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軒下には、粉を吹いた干し柿と漬物用の大根が吊り下げられている。どちらも、雪に閉ざされる寒村の大切なビタミン源だ。
そう広くはない田畑を耕しながら、製材所を営む航介の実家では、ひとつ屋根の下に人間と馬が生活していた。木材を山奥から搬出するために、馬が必要なのだ。競馬場をスマートに駆け抜けるサラブレッドではなく、和馬とアラビア馬を交配したその木出し馬は、首や足が幼子のように短く、コロコロとしてとても愛敬がある。寡黙に仕事をこなす馬の姿に南部人は敬意をもち、南部曲屋という独特の建築様式でもって、馬と寝食を共にする生活を続けてきた。市野沢家の愛馬は、「滴石号」と名付けられていた。雫石町(岩手県岩手郡)の牧場から譲り受けたやや太めの馬は、飼い葉もよく食うがよく稼ぐ、人懐っこい南部馬の面影を強く残していた。
航介は、アーニランを両親に紹介した。女性を連れていったのは、高校生のとき以来、二回目だった。
冬至のこの日、神棚からさげられたカボチャを炊いたものが食卓に出された。航介の母親は、季節の節目におこなわれる家のなかでの「おまつり」を大切にしてきた。新年、七草、豆まき、桃の節句に端午の節句、七夕、そして月見に至っては、芋名月と栗名月の二度おこなった。航介は子供のころ、菖蒲や竹笹、ススキを採ることのおつかいをよく託されたものである。
「冬至にカボチャを食べる慣習には、意味がないようで、意味があるんだ。」
航介はアーニランを手招きして、室からカボチャを取り出した。年季物のまな板のうえで、航介によって強引に真っ二つに割られたカボチャの実は、鮮やかな黄色をしていた。
「冬至は、暦のうえで冬の盛りだということ。農家にとっては、物も採れないし食べるのにも事欠く、陰の季節だ。」
格子戸からは、あの干し柿が顔を覗かせている。
「夏の野菜であるカボチャを冬至まで保存しておく理由は、この黄色が病気を遠ざけると考えられてきたからだ。」
航介は、いつものように髪をかきあげた。
「病気とは、丙(火の兄)が病んでいる気、と書く。陰陽五行説で、火の力を奪うものはなんだっけ?」
「木火土金水…。『水剋火』だから、水ね。色でいったら黒色。」
「うん。病気になるのは、火気が水気によって剋されているからだ。ならば、その水気のはたらきを弱めてやれば良い。水のパワーを奪うものはなんだっけ?」
「『土剋水』だから、土ね。色でいったら黄色…。」
アーニランは気づいたようだった。
「火気の敵である水気を弱めるために、土気を口に入れるということなんだぁ!」
禹歩巡礼での途中で、ずっと会話してきた陰陽五行説に関する知識の呑みこみが早いことに、航介はあらためてアーニランの賢さをみた。しかし、アーニランの解答には、百点満点を与えられない。
「それでは、火にパワーを与えるものは?」
「『木生火』だから、木ね。色でいったら青色。」
「それでは、火からパワーを貰うものは?」
「『火生土』だから、土ね。色でいったら黄色。」
そこで航介は、割ったカボチャを持ち上げた。
「この野菜は、青色のかたい皮と黄色の実でできているよね。包丁を入れる前は、青い皮で冬の寒さから実を防御する。ところが包丁を入れると、一変して冬の寒さを攻撃する能力をみせつける。つまり、カボチャっていうのは、火気と相性がいい食べ物の象徴なんだよ。」
「カボチャの皮は、緑に見えるんだけど…。」
「日本語の『青』とはブルーだけではない。信号だって、グリーンに見えても『青信号』っていうだろ。」
航介はカボチャをラップにくるみ、室に戻した。つづいて、部屋から愛用の羅経盤を持ってきた。ついでに、七夕飾りのときに使った折り紙を、いつもの所からさがしだした。そこから、青、赤、黄、白、黒色の五色の折り紙を引き抜き、
「この五色を、四季に対応させてみな。」
と言った。アーニランは、航介のレクチャーを思い出しながら、羅経盤の上に、青、赤、白、黒色の四枚の色紙を置いた。春、夏、秋、冬に対応させて。ところが、黄色の色紙が余ってしまっている。しばらく考えていたが、アーニランは首を振ってうなだれた。
「この黄色の紙は、四等分しなけりゃいけない。」
航介は、正方形の折り紙を四枚の短冊にした。アーニランは明るい表情に戻り、その四枚を、季節の変わり目に重ね置いた。
「この黄色の折り紙は、立春、立夏、立秋、そして立冬の前日までの部分に置くのさ。決して『立』がつく節気に、重ねてはいけない。」
そう言って、羅経盤の「立春」の場所にはみ出した黄色い短冊を、几帳面に修正した。
「新しい季節になる直前の十八日間を、『土用』という。鰻を食べるアレは、立秋の直前の土用だ。」
「十八日間という期間は、どういう理由?」
「一年を、現在のような三百六十五日ではなくて、月の満ち欠けに対応させた三百六十日とすると、四季に土用を加えた『五季』では、一つの季節には、七十二日間割り当てられる。土用は、一年に四回あるので、これを四で割って、十八日間毎ということになるのさ。」
アーニランは、うんうんといつものようにうなずいた。
「アーニランは、『人のうわさも七十五日』っていうことわざを、知っているかな?」
航介は、このことわざを通して、伏し目がちの少女に、少しばかりの勇気を与えようと考えた。
「思春期は、他人の目が気になる年頃だ。だけど、心が卑しい連中の悪口に翻弄されるのはバカバカしいよ。アーニランの悪口を言う人間など、君のその美しさに嫉妬しているだけだ。このことわざは、時が解決するということをさりげなく教えてくれている。」
航介は、一つの季節の我慢で、怒りや悲しみという陰の感情が払拭されるという故事を、あどけない少女に受け渡してあげた。
アーニランはうつむいたまま、一度だけうなずいた。