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 航介の着信音が鳴った。中島みゆきの「地上の星」である。帰宅を急かす母親からのものだった。二人は、一九時四七分発の日本海4号に乗らなければならない。青森駅までの連絡を考えると、いつまでも油を売っているわけにはいかなかった。

「航介もアーニランも、お盆まで帰ってこられないのだから、そのまま剣吉にお参りしてくるように。」

剣吉とは町内の集落名のことだが、市野沢家の通称では、集落内にある斗賀神社と先祖の墓がある東円寺のことだった。市野沢家の神棚には、斗賀神社のお札が祀られていた。氏子ということだ。

 斗賀神社は、横暴な明治政府の廃仏毀釈というつまらない政策によって、むりやり神社化させられたお宮である。かつては観世音菩薩が祀られており、本来は仏教系のお寺であった。地元の人には、今でも斗賀霊験堂、斗賀観音と呼ばれている。

 二人は、墓参りをしたあと斗賀神社に参詣した。向こう一年の家内安全を願ってお札を賜り、破魔矢を手にして車に戻ろうとするとき、V字に隊形を整えた渡り鳥と思われる大群が、馬淵川の下流に向かって飛んでいく姿を目の当たりにした。

「ヴィクトリーのVだな。」

航介のユーモアに、アーニランが吹き出した。

「Vじゃないよぉ。デクレッシェンドだよぉ。」

アーニランが言うように、進行方向には山型だった。

 そのとき航介は、アーニランのその無邪気な言葉に反して、強い不安感に襲われた。

「明日、日本海4号が金沢駅に滑り込んだあとに別れてしまう二人は、それぞれひとりぼっちでやっていけるのだろうか…」

 さらに追い討ちをかけて、観光案内板に書かれてある斗賀神社の由緒が、航介の不安感を煽った。平安歌人の藤原有家にゆかりのあるこの神社は、彼が政治的な抗争に苦しんだことを連想させた。道真のように冤罪にはめられたのかもしれない。どうも、斗賀という地名の由来が「咎」かららしいのだ。航介は、その地名の不吉さを意識してから、近々に、不幸事でもおこるのではないかと杞憂をいだいた。

 高台から北東流していく馬淵川を見下ろしていた航介は、この斗賀という地名を、不安を取り除くために都合のいい解釈をすることにした。これまで、地名を守らんと保守的な姿勢を貫いてきた航介が、自分の不安感にはあっさりと負けてしまったのだ。

 航介は、自分を励ますために、この地名を渡河に由来すると解釈した。

 アーニランにそれらしく説明しながら、真東を眺望していたとき、航介の千里眼が急に精度を増した。心眼の機能も発揮され、まるで猛禽類の大鳥のような目つきになった。二人が立つ斗賀の丘からは、馬淵川を挟んで、一面の銀世界に浮かび上がったあの神の気の里が広がっている。

 ついに、航介は、その里の演出家を発見したようだ。彼を「星筆麻呂」としよう。彼は、星秀麻呂よりも美しく論理的な地上の星を遺していた。

「ここから、アルニラムを地上に降ろしたようだ。」

航介は、その星の子であるアーニランを前にして、そう言った。アーニランは航介の視線をたどり、自分にちなんだ地上の星を探し求めている。

「さっきまで居た杉沢村は、ここから見ると、ちょうど地平線上になる。」

航介は、稜線の間隔などを利用して、杉沢村の位置を教えてやった。さらに羅経盤と照らし合わせて、その地が斗賀からほぼ真東にあることを示した。

「杉沢村とは、ミンタカだ。」

航介は、水星でもあるということは引き続いて伏せたままそう断言した。航介は、積もった雪を三つ丸く固めて、地上の星と同じように目の前に並べた。

「あと数時間もしたら、あの地平線上にオリオン座が昇ってくる。その三つ星で、もっとも先に顔を出す一番星は?」

航介は、アーニラン部長に対して星に関わる問題を出した。フェリー上で彼女から教わったことなのに。

「δ星ミンタカ。」

「オリオンの帆を立てた時、α星ベテルギウスとβ星リゲルを結ぶ星座線は右下がりに立っている。しかし、地平線に昇る時と沈む時はどちらも寝ている。この事実は忘れがちだ。」

航介は、雪のキャンバスに「そごう」のマークを描いた。

「古くから、このマークで『十五』を表す。」

「オリオン座が由来なの?」

「多分ね。」

「砂時計みたいだね。」

アーニランは、二人に残された時間を感じとったのか、その呪印を示唆的なアナログ時計に見立てた。絹の道に想いを抱く航介には、糸巻きに見えていた。

「ミンタカが昇った瞬間、杉沢村に光がともる。アルニラムが昇ると埖渡、そしてアルニタクの時は福田に。真冬の夕方に三つ星が顔を出していくと、この順序で村々にも明かりが灯っていくんだ。馬淵川だって、星に見立てることができる。」

「天の川だね。」

アーニランは、航介が描いた「そごう」のマークの左側に、その流れを付け加えた。さらに、三つの雪玉を、星の明るさに合わせた大きさへ修正した。

「天空の星たちと地上の星がひとつになる瞬間を、この目で見てみようか。」

「うん!」

アーニランは、これまでで最高の笑顔を見せた。

 しかし、残念ながら、西の空から絶え間なく送り込まれてくる雪雲のせいで、二人はその瞬間を見ることができなかった。そのうち、ふたたび吹雪いてきて、地上の星すら見ることができなくなった。一転して寂しそうな表情をするアーニランを見て、航介は、自分の配慮の無さを反省した。ふたたびその瞬間を目にするには、日没との兼合いから、およそ一年の歳月を必要とする。優秀なアーニラン部長は、そのことをわかっているようだった。

「ゴメンな。」

「別に、いっちーが悪いんじゃないもん。」

航介は、雪のキャンバスに描かれた二人の作品が、新雪のせいで消されていく光景を見て、はかなさというものを初めて理解した。

「また来ようね。」

アーニランは、明るい笑顔で航介の手を引き、自分から航介のポケットに手を入れてきた。

「冷たっ!」

三つも雪玉を丸めたせいで、アーニランの小さな手はかじかんでいる。航介は、やわらかく指を絡ませた。

 斗賀神社の新しいお札を神棚に上げ、仏壇に手を合わせた二人は、古い振り子時計の針を気にしながら、父親の運転で最寄り駅に向かった。

「こんど顔を見せてくれるのはいつなのかな。」

普段は寡黙な父親がアーニランに聞く。

「お盆のときにでも来させてもらいますぅ。」

「五月の連休でもいいんだぞ。ちょうど桜が咲く。」

アーニランを、自分の娘のように思っているのだろう。

「来年は受験だから、忙しくなるんだよな。」

と航介が言うと、アーニランは少しうつむいた。学校生活を続けていこうとは、あまり考えていないのかもしれない。慌てた航介は、取って付けたかのように、

「ワンちゃんは、なんていう名前だっけ?」

「プロキオン。前にも言った。」

「そうだった。プロキオンステークスってあったもんな。」

航介は、中央競馬の重賞レース名で覚えていた。

「あれは、六月だったかな。七月だったかな。」

「七月の第二週。ダートのGⅢだ。」

競馬好きの父親が言う。南部人らしく馬には造詣が深い。とくに血統を重視していた。盛岡や水沢のような地方競馬ではなく中央競馬のファンというところは、時代なのだろう。市野沢家の父子の会話は、中央競馬と大相撲という共通の話題があることで、つまらないコンプレックスを持つこともなく、比較的上手くやってきていた。

「プロキオンっていつの星?競馬では夏なんだけど。」

「冬の星。ベテルギウスとシリウスで『冬の大三角形』をつくるの。本当なら、今ごろ見えているはずなんだけど…。」

アーニランは車窓から、雲に覆われた東の空をうらめしそうに見つめた。

「なぜ、『プロキオン』って付けたんだい?」

「うちの犬は、ミニチュア・ダックスフントなんですぅ。初めて逢ったときはとっても小さかったので、こいぬ座の星からとったんですぅ。もし大きな犬だったなら、おおいぬ座から『シリウス』って付けたと思いますぅ。」

 一月八日十八時ちょうど。すでにこの南部町では、こいぬ座α星プロキオンが東の空に顔を出していた。金沢ではその時間に現れないこの一等星は、厚い雲の向こうで、アーニランの帰宅を強く促していた。


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