第24話 「禁断の恋」その2~Story of 神城 空(前編)~
紫色に変色し、奇形した肉体の男へと突き進むソラ。
歯を食いしばり、撓る弦の様に張り出した胸の後ろで、硬く握られた拳が最初で最後の一撃に備えていた。
指と指の隙間から白い閃光が噴出し、拳を包み込む。
ソラの二つの眼には、人を通り越した姿の男の顔しか見えていなかった。
限界まで撓らせた体を一気に開放し、凄まじい破壊力を持った矢の如き拳が、大気を蹴散らす。
「ソラッッ!!」
怒鳴りつける男の声が耳に入り、拳の力を緩めたソラ。
振り返るソラと、力無く立ち竦むユキの目の前に清明が現れた。
動きが止まるソラ。
だが、鬼からすれば、何処からとも無く溢れる憎しみの感情に、歯止めを掛ける事ができなかった。
力の抜けたソラの両肩を掴み上げ屋敷の塀に押し付ける。
「ぐわっ……」
常人のレベルを超えた握力にソラの肩の骨が悲鳴を上げる。
その時、鬼の背後に近寄った清明は、首元に貼り付けられていた符を剥がした。
その途端に、力なく鬼は倒れ、元の人間の男に戻った。
「先生……」
ユキは、絶対絶命の窮地を救ってくれた事への感謝、又、黙って陰陽寮を抜け出した事への反省。相反する感情が混ざり合い、それしか言えなかった。
その言葉を五分程度にしか聞いていなかった清明。
彼の視線の先に見える物は、長く続く暗黒の道の先にある何か。いや、何者かだった。
遠くへ向けていた視線を手の中の符へ下ろす。
『怨降』(おんこう)と書かれた呪符を握り締めると、清明は、二人の方へ顔を向けた。
「さぁ、帰ろう」
その後、ソラとユキは陰陽頭賀茂忠行にこっ酷く説教をされた。
陰陽の術とは?
陰陽師とはどう在るべきモノなのか?
ソラとしてはどうでも良かった事だったが、その気の抜けた態度が癇に障ったのか、賀茂忠行の説教の矛先は、ほぼソラに向けて集中砲火した。
陰陽寮の学生舎へと歩くソラとユキ。
檜の橋の様な廊下で、重だるそうにソラは肩を振り、反対の手で肩を揉み解した。
「あぁ、ダルぅ」
「だる?」
聞いた事の無い言葉をユキは不思議そうに繰り返した。
「あぁ、まぁ、疲れたって事」
すると、ユキは、卑しい笑みをソラに見せ付けた。
「二ヒヒヒヒッ」
ワザとらしいその笑い声。
「何だよ?」
「お前は、連れ出されただけなのにな」
「お前が言うなよッ!!」
頬を膨らませるソラの顔を見て本当の笑い声を上げたユキ。
ソラも釣られて笑ってしまった。
学生舎へと続く庭に架けられた橋。
橋の両脇から伸びる手摺に等間隔に灯される蝋燭の火が、光の廊下のように見える。
手摺に両手を付き、夜空を見上げたソラ。
「何だあれ?」
ソラの視線の先に見える大きな満月。その傍らに見える一際小さな満月。
「月が二つ……」
すると、ユキは、ソラの隣で同じ様に夜空を見上げた。
「あっ、真愛月だ」
歓喜の声と共に、喜びに目を輝かせるユキに、ソラが訪ねる。
「真愛月って?」
「大きな満月の傍らで、寄り添い輝く姿が、いつまでも愛し続ける夫婦のようだと。思いを寄せる者同士が、満月と寄り添う真愛月を見ると、その愛は、尽きる事無く成就するそうな」
真愛月をじっと見つめ、思いを馳せるユキの横顔を見つめたソラ。
ソラが見た、今のユキは、ソラが居た地球の女の子と何ら変わりは無いくらい、恋の伝説に胸をときめかせる乙女だった。
そんな彼女が、心に強く持っている「復讐心」は、今は、微塵も感じられなかった。
それは、瓜二つのアンリも同じ事。
本当の純真無垢で愛らしい本心が、彼女の復讐心と使命の中に眠っている。
そこまで自分を変えてしまうには、相当な苦しみ、悲しみ、絶望を経験したに違いない。
アンリもユキも……。
ソラの方へ視線を合わせたユキ。
二人の視線が繋がる。
何時もなら、目を逸らしてしまうソラだが、この時は不思議と逸らせなかった。
真愛月がそうさせているのか……自分自身が逸らしたく無かったのか。
煌くユキの瞳に吸い込まれそうになるソラの頬が少し紅潮した。
ユキも同じ様に、不思議とソラに引き寄せられる自分の心に驚きを隠せないでいた。
自分を突き動かしていた「復讐心」。その原動力のみで、一切の感情を捨てたつもりだった。
だが……。仕舞い込んだはずの自分が、復讐心を掻き分け出てこようとする。
その感情は、これから自分を苦しめる事だろう。だが、委ねたい。
ユキは、そう思った。
ソラなら、自分の心に深く根付く復讐心を消し去ってくれそうな気がしたのだった。
我に返ったソラが、視線を逸らす。
「逸らさないでっ」
「えっ!?」
心から出た言葉にユキは自分自身で驚いた。
そして、脳を強制的に支配してゆく謎の感覚にユキは全てを委ねる決意をした。
「お願い……。目を逸らさないで。もう少しこのままで……」
お互いの高鳴る心音が橋を伝うかの如く響いていた。
月の光に照らされる二人の紅潮した顔。
ソラは、もう一度、視線を合わせた。
その頃、賀茂忠行に清明は、ソラを襲った鬼が身に付けていた呪符を見せていた。
忠行は、困惑し、大きな鼻息を吐いた。
「これで5件目か……」
「はい」
清明は静かに答えた。
「鬼を生きた人間に宿し、人を襲わせるとは……」
「先生」
「どうした?」
「この件、私に任せて頂きたい」
すると、忠行は、清明の心中を探るかのように訪ねた。
「道満か……」
「恐らく」
清明は、力強い目を忠行に送った。
すると、忠行は、少し考え込み、首を縦に振った。
「道満を止めれるとすればお前しかおらん。任せたぞ、清明」
清明は、軽く会釈をすると、忠行の部屋を出た。
次の日、清明は、陰陽寮で退屈そうなソラを都に連れ出した。
道端に横たわる貧民を容赦なく直射日光が照りつけ、呻き声が連鎖する。
「なぁ、清明さん」
「どうした?」
「なんかスゲー貧富の差が激しいと思うんだけど、気のせいかな?」
「気のせいではない。いつの世でも、宮中で国を左右する者が、雅の世界を味わうものだ」
「清明は、そんな世でも良いのか?」
陰陽師、特に安倍清明は、人々の味方だと思っていただけに、ソラは疑問に感じた。
「俺は、この都がどうなろうと興味はない。ただ、友を捨てたくないだけだ」
「友か……」
ソラは、『友』という言葉で、真っ先に宇宙船で逸れてしまった四人と、マインダーにされてしまったシンジとタケルの事を思い出した。
自分は、友を捨ててしまったのか……捨てられてしまったのか。そんな思いが胸中で交錯した。
その時、二人の前に、一人の男が近づいてきた。
その姿は、陰陽師だった。
黒に銀の紋が刻み込まれた狩衣を纏う男。
「道満」
清明のその言葉で、相手が『アノ』蘆屋道満なのだと、ソラは分かった。
冷たそうな表情で、見るからに蛇に似ている。
近寄るだけで、おぞましく、得体の知れない不気味な空気をソラは感じた。
「これはこれは安倍清明殿」
道満は、不適な笑みをチラつかせながら会釈をした。
掠れたガラガラ声がソラの鼓膜を不快にさせる。
「元気そうだな道満」
「お陰様で」
そう言うと、道満は、ソラの顔へと視線を向けた。
「ほぉ」
怪しく顔を綻ばせる道満に、ソラは、恐ろしくなり後退りをした。
「な、なんすか?」
「面白き男だと……思うてのぉ」
そう言うと、道満は、二人を尻目に通り過ぎた。
だが、その時、ソラは、見てしまった。
通り過ぎ様にソラに向けた道満の目が、紅く光った事を。
そして、微笑むその顔を……。
つづく