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第四章「無知への抵抗」

知らざることを、知ろうとすることには、多大な勇気が必要かもしれない。

第四章「無知への抵抗」


八木に会いに行く。

それは、浅井の口から出た衝撃的な言葉であった。


書類を作るためにキーボードを叩き、資料に目を通しながら考える。

昨日の、八木の逮捕後のニュースを思い出してみる。

そこには、佐々木の夢の中に出てくる殺人鬼、恐怖の象徴は存在していなかった。


浅井が話した、現実の八木に会いに行く。

確かにそれは、現状を打開する一つの方法なのかもしれない。

今の心の中に巣くっている自身の八木に対する恐怖を、現実の八木という存在を見ることで打ち消す。


実際、ニュースで見た現在の八木、そもそも事件より前に何度もあったことがある八木は、今現在、佐々木を苦しめているような恐怖の存在ではなかった。

近所のどこにでもいるような中年男性。

どちらかといえば、うだつが上がらない、無害な印象が強い男性。

社会的に言えば、弱者の様が色濃く出ているような人物ではあった。


しかし同時にそれは賭けであることを佐々木は考える。

八木がどのような男を知っている自分、そして、昨日のニュースで見た、現在の八木のどこか哀れな没落した様。

これらを知りながらも、佐々木は、やはり八木の恐怖を振り払えず、悪夢を見せられた。

現に今も佐々木は、八木に怯えている。


その恐怖は、実際の八木に会ったことで消え去るものであろうか。


佐々木は、自身の気持ち、現況を改めて考える。

落伍者ともいえる男、八木。

一方、佐々木は、あの事件の後、様々な縁に助けられながらでもあるが、現在、ある程度の社会的地位を築くことに成功した。


決して高級品というわけではないが、普通の同世代の人達が来ているよりも、少し上質なスーツ。

ブランド物の腕時計。

型落ちの中古といえども、そこそこランクの高い3ナンバーのセダン。


世で言う勝ち組といえる程に高給取りではないが、それなりの収入がもたらしているある種の優越感。


八木の存在は、家族を奪われた憎しみ、自身が直面した死の恐怖に対するトラウマ。

そしてそれは、社会で底辺ともいうべき存在によって、自身の現在のステータスが否定されているのにも等しいような屈辱を与えているのであった。


自身のこれまでの努力で形成された現在の自分。

それが、誰にも恐れられていないような弱者ともいうべき存在に怯えてしまっている現状は、決して佐々木にとって愉快なことではなく、一つの苛立ちを与え続けていた。


しかし、これは後回しにできる問題ではなかった。

時間が経てば解決するかと思っていた自身の中にある当時の事件の悪夢は、13年経った今も、時折自身を苦しませ続けていた。

それが八木が捕まった現状で大きく解決することがなかった今、きっといくら時間が経とうとも、自身を苦しませ続けるであろうという、確かな予感が佐々木にはあった。

ならば、これは一つのチャンスではないだろうか。


ふと幼いころ、親に連れられて初めて学習塾に行く時に嫌がっていた自分を思い出す。

それは、自分が知らない何か、新しい体験というものに対する恐怖から来るものであったのだろう。

行く前は、散々嫌がっていた自分だが、親に連れられ無理やり行かされ、体験授業を受けた後は、何も恐怖も感じず、むしろ学校と違う切口の授業を楽しみ、次の塾に通う日々を楽しみにしていたものだった。


八木に対する無知、同時にそこから来る恐怖を避けたく、八木から逃げようとしている今の日々。

それは、あの時の体験と似ているものではないだろうか。


そして八木に会ったところで、恐らく今より状況が悪化することもないだろう

そう考えた佐々木は、八木に会う決意を固め、改めて仕事に取り掛かることにした。


仕事の終わりにある程度目安がつき、退社時間が迫ったタイミングで、浅井が声をかけてきた。

「お疲れ様。もう大丈夫か?」

それに頷きながら言葉を返す。

「はい、大分落ち着きました。」

その答えに、浅井は満足そうに頷くと言葉を続けた。


「昼間、話した件だがどうする?」

八木に会いに行く。その意思の確認だろう。

「会いに行きます。」

それに短く、されど強く返事をする。


浅井は、少し考え込むようにこちらを見ると、そのまま頷き口を開いた。

「分かった。じゃあ俺が段取りをしておくから、明日、土曜日だが昼頃出てこれるか?」


休日ではあるが、別段やることがあったわけではない。

浅井の言葉に大丈夫だと話、そのまま仕事の打ち合わせを少しして、その日は帰路に就くことにした。


どのように転んでも、明日、一つの結論が出る。

明日、改めて自分の人生が始まるのかもしれない。

どこか気持ちは昂りながらも、冷静に頭を働かせながら車を走らせる。


途中、スーパーに立ち寄り買い物をしていくことにした。

適当に弁当と飲み物を買い込み駐車場に出る。

ふと八木も同じような状況で捕まったのだろうかと考えながら自分の車に向かって歩いていく。


車が見えてきたとき、隣に店に入るときには見かけなかった赤色のスポーツカーが止まっているのが見えた。

その車を避けて、自分の車に入ろうとしたとき、車の陰に男が立っているのが目に入った。


男はこちらに気が付くと、どこか人を食ったような、にこやかな笑みを浮かべながら歩いてくる。

下はジーパン。上は、半袖のシャツを着込み、一見たるんだように見えながらも、鍛えられた肉体を見せつけている服装が否応に目に入ってくる。

そして、なんの用か、尋ねる前に、男が先に口を開いた。


「おや、佐々木さん。ちょうどよかった。お待ちしておりましたよ。」

どこか聞いたことのあるようなその声は、周囲を気遣ってか多少ボリュームを落としていたが、よく響く力強い言葉を発する。

髪の色、顔の皺等を見るに、年齢は自分の少し上ぐらいのようだが、男の話し方や雰囲気は、どこか若々しさを感じさせるような勢いがあった。


「いや、覚えてますかね、以前お話したこともある、井上なんですけど。」

井上、その名前を聞いた瞬間、佐々木は彼のことを思い出した。

13年前、事件が起きてからしばらくは、しつこいマスコミもよくいたが、その中でも特にしつこかったのが、当時フリージャーナリストだったこの男だった。

それと同時に、ふとその声の正体に思い当たった。

「今朝方、うちの事務所に電話をかけてきたか?」

やや敵意を込めたような口調で言葉を返す。

何を考えているかは、知らないが、少なくとも今、関わりたい人種ではなかった。


井上は、その口調から発せられた言葉を軽く受け流しながら、返答をする。

「えぇ、えぇ、おっしゃる通りです。いや、お仕事中には失礼しました。あまりのことに私も少々興奮しておりまして、そちらの都合を考えておりませんでしたね。」

その言葉を受け流しながら、彼を無視して車に乗ろうとする

彼は、それを笑いながら見送る。


車のドアを開けた瞬間、後ろにいた井上が声をかけてくる。

「そういえば、八木容疑者のご家族、いやご両親なんですが、先ほどお会いしましてね、いやあ、何かお話でもと思ったのですが、中々ガードが堅いものでして。」

井上は、誰かに聞かせるのでもなく言葉を続ける。


それを聞き流しながら、車に乗り込もうとドアを開ける。

すると井上は、笑いながら言葉を続けた。

「ただ、前々から八木容疑者の周辺の方にお話は聞いておりましてね、その中で一つご興味をお持ちいただけそうなお話があったのですよ。」

車に片足を入れ、そのままシートに体を預けようする。

「どうも八木容疑者を匿っていた人がいるようで、私、今からその方にインタビューをしてみようと思っているんですよ。」


井上のその言葉で、車の中で固まった。


「ここに来たのも、今からその方に会いに行く前に軽く腹ごしらえでもしようかと思っておりまして。そうしましたら、ちょうど車から降りてお店に向かわれる佐々木様をお見掛けしたので、こうしてお車のお近くで待たせていただいたんですよ。」

変わらぬ調子で、笑顔を絶やさず井上は、言葉を続ける。

「まっ、ご興味がありましたら、明日以降ここまでご連絡ください。」


井上は、佐々木の車のドアを開けるとダッシュボードに名刺を置いた。

「携帯に連絡をもらえれば、大体は電話に出ますし、出なくでも履歴が残っていれば折り返しますよ。」

そのまま、井上は、丁寧に車のドアを閉めてスーパーに向かって歩いて行った。


名刺には、フリージャーナリストの肩書と井上の連絡先が載っていた。

この名刺を、そのまま駐車場に捨ててしまうことも可能であったが、佐々木は、名刺入れにしまい、車のエンジンをかけた。


車を走らせながら考える。

八木の味方をしている人間がいる。

それは、佐々木にとって許しがたいことではあったが、同時に恐怖でもあった。


八木は、一人ではない。

そして自身が存在とその価値を否定しようとしている人間を、肯定しようとしている人がいる。

佐々木にとってその事実は、自身の知らない八木の一面を見せつけられるように感じられ、より八木という存在が掴めなくなるようにも思えた。


無知こそが恐怖。

知らないからこそ、自身の恐怖へとつながっている。


ただ、佐々木は、それを今どうこうすることはできないこともよく理解していた。

どちらにせよ、明日、八木に会うことで何か進展がある。

そのほかのことは、その後に考えればいいだろう。

家に着いた佐々木は、車から降りながらそう結論付けた。


普段と変わらぬ時間に帰宅をしたはずだったが、普段以上の疲れを感じる一日だった。

佐々木は、ふとそんなことを感じながら、布団に入り、眠りの中に落ちていった。


~第五章へ続く~

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