第24話 「禁断の恋」その1~Story of 神城 空(前編)~
「ならんぞ清明っ」
黒い高貴な衣冠を着た源 博雅が、清明に忠告した。
「何がだ?」
都の朱雀門へと通じる大通りを歩く二人。
宮中を出ると、煌びやかな世界とは打って変わって、貧困に苦しむ民達の悲痛な喘ぎが木霊していた。
「女の陰陽師など聞いた事がない」
「今、聞いたではないか」
「……まぁ、そうだが」
清明のたったの一言で、博雅は納得してしまった。が、直ぐさま自分が単純だったと気付いた。
「清明。お前が言えば、全て聞いた事になってしまうではないか。肝心なのは、過去にあったかどうかだ」
すると、清明は、博雅の顔を見ながら鼻で笑った。
「良いか博雅。『聞いた事が無い』事を聞いた事がないままにしておけば、いつの世になっても『聞いた事が無い』ままだ。それに囚われる必要がどこにあるのだ? 『聞いた事が無い』事を『聞いた事が有る』事にしてしまえば、これからは『聞いた事が有る』事に変わるではないか」
不思議と説得力のある清明に、博雅は又も頷いた。
「そんな物なのか?」
「そんな物だ」
陰陽寮の学生達は、一人の新入生に釘付けだった。
陰陽寮に女の子が入るなど前代未聞だったからだ。
それも、眩い程の美女であった為、学生達は、終始鼻の下を伸ばしていた。
その気の抜けた学生達を目の当たりにし、陰陽頭賀茂忠行は、眉をしかめた。
狩衣を身に纏うユキは、そんな男達の視線など気にも留めずに、呪符の作り方を勉強していた。
白紙の札に、筆に墨を付け、陰陽師の紋様や、与えたい効果を書き記す。
そんな姿を、ソラも部屋の片隅から見つめていた。
ソラとしては、どうしてもユキの謎が知りたかった。
ただの偶然か?
それとも、アンリもこちらの世界に来て、名前を偽っているのか?
でも、両親が殺され、その仇を取りたいと言っていた。
様々な事を勘ぐってしまう。
ふと気付くと、ユキの視線がソラに向けられていた。
ソラは、一瞬、胸の鼓動が高まった感覚を覚え、慌てて目を逸らした。
「やっべぇ。松之宮そっくりだもんなぁ」
ソラは、心を落ち着かせる為、大きな深呼吸をした。
日が少しずつ眠りに付き、辺りは徐々に赤みを帯び始めてきた。
ソラは、特に陰陽師には興味が無かったので、授業には参加せず、陰陽寮を散歩する事が多かった。
ひたひたと、足音を立てながら庭沿いの縁側を歩く。
「しかし、俺はどうやって地球に帰ってきたんだろ? しかもこれは……タイムスリップ? だよなぁ」
そんな事を呟いていると、教室の中で、清明が一人、巻物を開いているのが見えた。
歩みよるソラ。
「何してるんですか?」
「この地に異変が無いかを探っておる」
そう言いながら、巻物に描かれている地図らしき物に手をかざし、手から何かを読み取ろうとしている清明。
「それって日本地図ですよねぇ」
「そうだ」
「どれどれちょっと見せて下さいよ」
そう言い、地図を覗き込んだソラだが、更に訳が分からなくなった。
そこに描かれていた日本は、ソラが知っている日本の形とは全く違っていたのだ。
「これって……。日本のどこですか?」
すると、清明は、不思議そうな様子で答えた。
「これ全てが日本そのものだが」
「そんな……」
ソラが知っている日本列島……。しかし、地図上に『列島』が存在していなかったのだ。
大きな大陸の海沿いに面した、場所だった。
「ここは一体どこなんだ……」
小声で呟いたソラを、じっと見つめていた清明は、巻物を掴むと、手の中で丸め始めた。
「余計な物だったかな?」
「あっ、いえ。そんな」
清明の、心を貫く目から逃げるかの様にソラは、その場から立ち去った。
それを目で追う清明。
「はてさて……。まこと、奇なる男だ」
晩御飯を食べ、転寝をしていたソラの肩を小さな手が叩いた。
目を開けると、アンリの顔が見えた。
咄嗟に飛び起きたソラ。
「松之宮っ!! ……?」
だが、彼女が松之宮では無かった事に気付いたソラは、慌てて立ち上がった。
「どうしたんだ?」
すると、ユキは、不気味な笑みを見せて、出来上がったばかりの呪符を握り締めた。
「これを、試そうと思ってな。付いて来てくれぬか?」
「俺が?」
ソラは、心なしか嬉しかったが、あえて嫌な素振りを見せた。
「だって、お前しか話せそうな者がいなかったのだ」
「そっか、まぁ、あれだな。仕方ないってヤツだな」
陰陽寮を抜け出したソラとユキは、狩衣姿で、深夜の都を歩いていた。
誰も居ない、殺風景な民家を通り過ぎる。
上を見上げたソラは、その星の美しさに感激の声を漏らした。
「うわぁ、すげぇ。こんなに綺麗な星空を見たのは初めてだ」
元居た世界では、決して見ることが出来なかった煌く星空。
今いるこの場所が、既に宇宙の中にいるのではないか? と思わせる程に、星の一つ一つが生き生きと輝きを放っていた。
そんなソラの顔を覗き込んだユキは、不思議そうな表情を表した。
「別に、このような空はいつもの事ではないか」
「あぁ、でも、凄く綺麗だ……」
ソラは、今見上げている視界内のどこかの星に、アンリ達がいるのかも知れないと言う、淡い期待を巡らせていた。
もしそうなら、早く迎えに来て欲しい。
そう、強く願った。
――だってここは、ソラが知っている地球ではないのだから……。
別の地球と考える方が簡単だった。
でも、時代がソラの知っている地球とリンクしている点は、どう考えても答えが見つからなかった。
しばらく、都内を練り歩いていると、一軒の民家から女の悲鳴が聞こえてきた。
薄っすらと明かりが灯る民家へと駆け寄る二人。
女の悲鳴と、男の呻き声が、薄い木の引き戸の隙間から漏れていた。
「ここだ」
そう言って、戸を引き開けたユキの目の前で、鬼の形相で、もがき苦しむ男と、その様子になす術無く泣きじゃくる女がいた。
女房らしき女は、ソラとユキの姿を見て、陰陽師だと思い、助けを請いてきた。
陰陽師と言っても、まだ駆け出しの見習いだ。
だが、女房からしてみれば『陰陽師』なのだ。
「お願いします。夫を、夫をお助け下さい」
「任せられよ」
そう言うユキの手首を引っ張ったソラが、訊ねる。
「お前にできるのか? 清明さんを呼んだ方が良いって」
「私に出来ぬならお前がいるではないか。陰陽の授業に出ん所を見ると、相当な術者なのだろ?」
ユキの想像を絶する勘違いに、ソラは恐れ慄いた。
「ば、ば、馬鹿言え、俺は、素人だ!!」
「なっ、何を今更、そのような事をっ!?」
慌てる二人を尻目に、もがき苦しむ男の皮膚が紫色に変色をし始め、牙が伸び、血の涙が溢れ出す。
「いかん。鬼になる!!」
そう言うと、ユキは作りたての呪符に、人差し指で念を送り始めた。
「陰錐清恩鬼禮双絶蘇倭伽」
男の顔が瞬く間に鬼へと変わってゆく。
その光景に焦るユキの口が早くなる。
「陰錐清恩鬼禮双絶蘇倭伽」
「急急如律令!!(きゅうきゅうにょりつりょう)」
念を送りきったユキは、男に目掛け、呪符を投げつけた。
空を切り、男の顔へと張り付く呪符。
途端に、苦しみ出した男だったが、爪が伸びた手で、呪符を引き千切ると、床から立ち上がり、ユキに襲い掛かって来た。
紫に変色した手が、ユキの頭部を握り潰そうと、伸びる。
咄嗟に、ユキを突き飛ばしたソラ。
民家の向かい側の塀に背中から衝突したユキは、成す術が無くなり、膝から崩れ落ちた。
戦意喪失状態のユキを目の当たりにし、ソラは、何としてでも、助けようと意を決した。
バトルスーツの力を解放しようと、全身に気合を込める。が……。
「あれっ? …………」
そう、スーツは清明の屋敷に置いていたのだ。
「冗談だろ!?」
吠える鬼が、女房の首を握り締めた。
「き、霧只……」
愛した夫に殺される恐怖と悲しみに涙を流す女房。
そこへ、距離を詰めたソラは、鬼の腰に全力の回し蹴りを放った。
全く効いてなかったが、鬼は、手を緩めると、ソラを殺そうと標的を変えた。
「この野郎ッ、こっちへ来い!!」
そう言うと、ソラは全速力で清明の屋敷へ走った。
ソラの思惑通り、鬼が追跡してきたが、清明の屋敷まで逃げ切れる自信は無かった。
それでも、ユキを守りたかったし、屋敷まで辿り着けば、清明が何とかしてくれると思ったのだ。
我に返ったユキは、ソラを追う鬼を追跡した。
屋敷の塀を直角に曲がり、朱雀通りを横切る。
そして、三つ目の角を曲がり、橋を渡った。
次の角を曲がれば、道の向こう側が清明の屋敷だ。
だが、角を曲がる手前で、鬼の爪がソラの狩衣に引っかかった。
バランスを崩し、倒れこむソラに覆いかぶさり、首に噛み付こうと、鬼が暴れる。
両手で鬼の肩を押さえ、首を振り、鬼の歯を遮る。
首元で、唾液が滴る歯が激しい衝突音を奏でる。
「このっ、喰われてたまるかよ!!」
ソラは、膝蹴りで鬼の腹を浮かし、反対の足で蹴り飛ばした。
立ち上がったソラ。
絶体絶命の状態であるにも関わらず、不気味な笑みを零す。
「そっか。コイツは実態がある。なら……戦えるッ!!」
何処からとも無く湧き上がる自信。
ソラ自身、その理由さえ分からない。
ただ、何とかなる気がした。
ソラの元へと到着したユキ。
ユキの目の前で、身構えるソラの体から、金色の光が噴出した。
「覚悟しやがれッ!!」
白い光を纏った拳をソラは、全力で振りかぶった。
つづく