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航介は、アーニランと巡礼できることに満ち足りていた。千曳神社の御前では、ひとり悲壮な美しさを見せた大鳥の舞が、アーニランからの愛情をうけることによって、暖色系のオーラに包まれた優美な舞へと昇華していた。航介とアーニランとの強く固い絆は、神からの嫉妬を得るほどまでになっていた。
六戸町長との懇談は、この日に設定されていた。町長は電話口で、海外出張を理由に、航介への対応の遅れを弁解した。航介も六戸町長の誠実さに惹かれ、その懇談を楽しみにしていた。
ところが、この約束は急に反故にされた。この辺りのすべての自治体に、不審者情報がリークされたからだった。青森県警の役職名で、ファクスが一斉に送信されていた。
『不審な大学生が、県内で政治運動をしている。注意されたし。この者は左翼活動家で、京都において、熱心に学生運動をしている。』
明らかなデマだった。航介は左翼でなければ、学生運動も政治活動もしていない。大学のサークルでさえ入っていなかった。学生生活で精を入れているのは、他大学生とのコンパと路上ナンパだけである。
公安当局から尋ね者扱いされた航介に、関わろうとする首長は、当然のことながら一切いなかった。六戸のあとに禹歩をし、面会する予定だった八戸市長、五戸町長、三戸町長、二戸市長、一戸町長、そして九戸村長らに、すべて門前払いという手荒な対応をされた。結果的に、七戸町長だけとは対話をする機会があったが、逆に駒井に対しては、航介の方から無礼をはたらいてしまっていた。
七日間で七ヵ所の巡礼は、不完全なものとなった。当初予定していた首長たちとの対話を果たせず、航介が測量した九つの「戸」に近い産土神の前で、四股を踏むことだけに終始せざるを得なかった。
航介は、懇談どころか面会でさえ拒絶した七人の首長たちに憤懣やるかたなかった。彼らは、すべて保守政治家をなのり政権与党に順応して国づくりの一端を担ってきた。しかし、地名という先達の知恵を粗末に扱い、財政破綻の責任は負わず、これをすり替えた。さらに、地域に根差したお宮やお寺の不幸を指摘すると、外国人の干渉により制定された憲法をもちだして抗弁するという彼らの態度は、航介にとって、保守を理解していないように思えた。
日本国は、昭和二十年から始まったわけではない。明治維新からでもない。日本人は、アメリカやヨーロッパ諸国に優越する悠久の歴史を刻み、崇高な文化を育みながら古き良きものを大切にしてきたのだ。ところが、利用するために取り入れた価値に侵食され、いまや、日本そのものが劣化しつつある…。
航介は、三浦らによる妨害だとは全く気づいていなかった。気づくはずもなかった。ただ、首長たちに徳と見識がないものだと思っていた。狡猾さを否定する若気の至りなのだろうか。航介は、未だ修行が足りない、ただの健児にすぎなかった。
神の嫉妬とも悪戯とも解せられるその導きは、広い海原の向こうから、試練の荒波を冒険者たちに立てつづけた。二人を呑みこまんとする神からの波の穂は、相性という愛の類いによって、ことごとく摘み取られた。
しかし、神によって決められた周期の強い離岸流で、二人はしばしば沖合いへ引き戻される。その後も、波状的に繰り返される攻撃のたびに、冒険者は、アガペーよりもエロスが有効であることを、大海原に知らしめなければならなかった。