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航介とアーニランは、大きな農道の辻に停まった。このあたりが噂の「杉沢村」のはずだった。それなりの交通量と人家の多さを目にして、とくに違和感は覚えない。殺人鬼が、村人を皆殺しにした雰囲気など全くない。
二人が到着したとたん、すこし吹雪いてきた。
「神の気がある里の、最小公倍数が杉沢村である」
航介は、今日の早朝にそう解釈していたことを思い出した。ずいぶん前のことのように感じられる。
「杉沢の五倍が埖渡。六倍が福田。そして十五倍が櫛引…。」
「杉沢の四乗で八十一ね。」
アーニランが付け加えた。航介は、ハザードランプを点けたままシートを倒し、行儀悪く両足をハンドルの上に置く。航介は目を閉じながら、この里の母胎であるギザ・コンプレックスの風景を、心のなかで対照させてみた。一番大きなクフ王のピラミッドは、福田。真ん中のカフラー王のそれは、埖渡。そして…。
ファラオの落とし物を拾った気がした航介は、アーニランに天体法則に関する質問をした。
「ケプラーの法則って知ってる?」
アーニランはうなずいて、「イロハのイだもん」と言う。高校生が習うはずのことを、中学生のアーニランは既に知っていた。
「ティコから弟子のケプラーに引き継がれたその経験法則は、火星を観測して発見したんだったよね。」
「そうだよ。火星は軌道が比較的楕円なの。」
「ティコやケプラーの活躍した時代っていつだっけ?」
「一六世紀末から、一七世紀のはじめにかけて。」
「ちょうど家康の時代なんだな。」
航介は、思い当たるところがあって、ニヤリとした。
「特殊相対性理論は?」
「だいたいわかるよ。」
アーニランは心強い言葉を返してきた。
「アインシュタインがそれを発表したのはいつ?」
「明治三十八年(一九〇五)だよ。」
ロシア戦に勝って国威発揚で盛り上がっているときに、アインシュタインはその優秀な理論を上梓していた。
航介は手応えを感じていた。わざと、しばらく目を閉じて黙っていた。二人の間に沈黙の時が流れる。ポンポンと会話が弾んだ直後の沈黙にアーニランが耐え切れなくなり、
「それがどうかしたの?」
航介は意地悪く「別に」と言い、話題を変えた。
「日食ってさぁ、不気味だよね。」
今年は、皆既日食が見られるらしい。
「日食のせいで、王様が殺されることになったという話を聞いたことがあるよ。卑弥呼もそうだったなんていう小説を読んだ。」
「太陽の光がこの空で一番強いから、王者の象徴は太陽なんだろうな。月でもなく、金星でもなく…。」
ふたたび二人の間に沈黙が流れた。
外は、だいぶ吹雪いている。
「本当に、太陽が一番強いのだろうか…」
航介の千里眼には、名久井岳にある三戸月山社が見えている。その社殿からは、短い参道を通って鳥居の足もとから零れる月の光が、美しく扇形に広がっていた。
「日食の時、太陽という王者を隠してしまうのが月。めったに起こる出来事ではないが、月は優しい顔をしたスナイパーなのかもしれない。おっかないね。」
航介は、月山神社を月に見立ててみた。祭神の月読命が、あの館に眠る獅子を弓矢で狙撃しようとしている。しかし、彼の人相はテロリストには見えない。むしろ知的で、女性のような顔をしていた。
「ねぇ、どうしたの?」
航介の脈絡のない話題にしびれを切らしたアーニランが、少し怒ったように見えた。
やはり、南部大橋から櫛引橋までの氾濫地域に、防災ダムの呪術を心得ている治水の神が降下した事実を再認識することが解決のヒントにちがいない。
「杉沢村とは、水星である」
街道に沿って樺木村と埖渡村に挟まれた杉沢村は、火星と金星に挟まれた天体でなければならなかった。獅子が眠る法師岡村に太陽があるとすると、残った候補は水星しかなかった。火星と金星に挟まれる天体は、地球か月だけだと思われがちである。
しかし、惑星は、厳密には楕円軌道なのである。太陽系を俯瞰した時に、火星と金星の間に、水星が割り込むように見える瞬間があるにちがいない。
航介は、アーニランにこのことを言おうかどうか、まだ迷っていた。あのペットボトルにたたんで入れてある機密情報は、デジャビュとして世界で唯一の航介の著作物になりえた。たとえ愛するアーニランでも、明日からは京都と金沢とで離ればなれになってしまう。航介は、この秘密を独占していたいという我欲を、抑えることができなかった。
航介によって、新たな地上の星が発見されるまで、そう時間がかからないように思えた。取るにたらない「平成の大合併」が施行されるまで、「福地村」と呼ばれてきたドミトリー・タウンが、真に「幸福の地」として長い眠りから覚醒するまであとわずかだった。馬淵川右岸は、やはりナイル川右岸とよく似ていた。
「この聖地を、測量しなおす必要がある!」
うっすらと積もった白の世界の向こうでは、フォグランプを上向きにした一台の高級車が、あいかわらず尾行を続けていた。




