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「市野沢くん、久しぶり。」

 たいして付き合いもなかった同級生の三浦からの電話は、社交界デビューを勧めるものだった。

「白澤寺の和尚が主催している和歌の会なんだけど、僕が幹事なんだ。同級生もたくさん来るはずだし、同窓会のつもりで顔を出してみたら。」

御題となる地名を俳句や和歌に挿入することを条件にするユニークな「ジオ俳句・ジオ短歌の会」は、禅寺である鳩尾(きゅうび)白澤(はくたく)寺住職、大山杢蓮(もくれん)によって主催されている。この歌会は、郷士たちの社交場としても好評で、陰暦の十三日毎に毎月開催されることになっていた。

 今月の歌会は、松の内も明けないうちに「シャトーカミヤ八戸」で行われた。地元選出の国会議員や県会議員などのほか、一戸から九戸までの八人の首長たちや役人などが参加していた。そのなかに、同級生の三浦から勧誘された航介とアーニランも和服姿で参加した。

「明けましておめでとうございます。古来、月が満ちる直前の十三夜こそ、趣があるといわれております。本日は、年賀ということもありまして、多くの方にお集まりいただきました。今回の御題は、『糠部』ということでありました。たくさんの御応募がございましたが、五名の方が入選ということにさせていただきます。それでは僭越ではございますが、私の句と歌を発表させていただきます。」


・菖蒲の日 桔梗が統べる 庭の鶴

・花開く 三八城(みやぎ)の下に 聳え立つ

神谷のこころ 仏の如く(大山杢蓮)


「歌の方は、今回お世話になります『シャトーカミヤ八戸』様の創設者でもある神谷傳兵衛殿を称えたものであることは、いうまでもありません。句の方は、『菖蒲の日』というところだけご説明いたします。『菖蒲の日』というのは、菖蒲湯に浸かるべき端午の節句のことでありまして、勝負をつける特別な日であるということを洒落たつもりであります。」

つづいて幹事の三浦によって紹介された名前に、航介はドキリとさせられた。

「つづきまして、駒井剣作七戸町長でございます。」


・かねがなる 七戸駅の 発車ベル

・坪川の 霊水しみる 砂金掘り

新たな剣 鍛錬鍛練 (駒井剣作)


駒井は、七戸駅前の総合開発プロジェクトについて、いきいきと説明している。

「つづきまして、国土交通省東北地方整備局青森河川国道事務所八戸出張所、工藤治三郎様。」


奥陸奥(みちのく)の 山猿駆ける 未知の道

・法師岡 (つち)のいびきも 鯰なく

鯉はねあがる 鮭さかのぼる (工藤治三郎)


工藤は、「みちのく」という呼称の解釈を披露した。

「同じく、国土交通省東北地方整備局青森河川国道事務所八戸出張所、石橋亘様。」


尻内(しりうち)へ 遠き道のり 十マイル

・鎌倉の 蜂の針から 羅針盤

毒針なのか 良薬なのか (石橋亘)


石橋は、なかなかユニークなことを詠んでいた。

「決して、上品な地名とはいえない『尻内』ですが、『四里の内』とするならば約一六キロメートル、すなわち十マイルになるわけです。私は競馬が好きなので、距離をマイルで考えることがクセになっているのです。贔屓の騎手がパンパンと馬の『尻を打ち』、発奮した馬によって今年こそ私の懐を温かくしてもらいたいと思います。さて、ジオ短歌の方ですが、私は神奈川県出身ということもあって鶴岡八幡宮や源頼朝と、糠部との関連を考えてみました。八幡宮の『ハチ』と『蜂』、そして『八戸』を掛けてみたのです。漁を生業としてきた八戸の男たちにとって、羅針盤は大切な宝物だったことでしょう。」

 航介は、ユニークでユーモアがあるこの社交場を気に入った。地名や郷土の歴史を尊重して、俳句や和歌をつくるというアイディアがすばらしい。また、政治家や役人の面々、そしてただの学生にすぎない航介やアーニランが、気軽に参加できる開放的な雰囲気もすばらしい。

「市野沢くん、おめでとう。」

アーニランを連れた航介が、恩師や旧友たちとしばらくぶりの再会を楽しんでいるところに、作り笑いをした三浦がやってきて、アーニランとともに作品が入選したことを告げる。

「つづきまして、藤原アーニラン様。」

航介は、緊張するアーニランの目を見て、「大丈夫だから」と背中を軽く叩いて送り出してやった。


・メグレズで つぼにいしぶみ 宿る吾子

曾良(そら)を待つ 芭蕉も避ける みちのくの

鏡に映る 前田利家 (藤原アーニラン)


アーニランは、小さな声でスピーチをはじめた。航介から教わってきたことを、自分の言葉で語った。品のない多くのゲストたちは私語に盛り上がり、アーニランの話をあまり聴いていない。

「わたしには、パパがいません!」

急に、アーニランは大きな声を出した。

「臆病でひとりぼっちのわたしに、船長だったパパのように、勇気をくれた人へ捧げます。」

静まり返った会場の離れた所から、杢蓮や三浦幹事が、航介の様子を窺っている。

「松尾芭蕉は、青森県域には足を踏み入れていません。象潟(きさかた)(秋田県)が、最北の地です。なぜでしょうか。芭蕉が本物の俳人ならば、平安時代から詠まれてきた『つぼのいしぶみ』を無視した理由は何でしょう。古くから京に聞こえていた津軽を訪れなかったことは不思議なことです。おそらく、芭蕉の目的は句を作ることではなく他にあったのではないでしょうか。伴に曾良という者をつけ、『奥の細道』の結びの地を坂東の西端である大垣(岐阜県)としていることは、天体観測や地理について関係していることだったのかもしれません。芭蕉は、今でいう東日本の横断をすることこそが目的だったと思うのです。」

 アーニランは、少し間をあけて、残りの十四文字を解説した。

「わたしは金沢で育ちました。そこのお殿様は、菅原道真の流れを引く前田利家という人です。ともに、梅の花を家紋としています。金沢の中心部にある殿をお祀りした尾山神社や、前田家代々の墓所がある郊外の丘から今でも加賀国を見渡して、人々を守ってくださっていると思っています。その利家公は、この糠部も、いや、もっと広い南部藩領も見守ってくださっているのではないでしょうか。江戸時代の南部藩主である南部利直公は、利家から一字もらって改名したそうです。積極的に領内経営をされた利直は、師である前田利家がつかさどる豊かな加賀国を参考にしながら藩政を執り行ったのだろうと、想いを馳せるのです。」

まだ十四歳の美しい少女が物怖じせず演説する姿に、会場から多くの拍手が贈られた。興奮のせいか瞳を潤ませながら戻ってきたアーニランを航介は抱きしめてやりたかったが、そういうわけにもいかなかった。

「それでは、最後になります。今回の最優秀作品は、市野沢航介様です。」


・乳ほしや 泣く妹おぶり 牛を曳く

瓢形(ひさかた)の ひかりまたたく 糠部へ

放つ鏑矢(かぶらや) 疾風(はやて)のように (市野沢航介)


 航介は、少しだけ鼻の穴を上向きにしながら解説しはじめた。一戸から九戸までの、ユニークな地名ができた仮説を披露したうえで、

「『ひさかたの』という枕詞は、ふつう『ひかり』などに掛かります。僕は、この枕詞に『瓢箪の形をした』という漢字をあてはめてみました。縦に割った瓢箪の断面と北斗九星は相似形になります。北斗九星は、対称という視覚的な工夫をすることによって、瓢箪に見えたり壷に見えたりする星座なんです。」

航介は、軽く咳払いをして、

「県民の長年の夢でした東北新幹線が、皆さんの御努力によって、まもなく全通します。大きな経済効果が期待できます。東京から放たれた『はやて』号が、あの当時の『ひかり』号のように、富と繁栄をもたらせてくれることを願ってやみません。」

航介の機知に富んだ話題に、会場が沸いた。

「さて…。」

航介は、少しトーンを落として、

「ジオ俳句の方には、南部町(青森県三戸郡)の『名久井』集落を隠してみました。母親のおっぱいを欲しがるおさなごを背負い、牛や馬を曳きながら、貧しくも気高く生き抜いてきた先人たちを敬い、感謝の意を込めて、あの頃の懐かしい糠部の風景を表現したつもりです。」

航介は、南部小富士とよばれる名久井(なくい)岳の麓にある鄙びた集落を思い浮かべながら、目の前にいる郷士たちの情に訴え、大きな身振りを交えた演説を終えた。

 しかし、航介はその句に込められていたもう一つの思いを、誰にも言っていなかった。アーニランへさえも。

「父親がいないと 寂しそうな目をするあなたに

『四戸』で情けをかけ

ともに生きていこうと決めたあの日

牛を曳くほどの歩みの遅さといえども

愛に溢れた正しい道を歩んでいきたい

それが南部人なのだから」



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