第31話 「失った光」その1~Story of 神城 空(中編)~
2011年 一発目の更新です今年も宜しくお願いします。
蘆屋 道満は、不思議に思っていた。
鬼の力を使い、砂漠地帯で清明達を皆殺しにしようとしたはずだったが、相反する程の強大な呪力で相殺されてしまったからだ。
鬼泉鏡で見た雨の塊が作り上げた巨大な龍。
いくら平安最強の陰陽師と歌われている安倍 清明であっても、四神の一柱である青龍を式神として宿らせるなど、誤算以外の何物でも無かった。
清明の屋敷からは勿論、彼の気を感じる事は無い。
だからこそ、道満は、清明の屋敷内を詮索していた。
御影山で清明の動きを封じた時、確かに清明の限界を感じた。だが、この短期間での飛躍的な強化の真実が知りたかったのだ。
道満が鬼泉鏡で調べた限り、怪しい物が一つあった。
障子で囲まれた部屋を通り、回廊を曲がるとその先に清明の寝室がある。
屏風に描かれた籠の前で立ち止まった。
「屏風に籠を書く者がどこにおるのだ?」
道満は軽くほくそ笑むと、屏風に掌を向けて呪術を唱え始めた。
「解芯詠言急得解双急急如律令」
そして、突き出していた掌と共に、両手を屏風の中に突き入れると、描かれた籠を取り出した。
蓋を開け、巻物を一つ掴み上げると、紐を解き書かれている内容に目を通す。
「ふん。そう言う事であったか。清明」
道満の怪しい笑みの後ろでは見るも無残に散らばる式神達の残骸が、道満の力の強大さを物語っていた。
行きよりも帰りの方が辛い旅だった。
サリンジャーと戦った砂漠を抜け、岩山を下っている所だった。
一同が心配する中、ソラは一言も言葉を発さず、暗く、生きる希望を失ったかの様にふら付く足を無意識で進めているだけだった。
逸れた仲間と合流すると言う希望だけで、ソラはこれまで踏ん張って来れた、だが実際は既に死んでいたと言う事実に何の目標も見出せなくなっていたのだ。
皆の足音だけがそれぞれの鼓膜を刺激していた。
岩の段差に足を引っ掛け倒れるソラに近づこうとするユキ。
「大丈夫か? ソラ」
そう言って手を貸そうとしたユキを、ソラは無言で振り払った。
そして、ぼそりと一言だけ吐いた。
「もう。俺に…………関わらないでくれるかな」
その言葉がどれだけ今のユキには重い言葉だったか。
どれだけ、崩れそうな心に振り下ろされる鉄槌の如き言葉だったか。
自分の存在と、愛したソラが遥か彼方の遠い存在になってしまったと言う事実にユキ自身も、希望が見えなくなっていた。
無情にもただ日は過ぎて行くばかり……。
激しく降る雨の中、やっと平安京に戻ってきた清明達は、屋敷へと戻った。
だが、清明は直ぐに異変に気付いた。
「どうしたのだ清明?」
旅の汚れが纏わりついた装束に付いた雨粒を手で払いながら、博雅が、視線を巡らせる清明に問いかける。
清明は、博雅の言葉が耳に入って来なかったのか、屋敷の奥へと進んで行った。
ソラとユキは、今もなお無言で屋敷の角柱にもたれ俯いている。
寝室へと入ってきた清明は、何も描かれていない屏風の前で蓋が転がっている籠を見つけると慌てて近寄った。
しかし、籠の中に入っていたはずの陰陽の奥義書は根こそぎ消えていた。
誰が盗んだのか?
部屋中を見渡すと、式神を宿らせていた人形の紙人形がバラバラになっている。
呪術で屏風の中に隠した籠を取り出し、式神を殺してしまう者が居たとすれば、それは間違いなく道満しかいない。
清明は、しばらくの間、沈黙を続けた後に寝室を後にした。
生きる屍の様に横たわるソラにシオンが近づく。
「おい」
全く反応しないソラ。
「おい、聞いてんのか?」
「………………」
シオンは、ソラの気力を失った状態に苛立ちを隠せずに狩衣の胸ぐらを掴み上げた。
「いつまで女々しく腐った態度を取っているんだ?」
「………………」
シオンの行き場の無い苛立ちは硬い拳となり、ソラの頬を打ち込んだ。
鈍い音と共に、雨さらしの庭に倒れこむソラ。
ソラは泥に埋もれながらも動こうとしない。
ソラの許に近づき再び胸ぐらを掴み上げる様子をユキはただ見ているしか無かった。どう接すれば良いのかも分からなかったのだ。
「お前がその気で無いなら俺がこの場で殺してやるッ」
それから、幾度と無くソラの顔が右へ左へと衝撃音と共に弾かれた。
飛び散る水飛沫は次第に赤くなり、シオンの拳がソラの血で染まる。
「こ……じ……れ」
「何言ってやがる?」
「ころじでくれ……」
その言葉は紛れもなく「殺してくれ」だった。
次の拳を振り上げていたシオンは、その言葉を聞き、震える拳でソラの胸ぐらを掴んだ。
「馬鹿ヤローッ!!」
庭の茂みにソラを投げ飛ばしたシオンは、あまりの憤りに全身から金色のオーラを噴出した。
「俺がどんな思いで出てきたと思っているッ!! 何の為に出てきたのか分かって言ってるのかッ!!」
そう言うと、シオンは大きく跳躍し清明の屋敷を去った。
容赦なくソラの体を叩き付ける雨。
それは涙さえもかき消した。
「もう、終わりなんだよ……何もかも……」
鉛色の空を見上げながらソラは、そう呟いた。
茂みの上で横たわりながら動こうとしないソラの許にユキが近づいた。
「ソラ……」
大量の雨粒がユキの烏帽子から頬を伝い、泥で汚れた白い狩衣が重みを増してゆく。
「例え私が、お前の知っている人間の生まれ変わりであっても……私の気持ちは変わらない。この気持ちが、あの男の言う通り持って生まれた魂の物なのかも……。だが、私はそうで無いと思いたい。この思いは……どんな私であろうと変わらぬのだと……だからッ!?」
途端にソラがユキを抱きしめた。――強く。
ユキの気持ちも痛いほど分かっていた。だが、アンリへの思いや皆との再開の希望があったからこそ、あえて心に距離を保っていた。
だが、全てを失ってソラは今やっと気付いた。
その思いだけが、ユキの真っ直ぐな心だけが、今のソラにとって唯一の心の拠り所なのだと。
勝手だと言う事は分かっている。散々拒み続けて自分が辛い状況に陥ってからユキの暖かみを求めるなんて。
だけど、ユキを抱きしめると心、いや、もっと奥にある魂のような物が泣き出したように感じた。
それは、止め処なく溢れる涙へと変わり、きつく抱き寄せるユキの肩へと染み渡っていったのだ。
次の日も雨は止む事は無かった。
ユキは、陰陽寮へ戻ったが、ソラは、まだ清明の屋敷にいた。
清明は、客間の壁のもたれながら昼間から酒を呑んでいる。ソラは神妙な面持ちで話しかけた。
「清明さん。陰陽寮での指導は良いんですか?」
「あぁ。それよりも……やっと俺に話そうと考えておるんだろ? 全てを」
清明には全てお見通しだった。ソラは、自分の正体を清明に包み隠さず伝えようと決めたのだ。
そうする事で、何かが変わるかも知れない。先の見えない暗い人生に光が差すかも知れないと思ったからだ。
「はい」
ソラは、清明の前に正座した。
「もう分かっていると思いますが、俺はこの世界の人間じゃありません」
「ほう」
「もと居た所は、別の宇宙にある地球です。ある事情があって仲間五人と惑星コールディンと言う所に向かおうと、あの森で見た宇宙船に乗って飛び立ったんですが。だけど俺だけ途中で事故に会い、気付くと野原で幽霊に、いや、鬼に教われました。そこで清明さんと出会ったんです」
清明は、何も話す事無く、落ち着いた様子で次の酒を注いだ。
「仲間の四人は、どうやら、惑星コールディンに着いたのですが、俺だけ、そこから二千年後の今ある清明さん達が生きる時代に飛ばされたみたいです」
話せば話すほど、虚しさが積もってきた。
これはどうにもならない事だと改めて思った。
いくら平安最強の陰陽師であっても時間を操る事など出来ないだろう。だが、ソラは淡い期待を抱き訊ねてみた。
「清明さんは、時間を戻す事は出来ないのでしょうか?」
「無理だ。時間を操る事はできぬ」
「そうですか……」
「だが……」と言う言葉を期待したが、清明の口からその言葉が出る事は無かった。
以前、清明が言っていた。
――「また、色々と言ったな」
――「えっ?」
――「そんな事ではいつまで経っても前へは進めぬぞ」
――「色々と言うのは、その名の通り、『色』が沢山あると言うことだ。その色を使ってどんな絵を描くかはお前次第。筆を持つお前が、前を向かずして、どんな綺麗な絵が描けようか? 今のお前の絵は斑だな」
――「まだらか……」
――「でも、俺、今は汚い色しか持ってません」
――「だったら綺麗な色を作れば良い」
色を作ろうとした。だが、その結果は何も色など見つからなかった。更に状況が悪くなっただけだ。
そう思いながらソラは口を開いた。
「清明さん。……俺、やっぱ良い絵描けないです。今は、筆すら無いような。何も見えないんです。この世界で生涯を送る自信も無いですし、俺……一体どうすれば……」
途端に涙が込み上げてきた。
すると、清明は、懐から取り出した小刀で自分の指先を軽く削った。
一体何を?
そして、人差し指の腹に滲み出た血で障子窓に赤色を塗った。
「筆など無くとも、指でも描けるではないか。筆がないから諦めるのではない。自分に残された何かを使ってでも絵を書こうとする気持ちがあれば、それは行動となり形造られる」
「それに、俺はお前に言ったではないか」
「えっ?」
――「俺がお前の色となろう」と。
「諦めるでない。俺がいるではないか」
その言葉にソラは声を上げて泣いた。
ずっと一人だと思っていた。
この世界にきて、確かに清明やユキ、博雅と出会ったが、この世界の住人でないと言う思いがずっとしていた。
それ故、いつかは皆と別れる時が来ると思い、自分一人でこの辛い状況と戦って行こうと決めていたのだ。
だが、そうでは無かった。
この世界にも、自分を支えようとしてくれる仲間が居た。
共に悲しみ、勇気を与えてくれる友がいた。
それが何よりも嬉しかった。
その時、一筋の雷が宮中に直撃した。
それは、これから始まるであろう最後の戦いを知らせる鐘でもあった。
つづく
陰陽師編も間も無くラストスパートです。