第16話 「ノアの箱舟」その3
2010年明けましておめでとう御座います!!
今年もよろしくおねがい致します。
目の前の老人の一言に、リュウセイまでもが驚きを隠せなかった。
――「ノアの箱舟」
恐らく一度は聞いた事がある名前。
旧約聖書に登場する伝説上の船。地球に住む生き物の間で悪が蔓延るようになり、それを悔やんだ神は全ての生き物を一掃する決意をした。その時に、一番心の綺麗だった『ノア』と言う者に箱舟を作らせて避難させた。あとの話は割愛するが、このフォースライドが『ノアの箱舟』だと主張する老人。
だがあまりにも無理がある。
伝説上では、宇宙になど出ていないし、アララト山に降りたと記されているからだ。
「もちろん、お前達が思うておる『箱舟』ではないぞ。『洪水伝説のノアの箱舟』は実在していたかは定かではないが、この『ノアの箱舟』は、お前達、前世が造った物じゃ」
黒いサングラスに、天井のスポットライトの光が反射する。
「何の冗談か知らんけど、エエ加減な事抜かすなや。もし博士やったら『IDカード』があるはずやろ?」
皮肉を交えながら、問いかけるリュウセイに、老人は、ハイビスカスのアロハシャツの胸元から一枚のカードを取り出した。
そして、リュウセイ達のテーブルに印籠のように見せ付けた。
「どうじゃ」
ソラは、カードに書かれている名前を読み上げた。
「惑星オネユマ・リゾート。ランジェリーパブ『ミカエル』…………」
一同の冷ややかな視線が、だらしない白髪から覗く黒いサングラスに向けられる。
その異様な空気を感じ取った老人は、カードを自分の方へ裏返すと、慌てて、ベージュの短パンへしまった。
「ほほほ……こっちじゃ」
再び老人は、アロハシャツの胸元から、一枚のカードを取り出した。
今度はリュウジが、ピアスを指でいじりながら、カードに書かれている名前を読み始めた。
「還暦越えても遅くない!! 人生のラストパートナーと青春をもう一度。『出会い空間 木漏れ日』…………っ」
その瞬間、リュウジは、今度はしっかりと老人の胸ぐらを掴み上げた。
「エロジジイッ!!」
ラウンジの他の客達も、流石に老人とリュウセイ達の揉め事に気付き顔を向けた。
「沢田君止めなさい!!」
拳を振りかざしていたリュウジを止めたのは、ヒール博士だ。
「何しに来たんや?」
「博士を迎えに来たんだ」
「は・か・せ……?」
一同の視線が、老人に向けられる。
「だから言ったじゃろうて」
大きな丸いクリスタル製のテーブルに移った一同。
ソラの背後には、クレーターだらけの月が見える。アンリは、そのクレーターからヒール博士へと視線を変えた。
「今日、フォースライドへ帰られた『ヴァキルト博士』だ」
「じゃから、『フォースライド』と言う呼び名は、ワシゃ好かんと言っておろうが」
ヴァキルト博士は、日に焼けた細い両腕を胸の前で組んだ。
「あ、すいません。いつからか呼び名が変わったみたいで」
「んで? 何の博士なんや?」
「ウェポン開発責任者だ。君達のバトルスーツや、スフィアブレスレット、数々の武器も、このヴァキルト博士が作られたのさ」
「おい、ちょっと待てよ」
リュウセイが、ヒール博士の話に割って入った。
「一つ矛盾があんねやけど。俺等が着てるバトルスーツは、俺等の前世が使ってたってヒール博士からも聞いたよなぁ。もしホンマに、ヴァキルト博士が開発してたんやったら……何百億歳やねん?」
「あ、ほんとだ」
リュウセイの質問にアンリも、矛盾に気付いた。グラスに残っていた氷を噛み砕くリュウジ。
「ほっほぉ。感が良いなお前」
ヴァキルト博士は、そう言うと、黒いサングラスをゆっくりと外した。
顔が引きつるアンリ、氷を噛み砕く口が止まったリュウジ、これでもかと目を見開くソラの横で、「あぁ、なるほど」とクールに納得したリュウセイ。
眼球の変わりに埋め込まれた二つの望遠レンズ。被写体に合わせてレンズが小刻みに動く。
確実に地球では考えられない事だった。
「サイボーグって事か」
「人間に与えられた寿命じゃ短すぎるんじゃよ。じゃから、自分自身を機械化したのさ」
そう言うと、黒いサングラスを戻した。
「じゃあ、ヒール博士もサイボーグなんですか?」と、ソラは場の流れで質問した。
「いや、俺はオリジナルの二十五歳だ」
ヒール博士は、ポケットから、メンソールタブレットを取り出すと、手の平に二・三粒取り出し、口にほおり込んだ。
「色々聞きたい事があるんじゃろうが、ノアに帰ってきたバカリで、疲れとるんじゃ。質問は今度にしてくれ。ワシゃ忙しいんだ、休暇も終ったしのぉ」
そう言うと、ヴァキルト博士は席を立った。
「当分はノアに居られるのですか?」
「まぁな。新型のバトルスーツ開発に必要な鉱石を、惑星オネユマで手に入れたんでな。五十億年も掛かったわい」
ヒール博士の質問に、ニコリと笑顔で返すヴァキルト博士。
「新型バトルスーツ!?」
今以上の力を切に欲していたリュウセイは、勢い良く立ち上がった。
「負の連鎖を断ち切りたい。涙を流しながら大地達が君等に想いを託し死んでいった。ワシも同じ想いじゃ。『負の連鎖』と言う鎖を断ち切る為なら、どんな兵器でも作ってみせよう」
ラウンジの中央エレベータに向かうヴァキルト博士の背中を見つめる一同。
だが、彼等の目には先程までの「陽気なエロ老人」ではなく、「博士」と言う偉大な人物に見えていた。
ラウンジの男子トイレの洗面台で顔に水を掛けるリュウセイ。
「あぁー、飲みすぎたかな」
近くの紙タオルで顔を拭くと、目の前の鏡に映る自分の顔を覗きこむ。そして、大きな溜息を吐いた。
「まだ先は長いなぁ。あいつ等鍛えやなアカンし、あと一人を探さなアカンしぃっ……っ!?」
そう言い掛けた時、リュウセイの表情が歪んだ。頭を鷲掴みにし、苦しみに耐えるリュウセイ。
「うっ……。何やねん、コレ。どうなってんねん!? うっ……ぐわぁっ!!」
呼吸を整えると、頭の痛みが引いていった。
自動センサーの蛇口に手を当て、水を手にすくうと、一気に飲み干した。
「俺……何かの病気なんか……?」
不安に染まってゆく自分の顔をリュウセイは、ただ見つめ続けた。
家族で夕食を楽しんでいた男は、席を立つと、ラウンジのトイレへとやってきた。
小便器の前に立ち、ズボンのファスナーを下ろすと、用を足し始めた。
すると、背後の大便器ブースから怪しげな声が聞こえてくる。男は、そのブースの方へ意識を集中した。
――「……まだ動く時では無い」
――「合図は俺が出す」
――「そう急かすな。分かった、明日に実行だ」
――「こっちは引き続き、奴等と行動を共にする」
――「あぁ、全ては計画通り。後は、ゲートを探すだけだ」
そして少しの沈黙が続いた時。
「そこで、話を聞いている者よ。命が欲しければ、三秒以内に立ち去れ」
男は、異様な恐怖に恐れおののき、慌ててトイレを飛び出した。
「ガジャル様。もう間もなくですぞ。その時まで、ごゆるりと休まれよ」
不気味な声は、ブースの扉を開くと、ラウンジの方へと歩みを進めた。
~次回 第17話「アンデッド再び」~
いつもと変わらぬ学校での授業中、突如アンデッドへと豹変したクラスメイト。
騒然とする教室内で、ソラとアンリに、苦渋の決断が迫られる。