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昔からの「おまつり」を大切にしてきた航介の母親だが、舶来モノであるクリスマスの準備も欠かさなかった。ただ特別なことに、十二月二十五日は航介の誕生日でもあった。
市野沢家のクリスマスツリーは、毎年、父親によって選ばれてきた。他の木材と同じように、滴石号によって山から下ろされたモミの若木は、大きめの鉢に植え替えられた。今年の飾り付けは、アーニランの担当である。いまどきの中学生のセンスは、一家にとって新鮮だった。発光ダイオードや折り紙による飾り付けに、飴や綿菓子をちりばめたお菓子の木。七夕と同じように、願いごとが書かれた色とりどりの短冊。もちろん、家族全員が書かされた。
『一人前の男として認められるように 航介』
航介は、両親も見るであろう短冊にわざわざ甘いことを書くわけがなかった。ところが、アーニランは、航介が気恥ずかしくなるようなことをしたためた。
『船で出会った勇者と結ばれますように アーニラン』
玄関先でツリーの飾り付けをしていたアーニランが、馬房の手入れをしていた航介を呼び出した。
「いっちー!ベツレヘムの星がないよぉ。」
山から切り出したモミの木の、キリスト教徒でもない市野沢家のクリスマスツリーには、これまでてっぺんの星がつけられていなかった。無知だった。天文部のアーニランは、この星の大切さをアピールした。
「イエス様がお生まれになる時に、その星が輝いていたことが、彼がエリートである根拠なの。」
ベツレヘムの星のことなど知らなかったものの、実は、航介は、キリスト教系の幼稚園に通っていた。その幼稚園に通うことになったのは、家族の信仰心からではなく、このあたりでもっとも歴史ある幼稚園がそこだからだった。各地でよくみられる幼児教育のかたちだが、信仰の有無は別としても、子供たちは、宗教に触れる機会が多いのである。
航介には、イエス・キリストにまつわる幼児期の想い出があった。それは、父兄参観での演劇発表会の一コマである。キリスト教系のところでは、降誕祭というかたちで、イエスの生誕を題材に演劇をする。なかなか活発でガキ大将の資質があった航介は、主役であるイエスになりたかった。ところが、その役は他の子が演じることになった。航介にとって、生まれてはじめてのジェラシーがその瞬間だったのである。しかし、今思えば、あの子は洗礼を受けていたキリスト教徒だったのだろう。
航介の役は、東方三博士の一人だった。
二人は、アメリカ資本の大型玩具店で、大きめの「ベツレヘムの星」を手に入れた。航介は派手な金色のものを選ぼうとしたが、アーニランは殊勝に銀色のものを選んだ。
「金色は、太陽の象徴。ベツレヘムの星は、太陽だけではないはずだから、こっちにしよう。」
「じゃあ、ベツレヘムの星ってどの星のことなんだろう。」
天体のことは、文系大学生の航介よりアーニラン部長の方が詳しい。いつもとは攻守交代だ。
「太陽系のいくつかの惑星が、特別に配置されていた状態のことだとおもう。」
「特別な配置?」
「水星と金星は、地球よりも内側の軌道を通るから、真夜中に見ることはできないの。朝日が出る前の東の空か、夕日が沈んだ西の空のどっちかだけ。」
航介は、六戸のあたりで見た明けの明星の強烈な光を思い出した。
「仮に、ある年の十二月二十四日の日没後、水星や金星、火星、木星、土星を一度に見ることが出来たのならば、これはものスゴいこと。翌日が冬至で、満月とか朔だったりしたならば、もっとスゴい。」
「天体がイエスを生み、特別な日とするのか…。」
「惑星がその配置になるのは、地球上の時間軸では、その一瞬だけ。ロマンチックな天文学者ならば、強烈なカリスマをもった誰かが生まれるか、もしくは死ぬかの特別な時としたくなるはず。」
航介は、「なるほどね」と深く詮索しなかった。今の航介も、その天文学者と同じ立場だったならば、似たようなストーリーを拵えたことだろう。
航介は、あらためて降誕祭で演じたことを思い起こしてみた。中東の民族衣装を着させられて、頭にはパンストを加工したアガールを巻いたことをよく覚えている。あのとき、舞台の上で半分ふて腐りながら、ジェラシーの対象へ何かを手渡したはずだ。しかし、よく思い出せない。
「東方三博士の持参品って何だっけ?」
「黄金、乳香、没薬の三つ。」
そう言われて、航介は、三博士の真ん中にいた幼き自分が、金色の折り紙を貼りつけた「金塊」を、イエス役の彼に手渡したことを思い出した。しかし、他の二人が何を持っていたのかは全く覚えていない。
「ニュウコウ?モツヤク?」
「乳香はお香で白い粉、没薬は薬で赤い粉のこと。」
金塊を手にしていた航介に比べて、他の博士たちはすいぶん粗末な代物をイエスに献上していた。
「なんか、バランスが悪いな。」
そう言った航介は、いつものように髪をかきあげた。
「東方三博士のひとりが持参した黄金を、太陽としてみる。すると、乳香や没薬を持参した博士たちは、どの星を手にしていたことになるんだろうか。」
太陽信仰が盛んだった古代人にとって、随一の眩い光を放つ黄金は、地上の太陽として特別な存在だ。航介の故郷に程近い平泉(岩手県西磐井郡)にも、エジプトと同じように、四体のミイラが安置されている大寺院がある。その名は、関山中尊寺金色堂。太陽と黄金が、象徴という観点で結びつけられることに疑いの余地はない。
「没薬のような赤い土の星は、火星で間違いないとおもうよ。白い星だと…。」
航介の説に刺激されたアーニランは、乳香に象徴されるのは、金星、木星、月のうちのどれかとした。
「金星の中国での古い呼び方は、太白という。日本でも太白星というけど、ふつうは精製した真っ白な砂糖のことを太白という。」
航介には白色の乳香が砂糖に見えたので、それを「太白」というキーワードから金星と結び付けた。
「天文学者である東方三博士がイエスに献上したのは、太陽、金星、そして火星の三つのはずだ。」
航介は、ふたたび前髪をかきあげ、髪を梳いた。
「三賢人とも訳される天文学者の三博士が、東の方からベツレヘムの馬小屋にやってくるところが興味深い。おそらく、イエスが生まれたベツレヘムは、ある所から見て西の果てだったのだろう。天体の動きと同じように、東から西に向けてやってきた三博士の懐には、太陽、金星、そして火星が携えられていた。」
航介は、京都に戻ったら、パソコンにインストールしてある天文シミュレーションソフトで、あの時代の十二月二十四日の夜空を観測することにした。イエスが生まれたベツレヘムが西の地平線上となる場所を推定し、その場を観測点としていた三博士が観た特別な夜空を、二千年後の太秦で観ることを楽しみにした。おそらく、おおぐま座η星アルカイドが、六世紀から七世紀にかけて周極星であり続けた南限線を発見した時と同じ興奮を覚えることができるのだろう。高千穂とベツレヘムに共通する聖地化は、観測する星と方位こそちがうものの、発想そのものは同じである。それは、天空に現れた特別な星を接地面に降ろすことで、天孫降臨を根拠づけるのだ。
一連の推理に半ば確信していた航介は、幼少期の自分がジェラシーの対象に与えた持参品が、身近な星に対応するとは、この日まで思ってもみなかった。なぜなら、「乳香」や「没薬」が、アーニラン部長から教わるまで、なんのことか知らなかったからである。
クリスマス・イブの夕焼けは見事だった。午後四時前なのに、逆光になる西日のせいで運転にはサングラスを必要とする。北西からの季節風が、白く映える八甲田連峰にぶつかり、その上空だけ雪雲が溜まっている。
航介は、玩具店からの帰り道、目をつけていたビニールハウスに寄って「ひと仕事」してから、やり残した九ヵ所目の禹歩巡礼地へ車で向かった。航介は、この日にその場所での禹歩によって、愛する故郷への巡礼を完成させようとしていた。駒井宅でアーニランと再会した瞬間に、すでに決めていたことだった。
航介は、アーニランを乗せたまま車から降り、彼女の死角を選んで、恵ませてもらった小さめの瓢箪をいくつかの道具を使って加工しはじめた。まず、瓢箪のヘタがある部分からコルク抜きを使って穴を開け、長いドライバーで瓢箪のお尻の部分まで慎重に通す。次に、ポケットにしのばせていた王将の駒と指輪を美しい和紙に包み、瓢箪のお尻の一番深い部分にこれを押し込んだ。そして最後には、くびれた腰の部分を蔓で縛り巻いた。
産土神のまえで、最後の禹歩を堂々と披露した航介は、献じていたその瓢箪を御前から下げ、斜め後ろから見守っていたアーニランの前で片足をひざまずき、そのまま贈った。
「メリークリスマス!」
航介のひざまずく姿と、不細工な突然の贈り物にしばらく驚いていたアーニランだったが、「ありがとう」と言う頃には、一筋の涙が頬をつたっていた。航介の「開けてごらん」という言葉に、さらに驚いたアーニランは、渡された小さなナイフで瓢箪のお尻に裂け目を入れ、高貴な紫色の和紙に包まれた指輪と将棋の駒を見つけた瞬間、今度は大粒の涙を流した。
「これを『瓢箪から駒』っていうんだ。」
航介は、いたずらっぽく笑顔でからかった。アーニランは泣きながら、航介の胸のあたりをパンチした。
「四月生まれのアーニランの誕生石は、今のオレには手が届かない。ゴメンな。」
航介は、アーニランの左手薬指に、玩具店で買ったおもちゃの指輪をはめ込んだ。特別なデザインがされているわけでもない四二〇円のアクセサリーだった。
「瓢箪に締められていた蔓は、これからも恋人同士が一緒にいられるためのおまじないになるんだ。」
感激して泣きじゃくるアーニランを前にしてそう言った航介は、蔓製のベルトを自分の歯で二つにちぎった。腕輪になるような大きさで器用に加工された瓢箪の蔓は、二人の右手と左手に通された。
「このまま、無事にクリスマスの朝を迎えることができたのなら、二人の願いは成就するらしい。」
航介は、魔除けになる蔓草が巻かれたアーニランの右手を絡めとり、いつかのように、自分のポケットのなかに導いた。
航介が最後の禹歩の地として選んだのは、「四戸」だった。ところが、「四戸」という行政区域は、唯一、機能していない。地名もない。しかし、六戸とは異なって「四戸氏」という姓は、現在の南部町(青森県三戸郡)に多く存在する。明治政府によって採用された姓名の一般化は、その土地に愛着を持つ住民の感性を反映した遺物である。
さて、この行方不明の「四戸」問題を論じる際に、参考文献として出典回数の頻度が高いのが、歴史地理学者の吉田東吾が明治期に編纂した「大日本地名辞書」である。国威発揚の一環として地誌本を編纂することになった吉田は、現在の五戸町浅水(青森県三戸郡)を「四戸」と推定していた。たしかに、奥州街道沿いの大きな集落だった浅水集落だが、著名な彼は、その場所を「四戸」と推定した根拠をなんら示していなかった。
航介は、愛郷者がのこした遺物とアーニランのヒントによって、およそ千年ぶりに「四戸」を特定した。ヒントを与えてくれた女神へ、特別な日に特別な場所で瓢箪を奉ることは象徴的なことだった。瓢箪は、若い女性の体型を連想させる。ボンッ、キュッ、ボンッと。また、その形は女性器をも連想させる。壷と同じように。そんな特徴をみせる稚い瓢箪の奥深くに、航介が意識的に選んだ王将の駒を指輪とあわせて収め、駒が流れ出ないように、くびれた部分を蔓できつく縛り巻いたことは、航介の遺伝子をアーニランの子宮で育んで欲しいという意思だった。必ずしも、「開けてビックリ」というニュアンスでの「瓢箪から駒」ではなかった。
北斗九星の文曲星に相当するおおぐま座δ星メグレズは、柄杓に見立てられた時、支点となる重要なつなぎ目だ。何らかの理由で消されてしまった淡い光を放つ地上の星は、地理を学ぶ航介と星好きなアーニランによって、神前への御神酒を酌む柄杓の支点としてその輝きを取り戻した。糠部の大地から酌んだ御神酒は、神に奉る容器としても、瓢箪を必要とするのである。
オリオン座が、南の空でもっとも高くなるクリスマスの午前零時、車の中の二人は「四戸」という結び目で、結ばれた。真冬に温室で育った四戸産の小さな瓢箪と、過保護に育ち、ひきこもりになりがちな幼いアーニランとはよく似ていた。この瞬間に成人したひとりの勇者によって、ともに奪い取られたのである。くびれた瓢箪の腰に巻かれていた蔓の腕輪は、聖なる夜の通過儀礼として愛し合う二人をやわらかくつなぎ合わせ、はるばる東の方からやってきた三人の博士が、その二人の目の前を通過していった。
ダッシュボードの上には、アーニランが選んだアメリカ製のベツレヘムの星が、気高く輝いていた。