第3話 「松之宮 杏里」その3
どこの家庭の台所にあるような包丁は、精神錯乱している様に見える男の手の中で、小刻みに震えながらアンリと美津穂に向けられている。
「殺してやる、殺してやる…っ!」びちゃびちゃと不快な足音をたてながら男はどんどん近づいてくる。 1メートル位にまで距離が近づいた時、美津穂は持っていたビニール傘を握り締め、男に襲い掛かった!
『やられる前にやる』と言うやつだ。 雨の中にも関わらず、乾いた衝撃音が辺りに響き渡った。
美津穂の振りかぶった傘は男の額にヒットした!
「痛っ…」男は額を手で押さえたが効く訳が無い。 美津穂は、腰を深く降ろし傘で男の胸を突き刺す構えを既に取っていた。
「このヤロっなめやがって!」
美津穂は傘で、男の胸を一突きにしようとしたが、男はタイミングを見計らい傘を握り締めた。 そのまま男は一気に傘ごと美津穂を引き寄せ、美津穂の腹部へ包丁を突き刺した!
「ぐぅぅぅっ…」腹部から包丁を抜かれた美津穂は、腹部から血を流し地面の水溜りにうつ伏せで倒れた。
「みっ、みっちゃん…」アンリは上ずる声で美津穂に声を掛けた。
美津穂はアンリに手を伸ばしたが、そのまま意識を失った。 美津穂の周りの水溜りは赤く染まっていった。
「2人きりになれたね…今ならまだ許してやる、俺を楽しませろっ」男はニヤリと不気味な笑みを浮かべながらアンリに近づいてくる。
アンリは男の腕に気付いた。 −−注射の跡…覚醒剤!?−−
男には狂人が発する奇妙な平静さと強固な意志がない交ぜになり、見え隠れしている。アンリはその気配に絡め取られ、全身が強張るのを感じる。つい、と男は無造作に距離を縮め、そしてアンリに再び抱きついてきた。
「やめてっ…っ!」アンリが必死に抵抗するも男の力には敵わない!
男は、目が血走り呼吸も荒い。
アンリのブラウスのボタンに手が掛けられた時、アンリは男の股間を思いっきり蹴り上げた。
「がぁぁぁぁっ!」
激痛に、のた打ち回る男。
アンリはこの隙に逃げようとした。親友を置き去りにするのはもちろん気が引ける、しかし自分独りでこの場をどうこう出来るとは思えない、パトカーと救急車こそが親友を救ってくれるだろう。だが男に足首を掴まれその思いはあっけなく頓挫する。
「離してっ!」アンリがそう言った瞬間…アンリの左足に焼ける様な激痛が走った。
アンリの目に飛び込んで来たのは自分の太ももに突き刺さった包丁。その包丁は、アンリの内ももまで貫通している。
アンリは気が動転し、その場に仰向けに倒れこんだ。男はアンリの上に馬乗りになり、心臓めがけ、包丁をねじ込んだ!
痛みは無かった。鈍い音と共に体の芯から熱い物がこみ上げてくる、その熱い物はアンリの口から血となり溢れ出した。
「さぁ、始めようか…」男はアンリの頬に流れる雨粒を舐め、頬に口付けをした。
「終わった…」アンリはそう確信した。
男の手はアンリの太ももからスカートの中にまで進入し始めていた。
アンリのスカートのポケットから転がり落ちた水晶玉。
コロコロコロ…
アンリは薄れていく意識の中、目の前に転がって来た水晶玉に手を伸ばした。
雷鳴轟く雨の中、アンリの意識は途絶えた…
……………
空が見えた…鉛色の空だった。
生きてる?それともあの世?て言うか夢…?
アンリは濡れたアスファルトの上で目が覚めた。美津穂はまだ意識がない、やはり死んでしまったのか?
アンリが足下を見ると! 体中が焼け焦げて血まみれの男が倒れていた。さっきの男!
死んでる…
その時、誰かの声が聞こえた。
「お前がやったんや」
アンリが振り返ると、そこには見知らぬ1人の男が立っていた。
大阪弁を話す男は、歳は22〜3で黒いタイトなジーンズに黒のジャンパーウェアー、赤いシャツを中に着ている。
「わざわざ人目に付きにくい裏路地なんかに来やがって、探すのに苦労したわ」
アンリは男の言っている言葉の意味が何一つ解らなかった。自分の置かれている状況さえも…
「見つけた時には既に死にかけてたけど、何とかスピリットに助けられたな」男はホッとした感じで言った。
「スピリット…?」アンリは聞き慣れない言葉に更に混乱した。
「お前の前世での力の結晶や」男は倒れている美津穂を抱きかかえた。「まぁ、今、お前に幾ら説明しても無駄やな、ちょっとつき合えや」
その場から立ち去る男にアンリは訳も分からず着いていった。
さっきの様な男なら、着いていくより逃げる事を考えるが、この男には着いていこうとアンリは思った。危ない感じがしなかったからだ。
「あの黒焦げの男は…?」アンリは恐ろしげに指を指し男に言った。
「あぁ、まぁ適当にお前がやったって証拠は隠滅しとくよ、まぁ、誰もお前がやったって信じへんやろうけどな」
そう言った後、男は歩みを止めて間を空け、口を開いた。
「それと、俺の名前は 寺村 流星や!」
〜次回 第4話「宿命と役割」〜
謎の男、寺村 流星 に導かれるままに着いて行くアンリ
自分達の宿命と役割、スピリットの謎が伝えられる。
そして、悲しみの惨劇がアンリを待ち受ける。