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今晩は、やけに、風が強い。
翌日に実家を離れる予定の航介は、父親に、久々の対局を挑んだ。小学生の頃以来だ。航介は、王将の駒が足りないことに気がついてアーニランと目が合った。「どこ行ったのかな」と、とぼけた航介は、飲んでいた地ビールの王冠をその代わりに「5九」の定位置に置いた。81マスに区切られた父親手作りの盤面で、三十九の駒と一枚の王冠によって闘いの火蓋がきられたのである。
航介の完敗だった。百手にも満たなかった。棒銀で果敢に速攻するも、随所に、航介の若さと短気さが現れていた。航介は、「普段から打っていないと駄目なもんだ」と子供のような言い訳をした。負けず嫌いである。小学生の頃は、父親に負かされてよく泣いたものだ。
対局後、歩兵の駒を手にしたアーニランが、棋譜をなぞる二人に質問をした。
「『歩』のウラの『と』って?」
「『金』の略字かな」という航介に、父親が、
「『ときん』というのは、メッキのことだ。漢字で鍍金と書く。」
鍍金。どこかで見たことがある。
そう、「埖渡村」の「金渡」に近い。メッキという言葉は、今では金属の表面に金属の薄い層をかぶせる技術のことをあらわすが、古来、金メッキといえば仏像のことを指し、この技術が発展したのは仏像製作があったからだといわれている。
怪しい。
なぜ、将棋の駒にメッキなのか。しばらく考えた航介は、将棋というゲームには、対戦相手の王将の首を獲るという戦争ゲームではなく、財宝の取り合いという利権争いのニュアンスが強いのではと推測した。王将、金将、飛車、そして角行以外の駒が「成る」と金将と同じ働きをする。実に示唆的だ。
航介は駒を並べなおし、盤面を凝視した。四十の駒で闘われるということは、全81マスのうちの半分にわずかに足りない空間を、駒たちは当初から得ているということである。
「81マス…」
航介は、盤目に数字を書いていった。一般的な将棋盤の読み方で、右上を原点に、「1一」と書き入れ、左方へ2、3、4…、下方へ二、三、四…。航介は、将棋盤を行列表として、九九表に作り替えたのである。「いんいちが1」から、「くく81」まで書き込んだ。
自分の部屋に戻った航介は、パソコンの表計算ソフトを起動し、81のセルに、九九の値を入力した。表計算ソフトでは、将棋盤とはちがって、左上が原点となる。当たり前なことだが、「A1」から「I9」への斜めの目を境に、値が対称形をなす。航介は、片側の数字を消去した。すると、A列が九行の高さをもち、I列は一行しかもたない右肩下がりの階段が出現した。そこで、航介は、王冠を置いていた「E9」に表示されている「45」という値に注目した。将棋盤でいう「5九」、王将の定位置である。
仙台市を起点に三陸海岸の沿岸部を縦貫し、八戸市、十和田市を経由して青森市へ至る国道四十五号は、この地域の大動脈である。航介が通っていたあの幼稚園は、この国道沿いにあった。国道管理事務所が設置した道路標識から、「45」の数字は、幼い航介にとって記憶に残る数字だった。しかし、大学生になった航介には、客観的にみても、この値が特別な数であることを知っていた。
『45は、1から9までのすべての和に等しい』
航介は、アーニランを呼び、意見を求めた。
「王将の位置に45という特別な値がある。このほかに、特殊性はないだろうか?」
アーニランは、航介に替わってパソコンの前に座り、しばらくキーボードを叩いた。新たにワークシートを挿入し、「A1」に「81」と書き入れて、右方へ72、63、54…、下方へ72、63、54…。
「いっちー。九九は『いんいち』から始めるんじゃなくて、『くく』から始めるから、『九九』と言うんだって。」
航介は原点に「1」を書き入れたが、アーニランは「81」を書き入れた。値は、アーニランによって次々と加工されていく。やがて表示された値には、小数点以下の数字が並んでいる。
「1を九九の値で割ったら、いくつかの循環小数が返されるよ。45だったら、2が並ぶね。」
循環小数…。小数点以下の数字が、ある規則性をもっている数字。たしかに美しい。アーニランは、次の値になる箇所を特別に着色していた。
・「3」 (0.33333…)
・「9」 (0.11111…)
・「15」 (0.06666…)
・「18」 (0.05555…)
・「30」 (0.03333…)
・「45」 (0.02222…)
最後に、アーニランはA列の幅を広くした。「A1」に示された循環小数の値は、最も美しいものだった。
・「81」 (0.01234567…)
「スゲェな、これ」と言う航介に、アーニランはとても興味深いことを口にした。
「地球の質量を1としたときに、お月様の質量が、この値だから覚えていたの。」




