11.妹(ソフィー)と仔猫(クレオ)
子供の頃の出来事といえば、どんな記憶があるだろうか。
先にも述べたけど、僕には妹であるソフィーから数々の恐怖体験をさせられたという記憶が一番最初に思い浮かぶのだけれども、その中でも、動物に関する記憶の一つにこんなのがある。
僕が6歳で、ソフィーが未だ4歳だった頃のことだ。
伯爵家本邸近くに野良猫が住み着いたらしく、仔猫が何匹か生まれていた。
母猫が餌を与え、甲斐甲斐しく世話をしている仔猫たちの姿は、見る者の心を和やかにしてくれ、保護欲を掻き立てずにはおられないものだった。
幾日かして、そんな仔猫を母猫が餌を探しにか、出掛けて留守にしている間に、僕はついその中から一匹だけを連れ出してしまった。
そして、そんな愛らしい仔猫を腕に抱いているだけでも幸せだった。
そんな気持ちを分かち合いたいと思った僕は、その仔猫を妹にも見せてしまったのだ。
「わぁー 可愛らしい仔猫ちゃんですことぉー!」
「そうだろ?
ほら、未だ小さくてフワフワなんだよ。
可愛いなぁー。」
「アーデルお兄様。
その子を私にも抱かせてくださいな。」
ソフィーはキラキラと輝く瞳で、僕の腕の中で小さく鳴くばかりの仔猫を取り上げようとした。
「気を付けて抱くんだぞ。
未だ小さいからな。」
「任せてくださいませ。
ウフフ。」
幼少期から天使のような愛くるしい姿をしたソフィーが、更に可愛らしい仔猫を抱く。
もしも、この場に幼女趣味者が居たならば鼻血の噴水を噴き出してご飯何倍でもお代わりできたかもしれない場面であったが、幸い僕と妹の二人だけだった。
仔猫を抱いて満足げだったソフィー。
春のうららかな日差しに長くサラサラとした薄い桜色した髪が揺れて、本当に光り輝く天使が舞い降りたような情景だった・・・。
次の瞬間、ソフィーがとんでも無いことをやらかしてくれるまでは。
「そうですわ!」
「うん?」
何を思ったのか、妹は、腕に抱いていた可愛らしい仔猫の前足をムンズと掴むと、嬉しそうにクルクルと回りだしてしまったのである。
※良い子のみんなは絶対に真似しちゃダメだゾ!
「うふふふ
あははは」
幸せそうに回り続けるソフィー。
フナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァっ!!
仔猫は涙目で必死に身を捩り、健気にもソフィーから逃げ出そうと暴れようとするけれども、遠心力がそれを許してはくれない。
ぽーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん
と仔猫は遠心力に弾かれて見事な放物線を描き、僕たちの目の届かない叢へ放り投げられてしまった。
直後にガサゴソと脱兎の如く逃げ出すような音が小さく響いていたから、子猫は無事に母猫の元へ帰れたのだろう。
本当に良かった・・・。
「ソ・・・ソフィ・・・・。」
「あー、楽しかったですわ!」
ドヤ顔で成し遂げた感を出しながら、満足げに言う妹に、僕は最早何と声を掛ければ良いのか、言葉を探してみたけれども、結局見つからなかった。
何故かそんな昔のことを夢に見ていた。
◇
ラブレター騒動も収まった二日後の朝。
僕はいつもの様にグッスリと寝入っていた。
今朝はソフィーの殺意も感じることは無いし、安心して眠っていられる。
間もなく6時を迎えるから、起床の時刻ではあろうけど・・・、
今朝も眠いから執事かメイドが起こしに来てくれるまでこのまま眠っていよう・・・。
そう夢見心地で現実と夢の挾間をウトウトしている時だった。
ボスっ!!
「ウゲェっ!
ゲッホゲッホゲッホッ!!
ウェッホゲッホグエッホッ!!
ゼーゼーゼーっ・・・・。
な、何事だっ!?」
とても心地よく眠っていた僕の安眠は、不意に中断させられてしまい、強引に現実世界へと放り出されたように感じた。
と、同時に、胸元に鋭い痛みを感じて、驚きと共に跳ね起きるというあまり身体にも心臓にも良くなさそうな起床の仕方を強要された。
ンーナァァァーン
鈴を転がす様な、それでいて人に媚びるような、なんとも言えない美声 (?)を発しながら長い尻尾をパフパフと僕に叩きつけてくる。
「・・・なんだ、クレオ・・
お前か・・・。」
クレオは、ソフィーの愛猫で、長毛種で『北方の森猫』というキジトラな毛足の長い雌の仔猫で、屋敷内を自由気ままにウロついている。
時々僕の部屋に入って来ては、飼い主に似て悪戯するのだが、今朝は僕の喉近くの胸元目掛けてダイブを決め込んでくれた。
「まったく・・・ 一体いつの間に入って来たのやら。
それにしても、本当に驚いたじゃないか。
起こすなら、せめてもっと優しい起こし方にしてくれよ・・・。
まったく・・・。
ふぅ。」
ようやく動機も呼吸も収まり、僕はクレオの尻尾を掴んで部屋から放り出そうとしたんだけど、クレオの方が素早く身を翻して居なくなってしまった。
入れ替わりで入って来たソフィーは、僕の顔を見るなり少し驚いたように言った。
「あら? アーデルお兄様。
今朝はお早いお目覚めですのね?」
寝覚めが悪いとはこのことだと伝えたい気持ちが溢れてしまい、不機嫌なまま僕は答えた。
「・・・お前の仔猫のお陰でな・・・。」
「あら、クレオが?
まぁ! それはお利巧さんですこと!!
後で誉めてやらなければですわ!」
ちょっと待て。
そこは、『誉める』じゃなくて『窘めて』欲しいところなんだけど。
「・・・せめて起こし方だけは躾て欲しいぞ・・・。」
そうでないと、朝を迎えるたびに僕の寿命が縮んでしまう。
「ええ、お任せくださいませ。
私はちゃぁーんとアーデルお兄様が熟睡していても、一発で目覚める方法をクレオに仕込
んでありますわぁ!」
ニパァーっと満面の笑みで得意げに答えるソフー。
「やっぱりお前が原因くわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!!」
僕がいくら怒鳴っても、ソフィーの耳にはそよ風程度にしか聞こえていないのだろうか。
涼しい顔をしてニコニコしているばかりだ・・・。
まったく、主従揃って僕の寿命を縮めにくるのはやめて欲しいな。
飼い主が小悪魔ならば、飼い猫もまた小悪魔なのであろうか?
いや、小悪魔の飼い猫であれば、使い魔が妥当であろうか?
僕は朝からちょっとした難問に出くわしてしまったらしい・・・。
◇
その後も度々クレオに叩き起こされることが続いたけど、毎回趣向を凝らしてくれるのは、やはり飼主に似たのだろうか。
ある時は、寝ている僕の口と鼻を塞ぐような恰好で、ビローンと横たわっていて、朝からやけに息苦しいと思って目覚めたら、長い毛が口いっぱいに入り込んでしまっていた。
顔中を猫の毛だらけにしてしまった僕は、朝からお風呂で毛を洗い流さなければなかった。
別の日には、ゴロゴロと喉を鳴らしながら、僕の喉元を前足でグーパーしながら踏み踏みを繰り返されて目覚めさせられた。
またある日などは、丁度僕の胸の上にチョコンと座り込んで長い尻尾で僕の鼻先を何度もパシッパシッと叩いてきたおかげで、クシャミと共に目覚めるという貴重な経験をさせてもらった。
「・・・ソフィー・・・いいかげん、クレオを僕の起床係から引退させてくれないか・・・
寝覚めが悪すぎるんだよ・・・。」
ある朝、僕は仔猫の後から必ず現れる飼主へ苦情を呈した。
だって、毎回必ず何かをやらかしてくれるのだから。
「あらお兄様。
それは、私に毎朝起こして欲しいという愛の告白ですの?」
人差し指を自分の下唇の下に当てて、小首を傾げながらソフィーが聞いてくる。
今朝のソフィーは、可愛い刺繍の入った薄いピンク色した室内着を羽織ったラフな格好で起こしに着たけど、少し目のやり場に困ってしまう。
でもこれは困ったぞ、これはこれで究極の選択ではないだろうか。
起床の度に、心臓に悪い攻撃付きの妹と、毎回寝覚めの悪い起こし方しかしてくれない仔猫。
どっちを選んでも、僕の寝覚めが悪いことには変わらないでは無いか。
「それなら、屋敷付きのメイドか執事のハンスに起こしてもらえば良いじゃないかっ!!」
名案が浮かんだと思って口に出したのがマズかったようだ。
ソフィーの目からスゥっと光が消えてしまった。
あ。コレはスイッチ入れてしまったんじゃないだろうか・・・。
ヤバイ。
「アーデルお兄様・・・。
お兄様は・・・ 私よりも屋敷付きのメイドたちの方が好きですのぉ・・・
そぉーでぇすぅのぉ・・・・」
「ソ・・・ソフィ・・・・?」
キラーンとソフィーの両手から見事に湾曲した三日月刀が煌めき出す。
毎回思うんだけど、この武器類って一体どこから取り出しているんだろうか・・・。
「お・・・に・・・い・・・さ・・・ま・・・。
私は、こぉーんなにぃ・・・
お兄様のことをぉ・・・
お慕いぃしてぇ・・・・・
おりますぅのぉにぃ・・・・。」
片方の目からは赤い炎が巻き上がっている。
マズイマズイマズイ!
どうしようか・・・。
援軍を呼ぼうにも、部屋の扉はソフィーの後ろだ。
無論今まで寝ていた僕は、無防備。
このままでは、ソフィーに何をされるか分かったものでは無い。
「ソ、ソフィー・・・・ お、落ち着こう、な?
話せばば分かるから! な?」
「・・・そぉうでぇすわぁねぇ・・・
私とお兄様・・・二人だけで・・・
お・は・な・し・すればぁ・・・
きぃっとぉ・・・
分かり合えるぅ・・・
ハズぅでぇすぅわぁよぉねぇぃ・・・」
目が完全にイっちゃってる。
ソフィーの言う「お・は・な・し」と僕が言う「話せば分かる」が、同義語だと良いのだけれども・・・。
操り人形みたいなカクカクした動きといい、首を90度にカックンと落とす仕草といい、どうしてこうも普段と違って恐怖を巻き散らすんだよ!
「そもそもアーデルお兄様は私のことをそれほど好きでは無いとでも言うのかしら?それともまさか私よりもメイド隊の誰かのことを想っておられるとでも?でもそんなハズは無いわ。ありえないわだってお兄様の身も心も全ては私だけのもの私一人にだけ向けられるべきものなのですもの。それなのにメイドに朝起こして欲しいだなんて一体どんなことを考えてのご発言かしら。もしやお兄様は欲求不満なのかしら?それはやはり私が内密に処理するべき案件よね。ええそうだわお兄様を愛して良いのは私だけなんですもの他にお兄様の情熱を受け止めて良い存在何てこの世に存在しないのだから。それをたかがメイド風情に?ちっとも理解できないわというかそもそもなんで私以外の選択肢が生まれるのかしら。やっぱりここは一度この屋敷内から私以外の女という存在そのものを一掃すべきだったかしら。でもそうすると身の回りの世話とか細々とした家事などを全て私一人で行わなければならないわね。そうするとお父様にお願いして新しい邸宅を一つご用意いただこうかしら?でも私もそれなりに資産は持っているからこのまま二人で愛の逃避行というのもアリかしらね。あらでもそれでは私が悪者みたいで面白くはありませんわね。いいえここは思い切って行動すべきよねそうすればお兄様と私それ以外にこの世界に必要な存在なんて最初から存在しないのだから・・・。どうしてそんな基本的なことさえ気が付かなかったのかしら。そうだわ屋敷中の奉公人たちすべてを追い出すか・・・粛清するか・・・それともいっそ・・・。」
なにやらブツブツと高速で一気に吐き出される言葉の断片に不穏当なものが漏れ伝わってくるんですけど?
僕の可愛い妹は一体どんな恐ろしいことを想像しているというのだろうか。
そろそろ気持ちを切り替えさせないと本当に危ないことをしでかしそうで怖くなって来たな。
「あ、悪かったです!
僕が悪かったんです!!
ゴメンなさい!!」
「・・・。」
予備動作無しで、しかもあと5ミリで三日月刀が僕の喉元を貫こうとした瞬間だった。
必死で謝る僕に反応したのか、ソフィーの攻撃が止まった。
「もうこれからは、毎朝ソフィーに起こしてもらいたいです!
お願いします!!」
必死でソフィーの死んだ魚のような目を見つめながら懇願してみた。
「まぁ! アーデルお兄様ってば!!
そーんなに私に毎朝起こして欲しいのですわね?
もぉーう!
それならそうと、最初から言ってくだされば良かったですわぁ!」
始まりが突然なら、切り替えも突然過ぎて、僕には同一人物とは思えない様な切り替えの早さで、ソフィーの瞳には理性の色が宿り、両手に構えられていたはずの三日月刀は跡形も無かった。
嬉しそうに両手を顔の前で組んで左右に振るソフィーの貌は今日も美しい。
ふぅ。
今朝もギリセーフだった。
選択肢を間違えたら、無事では済まない。
そんな綱渡りをこれまで10年以上もして来ているのだ。
うっかり気が緩んでソフィーのスイッチを入れてしまうこともあるけど、対処さえ間違わなければ、基本的には穏やかで優しい妹なのだ。
先日みたいなうっかりミスは、なんとしても回避しなければならないけどね。
仔猫大好きです!
※作中の描写は、あくまでもフィクションであり、実際にそのようなことをしては動物虐待になるので、決して真似しないでくださいませ。<(_ _)>




