第16話 「ノアの箱舟」その2
スピーカーから流れるチャイムの音と共に、弁当箱を片手にそれぞれが固まり始める。
ソラは、同じ空手部のタケルと、サッカー部である友達のシンジと、いつものように机を連結した。
ソラは、カバンからコンビニで買ったサンドウィッチとおにぎりを取り出すと、ミネラルウォーターのキャップを捻った。
「お前、そんなんで腹の足しになんのかよ?」
「あぁ、まぁ大丈夫さ」
シンジが、気を使いながら唐揚げを頬張った。
――「親父さんが、亡くなったから仕方が無い」
ソラの心に秘める思いが痛く分かるだけに、シンジとタケルは、それ以上何も言えなかった。
「おい、ソラ。食ったらまたサッカーだかんな。B組の奴等が、最近腕を上げてるから、こっちも本気ださねぇとな」
いつものように接しようとするシンジだったが、ソラは、申し訳なさそうに断った。
「ゴメン。ちょっと用事があるんだ」
そう言うソラの手の中に隠されている小さな紙切れ。
『お昼ご飯が終ったら、屋上で待ってるね。 松之宮』
告白でもされるのか? 色々な想像が膨らみながら、ソラはおにぎりを口いっぱいに頬張った。
アンリもいつもの様に、親友の奈菜瀬 美津穂と二人きりで弁当を食べていた。
「杏里。最近休む事が多いけど大丈夫?」
ここしばらく、休みが目立つアンリが心配なのか、美津穂が問いかけた。
「あぁ、うん。大丈夫。色々あってね」
「寂しかったらいつでも頼ってくれも良いんだよ? 杏里ぃ」
「大丈夫だよ。あんまし迷惑掛けれないよ」
本当は、凄く嬉しかったが、美津穂を巻き込む事は出来ない。自分と距離が近ければ近いほど、ゲラヴィスク教の毒牙の標的になるかも知れないと言う、大きな不安があるからだ。
それは、ソラも同じだった。
非常階段を上り、鉄扉の扉を開けたソラ。
目の前のフェンス越しに遠くを眺めるアンリの横顔に、胸の鼓動が飽きもせず脈を打つ。
時折吹くそよ風に、結られている亜麻色の髪がなびく。
ソラに気付いたアンリは、振り返り、顔にかかった前髪を細い指ですいた。
「来てくれてありがとう」
「いやぁ、別に良いよ。で、どうしたんだ?」
「神城君って、空手部だったでしょ?」
「へ?」
淡い期待を抱いていただけに、予想外な質問に拍子抜けした。
「寺村さんにも言われたんだけど、私……闘い方の基礎が全く成ってないって。だから、神城君に、空手を教えて欲しいの」
「空手ぇっ? ……あぁ、そう言う事か」
少しの落胆はあったが、大筋の内容が理解できたソラは、アンリの目の前に立った。
「じゃあ、俺の手の平にパンチをしてみろよ」
「うん」
そう言うと、アンリは思いっきり振りかぶった拳を、ソラの掌に当てた。
「どう?」と、前のめりの体勢を戻す。
「どう? って……本当に基礎からだな……」
「じゃあ、まずは体勢から。しっかりと膝を曲げてバネを作るんだ」
ソラの言う通りに、膝を曲げる。
「パンチは、手だけで打つんじゃない。腰の回転と肩のスイング、反対の手の締めが肝心だ」
ソラは、アンリの肩と手を掴むと、パンチの軌道を動かせて教え込む。
空手の事になると、『好きな女の子』に対しての緊張感は、完全に抜けていた。
「そうそう。滑らかな動きで、突き込む瞬間に引き締める。ガードをしている手から、なるべく一直線。最短ルートで突くんだ」…………
フォースライドのラウンジで談笑している四人。
「取り合えず、スピリットの力の引き出し方は分かったみたいやな。さっきの感じで練習して、徐々に大きな力を出せるようにしやなな」
笑顔のリュウセイは、クリスタル製のテーブルの上に置かれたビールジョッキに口を付けた。
リュウジは、ポケットから取り出したタバコに素早く火を付けると、力いっぱいタバコを吸い上げ、天井を仰いだ。
「かぁぁっ。トレーニングの後のタバコは格別だぜぇ。今なら白飯のおかずにすら成らぁ」
リュウジの横に座るアンリは、紫煙を迷惑そうに手で扇ぐと、スポーツドリンクの入ったグラスを片手にラウンジを見渡した。
カウンターで世話しなくカクテルをシェイクしているオールバックのマスターの前には、六名の客が楽しそうにお酒を飲んでいる。
三百六十度の銀河を見渡せる長方形のラウンジには、自分達が座っているテーブルを含め四十ものテーブルがあり、今日はその内の六割が埋まっていた。
客は見るからに『人間』ではあるが、研究者でもなく、普通の一般人に見える。一体どこから来てどこへ行っているのだろうと今になって疑問を抱いた。
「寺村さん」
「なんや?」
アンリに答えるリュウセイ。
「このフォースライドには、私達や、ヒール博士、スフィアルームの研究者さん達以外もいるみたいですけど。どこかで地球と繋がっているんですか? 彼等もここの存在を知ってて、移動手段があるとか?」
「俺もソレ気になってた!!」
ソラが体を乗り出し、理由を答えてくれるであろうリュウセイの顔を覗き込んだ。
「あぁ、そっか。まだ言ってなかったな。他の人らは、フォースライドに住んでる人やねん。フォースライドって言うんは、ホントはもっとデカイんや。とてつもなくな。日本の半分位の総面積があって、俺等がいつもおるんは隅っこやねん」
「そんなに大きいんですか!?」「そんなにデカいんすか!?」「ハンパねぇ~」
三人の声が揃った。
「今度連れていったるわ。居住区に」
「居住区?」
また三人の声が揃った。
「あっこはエエでぇ。超巨大ショッピングモールに超高級住宅もあるんや。宇宙中の文明があるから、服も雑貨も何もかもが見たこと無いモンばっかや。で、ここで見かける人らもその居住区から来てるって訳」
両腕を胸の前で組み、目を瞑りながら町並みを脳裏に浮かべ話し続ける。
「人間以外もおるけどな。この世の楽園かも。このフォースライドは」
自慢げに話すリュウセイに、「じゃあ、寺村さんはその居住区に住んでいるんですか?」と聞いたソラ。
「いやいや、俺は地球やで。でも、居住区でも住めるけどな。俺等『スピリットを持つ者』は、VIP対応やねん。スピリットを見せたら、食い物タダ、住むのもタダ、遊ぶのもタダ、何でもタダやねん」
「女もタダか?」
「なんでやねん!!」
軽くニヤつくリュウジに、空かさずツッコミを入れたリュウセイ。
「さっきから『フォースライド、フォースライド』とうるさいのぉ」
四人の前に現れた謎の老人……。
白髪でだらしなく伸びた毛。黒いサングラス、日に焼けた肌に赤いハイビスカスのアロハシャツが良く似合っている。
「誰が『フォースライド』とか言うハイカラなネーミングを付けたんじゃ」
「ジジイ誰や?」
リュウセイの問いかけに、老人は落胆混じりの溜息を吐いた。
「お前の着ているバトルスーツや、スフィアブレスレットの開発者の顔も知らずに、よく無断で使いよるなぁ」
『開発者』その言葉を誰一人信じようとしなかった。
「このジジイ何寝言こいてんだ?」
半笑いで立ち上がったリュウジの顔を老人が見上げる。
「ふん、青いな。く・そ・ガ・キ」
老人のいきなりの挑発に、リュウジのヤンキーモードのスイッチが入った。
「死に腐れ、クソミイラがっ!!」
「おいっ、やめろ沢田」
リュウセイの注意も間に合わず、リュウジの拳が老人の顔面を貫いた。
…………!?
「アロハ~」
老人の額を貫くリュウジの腕が、何の抵抗もなく動く。鼻に口、胴体。ダメージは皆無だ。
一同は驚きを隠せなかった。
その答えを知っていたのはソラだけだった。
「あのホログラフィティだ!!」
そう言い、立ち上がるソラに指を指した老人は「ピンポーン!!」と軽快に答えた。
――あのホログラフィティ。
遺跡で、邪赦螺と闘った際に、ソラがトドメをさす切っ掛けとなったアイテムだ。
「なんでアンタが?」
「じゃから、ワシが作ったと言ったじゃろ」
「そんな身なりで博士に見えるかっ!!」
リュウセイがイラつきを顔に出した。
「何でも見た目で判断するでない。いつか痛い目に合うぞ」
老人の言葉に、リュウセイは身を引いた。もしかしたら……と言う考えが芽生えたのかも知れない。
「じゃあ、アンタが?」
「そうじゃと何回も言っとろう。それと、さっきから気に食わん事があるんじゃが、ここは『フォースライド』と言う名ではない」
「ノアだ。箱舟だよ」
老人のサングラスが光ったように見えた。
「の、ノアの箱舟ぇっ!?」
四人の声がラウンジに木霊した。
つづく