「まあ、この事件について詳しいことは、近々週刊誌辺りで掲載する予定ですので、それまで他言無用でお願いしますよ。」
最後に井上はそういい、コーヒーの残りを飲み干した。
佐々木は、話してくれたことに礼を言い、席を立ち去ろうとした。
しかし、井上は、佐々木を呼び止める。
「そうそう、そういえば佐々木さん、警察署に行ったんですよね。何か収穫でもありましたか?」
先ほどまでのどこか悲痛を含んだような表情から一転、どこか探るような中途半端な笑みを浮かべながら、されど強かさを感じさせる確かな声で井上は言葉を紡ぐ。
そこには、フリーライターという後ろ盾がない環境で、生き延びてきた敏腕記者の確かな強さが感じられた。
「どういうことですか?」
一見、友好的に見えながらも、逃げ場を与えてくれないような井上の強さを感じさせる態度に、佐々木は言葉に詰まり、つい言葉を返してしまう。
「いえいえ、佐々木さんが本日警察署に行かれたというお話が入ってきたもので。まあ事務所がお休みの今日に、わざわざそういうところに行かれるということは、十中八九、八木の事件がらみかと思ったのですが、違いましたか?」
井上は、この佐々木の言葉に呼応する形で会話を続けようとする。
しかし、井上は、佐々木が今日警察署に行ったことすら知っている。
そのことに恐怖をしながら、佐々木は頭を回しながら考え出した。
「いや、そこについては私事ですので、ご勘弁ください。」
困っているような声を出しながら、佐々木は伝票を取るとそのまま立ち去ろうとする。
なんであれ、自分が望む話を聞かせてくれた井上のコーヒー代ぐらい、自分が持つのが礼であろうという最後の抵抗もかねて。
恐らく強引に引き止められるだろうと、佐々木は思いながら、そのまま井上の横をすり抜けようとする。
しかし、井上は予想に反し、佐々木を無理に止めようとせず、代わりに端をホッチキスで止められた紙束を押し付けてきた。
「分かりました。では、お手すきの際にこれを読んでください。」
佐々木は、よくわからぬまま紙束を受け取り、ページを開く。
そこには、佐々木の家の強盗事件の後の、被害者である佐々木への定期的なインタビューを初め、八木が関係している事件等について、井上が取材した情報を基に、現在の八木の逮捕までがまとめられた記事だった。
「これは、私が完成させたい原稿です。何年も前から構想だけはあった一つの記事です。」
流し読みをした佐々木に対し、井上は言葉を続ける。
「事件、そして事件後までの情報は、既にまとめてある。ここに、犯人逮捕後の流れと、被害者である貴方の情報の二つを入れることで記事が完成するんです。」
井上は、いつもの軽い感じではなく、真剣な表情をして話をする。
「これらの記事を、これからの裁判中に発表する。そしてできるなら、判決までの間に今の貴方も記事にしたい。そして最後に判決をもって終わらせる記事。これを私は完成させたいのです。」
どこか熱の入った井上の言葉を受け、佐々木は、軽くうなずくしかできなかった。
そんな佐々木の手から、伝票を引き抜くと、井上は、お休みなさいと、いつもの調子をしながら荷物をまとめて支払いに向かった。
佐々木は、そんな井上に再度礼を言いながら、そのまま店の外で別れて自分の車に乗った。
車を走らせながら、佐々木は改めて考える。
それは、井上から話してもらった、八木の協力者の事だった。
逃げた時、八木は何を考えたのだろうか。
協力者は、中学生。
そして、彼を虐めて殺害をしたのも中学生。
恐らく協力者の少年は、純粋に八木に助けを求めていたのであろう。
中学生という、まだ幼さが残る年齢。
そこに、大人という存在は、きっと大きな助けになると期待していたのであろう。
しかし、八木は逃げ出した。
それは、騒ぎになり警察に捕まることを恐れていたのか、それとも複数名の中学生によるリンチを恐れていたのか。
理由はどうあれ、逃げていく八木の背中を見ながら、少年は、深く失望したことであろう。
自分の仲間と思っていた存在に裏切られ、見捨てられてしまった、その事実は、きっと彼の生きる気力すら奪ってしまったのではないか。
そう考え、佐々木は改めて考える。
少年が死んだのは、失望から来る自殺だったのではないか。。
そして、ある意味、少年を殺害したのは八木であると考えられないか。
勿論、全ては結果論であるかもしれない。
されど、自身を助けてくれた存在を、中学生という自身よりはるかに幼い脅威から逃げることを選んで、見捨てた八木の存在は、とても哀れに感じられた。
そこには、佐々木の家族を皆殺しにした残忍な男の面影など、何も感じなかった。
むしろ、常に何かに怯えて逃げまとう様は、目立たないように背中を丸めている中年男のそれに思えた。
少年は、その背中に何を見たのだろうか。
家が近づいてきたため、アクセルを緩める。
ふと車内時計を見ると、時刻は23時手前であった。
佐々木は、疲れを吐き出すようにため息をつきながら、車を駐車場に向かわせた。
~第九章へ続く~