Episode.06:その女、探偵につき
都内某所。
七旗は東京にしては寂れた街の中を歩いていた。時刻は午後3時。先ほどまで都内で巨人が暴れていたとは思えない位に、この街は静かだった。小ぶりの雨が降る中、彼は古ぼけた4階建てのビルの前に立ち止まる。
1階、空き店舗。
2階、空き店舗。
3階、空き店舗。
そして4階――そこに構えるは、米蘭探偵事務所。窓に書かれたその文字は今にも消えそうで、電気も付いていなかったが、確かにそこが、彼が目的としていた場所なのは分かった。狭く急な階段を上がって行き、4階にまで辿り着く。
『米蘭探偵事務所 迷子探しから浮気調査まで どんな仕事も引き受けます』と書かれた張り紙が張られたドアを何度かノックする。が、一向に扉が開く気配も、応答する声も聞こえない。彼はゆっくりとドアノブを握り、回して、扉を開く。
「……鍵かけてないのか……」
なんて不用心な事務所だ、と思いながらも彼は事務所の中へ足を踏み入れる。まあまあな広さのその事務所の中には、この事務所の主であろう彼女の座っていると思われるデスクと椅子が置かれ、その前には依頼を聞くためのテーブルと3つほどのパイプ椅子が無造作に置かれていた。
デスクの上には資料や書類がバラバラに置かれ、キッチンだけはやたら綺麗に整理されている。そして何よりも、事務所の中には数匹の黒猫が自由気ままに移動して、七旗をチラリと見ると欠伸をしてまた歩き出す。
「米蘭ってやつは……居ないのか。はあ……」
七旗は事務所の主が居ないとわかると大きな欠伸をした。
今思えば昨日の夜から殆ど寝ていなかった。夜には時間移動で過去からやって来た妖と妖狩りの少女を尋問し、朝から貌無に会いに行き、昼にはクリフォトの幹部に襲われ……その後にやっとここへ辿り着いた。
「……少しだけ眠らせてもらうか」
彼はぼそりと呟きながら、事務所の端に置かれているソファーにボサッと倒れ込むと、そのまますうと瞬時に眠りに落ちた。
その際、一匹の黒猫が七旗をじいと見つめた後僅かな隙間から出て行ったのだった。
「―――――――」
「――不――こ――郎――」
「起き――侵――! ――――」
「起きなさい! 不埒な奴め! スーツの人!」
「……あ?」
どのくらい時間が経っただろうか。
若い女の甲高い声によって、彼は眠りから目を覚ます。
「不法侵入ですよ、不法侵入!」
そうやって七旗に向かって箒の先を向けて威嚇しているのは、眼鏡にチェック柄の帽子を被ったまだ成人にギリギリ満たして無さそうな女性の姿。
「お前か?」
「はい?」
「米蘭聖名、ってのは」
彼は大きく伸びをしながらソファーに座る態勢になって彼女の事を見る。
「そ、そうですけど……」
「ならよかった、お前に『依頼』があるんだよ」
Eposode.06:その女、探偵につき
「いや~、まさか依頼の人だったなんてお恥ずかしい……あたし、普段この事務所にはそんなにいなくてですね、いつ誰が来てもいい様に鍵あけっぱにしてたの完全に忘れてましたあははは……」
彼女はそうやって気恥ずかしそうに笑いながら、キッチンでコーヒーを入れていた。豆を挽くときに明らかに調理工程とは関係ない騒音が響いた気がしたが、七旗は聞かなかったことにした。
「はいどうぞ、コーヒーです」
七旗が座るテーブルの前に、真っ白なマグカップが置かれる。見た目は完全に唯のコーヒーだったので、彼は一先ず飲んでみると、それはもうこの世の物とは思えない、泥水と揶揄したかったが泥水の方が美味いと思えるレベルでこのコーヒーは不味かった。
彼は気付かれない様に口に含んだコーヒーをマグカップに戻して、ハンカチで口を拭いた。
「で、今日はどんな依頼で?」
彼女はニコニコと微笑みながら自分の淹れたコーヒーを飲んだ。このコーヒーを彼女はマズイと思っている表情をしておらず、疲れて自分の味覚が狂っているのか? と思う。
「『人探し』だよ。米蘭聖名。どんな人であろうと、探し見つけ出す、依頼料さえ弾めば必ず。それがあんたの事務所のウリだろ?」
「人探しなら死ぬほど得意ですよ、ウチは。で、誰を探すんですか?」
そう言って彼女は口にコーヒーを含む。
「吸血鬼の魔法使い」
七旗が探してほしい人物の特徴を伝えた途端、聖名は口に含んでいたコーヒーを全て噴き出す。そしてその全ての液体は、七旗の顔面に直撃した。
「き、吸血鬼の……しかも魔法使い⁉ マジで言ってる⁉ ……あ」
「――気にするな。オーダーメイドのクッッッッッソたけえスーツだが気にするな」
七旗は今にもブチギレそうなレベルにまでになっていたが、何とかその心を押さえつけて冷静に話そうとする。眉間にかなり皺が寄っているのを聖名は見つけ、非常に申し訳なそうな表情になり、新品のタオルを彼の前に置いた。
「自己紹介が遅れたが、俺はこういうもんだ」
彼はポケットからユグドラシルの捜査員手帳を見せる。
「ユグドラシル日本支部 A級捜査官……七旗鋼介。あ! そう言えば昨日見ました! あなたの事! なんか路地裏でゴソゴソやってた……」
「そう。俺達ユグドラシルは色々とやっててね。犯罪に手を出す異能力者の取り締まりや別次元の異物の除去とかエトセトラエトセトラ……。本来なら今回の調査はユグドラシルの奴らにやらせるんだが、今回ばかりは君に頼みたい」
「ええ……まあそれは良いですけど……。お金がもらえれば動きますし、私」
ユグドラシルや異次元といった言葉を聞いても、彼女は動揺しない。
かつて魔術師が世界に多くいたとはいえ、その殆どが表舞台から消え、ユグドラシルや異能による事件も公表されていない現代では、そう言った言葉を信用しない人間も少なくない。
「――動揺しないんだな、珍しい」
「まあ、あたしの職業柄色々見ちゃったりしますからねえ~。昨日の件もそうだし、探し人が吸血鬼になってたり、偶々吸血鬼に遭遇しちゃったり……慣れてるんです」
彼女は膝に乗ってきた猫を撫でながら言った。
「なら話は早い。君にこいつの潜伏先を突き止めてもらいたい」
七旗はそう言ってポケットから一枚の写真を取り出す。
そこに映っているのは、クリフォトの幹部・棺山の姿。ユグドラシルが手に入れている数少ないクリフォトの幹部メンバーの顔写真の一つである。
「この人を? あら、綺麗。この人が吸血鬼で魔法使い? 何でしたっけ?」
「合ってるよ。魔法使いにして吸血鬼、テロ組織の幹部の一人、棺山黎実。こいつが最近、何かを企んでいるらしく、俺達はそれを止める為に動いている。報酬はそうだな――百万でどうだ?」
「百万⁉」
報酬の金額を聞いて彼女は目の色を輝かせる。
「やりますやります! いつまでに探してくればいいですか⁉」
「おおう、思ったよりノリノリだな……。いつまで、か。なるべく早く。一刻を争う状況と言っても過言じゃあない」
「分かりました、なるべく早く、ね。オッケイオッケイ。じゃあ、黒猫たち!」
彼女がそう言うと、事務所の中に居る猫がわらわらと彼女の周りに寄って来る。そして彼女は棺山の写真を猫たちに見せつける。
「おい……何やってるんだ?」
七旗は少し困惑しながら彼女に話し掛ける。
「え? 何って、探してほしい人の顔を覚えてもらってるんですよ、猫たちに」
「は?」
七旗は余計困惑する。そういった異能なのだろうか?
「私がどんな人でも探し出すのは、この子達のお陰なんですよ。沢山の猫ちゃんが町中を探し回ってくれるお陰で、捜査範囲もかなり広くなるんです」
「……成程?」
異能なのだろうか、そうでないのだろうか、俺には分からん。と、七旗は思った。
「まあいい。あと、もしこいつを見つけても、何も手出しするなよ、戦うなんてもってのほかだ。――戦おうとしないと思うが。直ぐに連絡をくれ、携帯電話の番号を書いておくから。途中で何かあれば、直ぐに連絡しろよ」
「大丈夫ですってぇ、あたし、逃げ足だけは何処の誰よりも早いんで」
彼女は猫たちを撫でながら微笑みつつそう答えた。
「ああ、それとこれは報酬の前払いだ」
七旗は以前、刑聖が彼女から押収したカメラをテーブルの上に出す。
「あ! 私のカメラ! 良かったぁ~帰ってきた……。困ってたんですよぉ、お金ないから新しいの買えないしどうしようって。ありがとうございます」
「それともう一つ、今回の依頼の件、絶対に誰にも言うんじゃないぞ、分かったな?」
彼は米蘭に念押しする。
「口は堅い方なんで多分大丈夫! ――多分」
「……まあ、もし漏らしたとしてもこっちは記憶を消す装置があるからな、安心しろ」
七旗は軽いジョークを口にして事務所から立ち去ろうとする。
最も、彼が心配しているのはその依頼の件を漏らしてユグドラシルの裏切り者に伝わり殺害される事だった。完全な部外者である彼女を巻き込んだ以上、命の危険からは防がなくてはならない……。
次にやるべきことは……。
「裏切り者の排除、だな……」
同時刻、東京の地下道。
吸血鬼たちが隠れ家として使うこの古い地下道に、赤いコートの彼――エージェント13は居た。
「知ってる事を言え。此奴がどこに居るか、いいや、知ってる事ならどんなことでも良い。言え」
彼は目の前に両足を欠損し倒れ込む男の吸血鬼に向かって棺山の写真を見せる。
「し、知らない……! 本当に知らないんだ! 嘘じゃない、本当だ!」
男の吸血鬼は怯えながら自身の潔白を訴え、その場で震える。同時に彼の両足から蒼い粒子が出始め、足を修復していく。それを見た13は、電撃の刃で再び足を切り落とす。同時に吸血鬼の断末魔が地下道に響く。
「本当に知らないのか?」
「だからそう言ってるだろ! 知らないって! 本当に!」
「そうか……」
13は一旦吸血鬼から距離を取る。そして拳銃をしっかりと吸血鬼の頭部に向けた。
「じゃあ死ね」
ズガン、ズガン、ズガンと重く響く銃弾が放たれる音。
同時に、吸血鬼の頭部は銃弾によって粉砕され、「あぎゃ」というトマトが潰れた時の様な声を出して、その吸血鬼は絶命した。
「こいつも外れか――」
はあ、とため息を吐く彼。その後ろには、大量の吸血鬼の死体が転がっていた。棺山の情報を手に入れるためにこの地下道に入って一時間程度、これと言った情報は手に入らなかった。流石にもうこれ以上収穫は見込めないか――。
そう思っていた時だった。
「――あんた、棺山ってやつを探してるのか?」
「……誰だ?」
13の遠くから、一人のまだ青年の姿をしている吸血鬼が姿を現す。
「……オレは真祖吸血鬼――【真祖十三血鬼】のフレア、ってやつだ」
それは、赤い髪をモヒカンの様にかき上げて、まるでチンピラの様な風貌をしていた。13は拳銃を彼に向け構えながら訊ねる。
「その【真祖十三血鬼】とやらが何の用だ」
「おいおい、拳銃くらいじゃオレは死なねえ、銃弾の無駄だからやめとけ。それにオレはお前さんと戦うつもりはねえ。安心しろ」
「吸血鬼のいう言葉ほど信用出来ねえもんはねえよ」
13はなおも拳銃を構えながら応える。
「まあいいや。お前、棺山を探してるなら――その居場所とかは言えねえが、重要な情報位なら教えてやれる。どうだ、いいだろ?」
「……なんでわざわざ吸血鬼のお前が同じ吸血鬼の事を売ろうとしてんだ?」
「そりゃ簡単は話、オレは――というか【真祖十三血鬼】にとって邪魔な存在だからだよ。こっちにはこっちの目的があって色々と動かなきゃならねえのに、あいつはそれをかき乱してくる。しまいにゃ人間に協力してるって話だ。鬱陶しい事この上ない」
「吸血鬼同士の派閥争いってか? 姿だけじゃなくてやる事も似てんだな、お前ら」
彼はつまらなそうに言った。
「で、何だよ。棺山の情報ってのは」
「それはだな、――……」
To be continued...