やりたくないと言えば嘘になる
青い空、白い雲。
流れ行く雲も、照りつける日差しも、吹き抜ける風も。全てが偽物だとは思えない。
現実か、データか。この世界にいると、そこに大きな差があるのか分からなくなる。確かにこの瞬間、俺はこの世界で生きている。
世界初のVRMMORPGであるORDEALのサービス開始前日。SNSを眺めていても、ORDEALについての話が目につく。
AR端末が発展しつつある現状で、突如として現れた新型VR端末。その端末と共に発売される唯一のソフトであるORDEALのプロモーション映像は、今までのVRとは一線を画すものであった。
現実さながらのその世界に魅入られた人達により、初回生産分である20万台の予約は予約開始から数時間で埋まったそうだ。当然、俺が予約できるわけもなく、まあ時間が間に合っていても金銭面でも無理だったが、情報だけでも見て楽しんでいる。
ORDEALでは、ゲームをプレイする楽しみもあるが、ゲームを観る楽しみも用意されている。ORDEALのコンセプトととも言える試練のダンジョンは、そのダンジョン内のプレイ映像がネットで中継されるのだ。プロモーション映像にはボス戦の様子があったが、その迫力は今までのゲームやアニメを優に超えるものだった。見ているとやりたいと思ってしまうのはあるが、それを受け入れてでも見たくなる映像だったのだ。
「──、夏樹!」
いつの間にやら考え込んでしまっていたようで、目の前で俺を呼ぶ幼馴染の神城凛花の存在に気づかなかった。周りを見渡すと、すでにクラスメイトは帰り始めていて、授業どころかホームルームまで終わっていたようだ。
「帰ろっか」
「そうだな。学校に残っていても仕方ないしな」
いつものように学校から一緒に帰る。暑い日差しが夏だと告げて来る帰り道。歩いているだけでも汗が出てくるそんな帰り道も、今日はそれほど苦痛には感じない。
「夏休みは用事ある?」
明日からは夏休み。ネットでORDEALの中継を見ながら、だらだらとする日々が始まる。
「用事と言えるものはないな。どうせうちの親はずっと仕事だろうし」
共働きの両親は日中は基本的に家にいない。まとまった休みがあるわけでもないので、旅行なんてそれこそ小学生の頃に一回だけ行った記憶がある程度だ。祖父母の家も車で30分ほどなので、ちょくちょく顔を出しているから帰省なんてこともしない。
小学4年生くらいからだろう。学校から帰っても誰もいない。そんな環境だったのは。一人の自由な時間は楽しかったし、凛花が頻繁に遊びに来るから寂しくもなかったが。
「夏休み一緒に遊ばない?」
「一緒に遊ぶっていつものことだろうが」
「今回はいつも以上に! 一緒にやりたいゲームがあるんだ」
ゲームか。ORDEALを見ながらやればいいし、気晴らしくらいにはなるだろう。夏休みをだらだらと過ごすくらいならゲームでもしていた方がマシだ。
「で、何やるんだ? ソフトが必要なら買わないといけないし、オンラインゲームならインストールしておかないといけないだろ」
「それは大丈夫! 今日の午前中にうちに届いているはずだから、帰ったら渡すね」
「準備がいいな。俺に用事があったらどうするつもりだったんだよ」
「事前に夏樹のお母さんに確認しておいたから大丈夫」
根回しが良いことで。俺と凛花の家は隣同士なので、互いの親ともよく会う。そうでなくとも、ほぼ毎日どちらかの家で遊んでいるので会う機会は多い。
学校から15分ほど。汗が少し滲んできたところで家に着く。いつものように親は仕事でいないので、鍵を開けて家の中に入ると、俺の後ろに凛花がついてきた。
「一旦帰らないのか?」
「どうせ、この後すぐに私の家に荷物を取りに行くんだから、ちょっとくらい待つよ」
「じゃあ、着替えてくる」
自分の部屋に行き、制服からTシャツとハーフパンツに着替える。
荷物はいらないか。凛花の家に行くなら、必要なものなんてないし。AR端末だけポケットに入れて部屋を出る。
「よし、今日中にセッティングを終わらせて、明日の朝から遊びまくるぞー!」
「はいはい。明日からね。じゃあ、今日はゆっくりセッティングするか」
別にさっさとセッティングさえ終わらせれば、すぐに始めてもいいんだがな。凛花が明日からと言っているので明日からでいいが。
「明日からはハードスケジュールだから、今日中にできるだけ宿題を終わらせて、夜はゆっくり寝ないとね」
「そんなにガチでやるつもりなのか。宿題は分担してやるか」
「うん。というか、夏樹の方が熱中しそう」
凛花は全般的にスペックが高いからな。基本的に俺の方が努力しないとついていけない。勉強でも、スポーツでも、ゲームでも。スポーツなんかは男女の身体能力の差で、俺の方が上なものが多いが、技術面では負ける。
「夏樹はなんだかんだ言っても、私についてきてくれるから好き」
天才と呼ばれる者の悩みと言ったところだろう。
積み重ねた努力に少しの労力で追いつかれる。一緒に始めたのに、気がつけば置いていかれる。
そんなことが続けば、次第に競おうと思う気すら起きなくなる。凛花はそれが不満なんだ。同じ実力を持った誰かが近くにいないのが。
「早く行こ」
凛花の後ろ姿を見ながら考えていると、凛花が俺の手を引く。
俺では同じレベルまで行けないかもしれないが、それなりに相手はしてやるよ。
迷うことなく玄関ではなく台所の近くにある窓から凛花が外に出る。狭い庭と呼べるか分からないスペース。山椒の木が植えられている通路の奥には、何故か凛花の家に繋がるドアがある。
凛花の家は庭を含めると、普通の一軒家である俺の家の10倍くらいのサイズだ。普通に玄関から出て凛花の家の入口の門に向かうと、端まで歩かないと行けないので若干遠い。
凛花とよく遊ぶから作られたこのドアは、その役目をしっかりと果たし、かなりの頻度で使用されている。
凛花の家には、俺の家と行き来するためだけに作られた第二の玄関がある。この第二の玄関ですら、うちの玄関とは比べ物にならないスペースがあり、凛花の靴といつの間にか用意されていた俺用の靴が10足ほど置かれている。
最初に見た時は驚いたが、さすが金持ちはやることが違うなと感心しつつ、せっかく用意してくれたものは使わせてもらっている。さすがに普段使いするのは申し訳ないので、家の行き来にしか使ってはいないが。
「じゃあ、さっそく開封の儀を始めよう!」
お目当のゲームは凛花の部屋に置いてあるということだったので部屋まで行くと、中には大きなダンボールが二つ置かれていた。
「中身は殆ど同じだけれど、私用と夏樹用でデザインが違うから」
このダンボール一つが一人分なのか。ゲームって何のゲームをやるつもりなんだ?ARゲームなら、端末にインストールするだけだし、昔の道具を使った遊びでもやる気か?
「開けたら分かるよ」
「そうだな。じゃあ開けるか」
二人同時にダンボールを開ける。別に一緒に開ける必要もないが、凛花がせーのと言ったので合わせて開けると、中には最近よく見ていた物が入っていた。
「は? え、まじで?」
「ふふーん。これなら夏樹も本気になるでしょ?」
「いや、お前何やってんだよ!?」
「何って、プレゼントだよ。一緒にORDEALをやるための」
「バカ! 一緒にゲームやるために、何十万、いや今転売すれば数百万になる物を渡すなよ!」
VR端末のVRASとフルダイブを快適にと同時発売されたマットや枕がダンボールの中に詰められていた。
VRASとORDEALは予約で買ったとしても50万ほどする。転売で買ったなら初期でも150万くらいだったはずだ。
予約販売の初回生産20万台と、抽選で5万台、それと企業スポンサー用の1000台。現状この計251000台しか無いので、転売の値段は刻一刻と高くなっている。
「お父さんに頼んだら、頑張って予約してくれたからね! 私の分は抽選で当たったし」
「それでも、50万もするだろ。さすがに値段が値段だから申し訳ない」
「別に50万くらい問題ないよ? お父さんに申し訳なく思うなら、私がお金返しておくから」
「いや、そういう問題じゃなくて」
それだと結局、相手が凛花に代わるだけだろうが。50万なんて簡単に出してくるあたり、金持ちってやつは感覚が違いすぎて困る。親戚ならまだしも、ただの隣人で、凛花の幼馴染ってだけなのに。
「まあ、夏樹ならそう言うだろうと予想はしていたよ。簡単な話だよ。50万、稼いで返せばいいんだよ」
「50万なんて、そんな簡単に稼げないから。ORDEALをやるならバイトもそんなには入れないし」
ORDEALをやる時間を我慢すればいいだけの話だが、それでも半年以上バイトしないと貯金を合わせても無理だし。
「だからORDEALをやればいいんだよ。夏樹も知っているでしょ。ネット中継に映れば、視聴者数によってお金がもらえるんだよ。さらに、スポンサーがつけばもっと稼げる」
確かに、ネット中継に映ればお金がもらえるのは知っている。でも、それを狙っている人は多いだろうし、簡単に稼げるようなものではないだろう。
「二人で、まあパーティーメンバーは他にも見つけるだろうけれど、ORDEALの攻略組を担おうじゃないか」
攻略組ね。簡単に言うが、ネトゲの廃人達の力は生半可なものじゃない。
だが、凛花とならば、無理ではないと思えるのは、俺が相当毒されているからだろうか。
「ははは。そうだな。二人でトッププレイヤーを目指すか」
MMO=Massively Multiplayer Online
AR=Augmented Reality=拡張現実
ORDEAL:オーディール。ゲームタイトル