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新日本警察エリミナーレ  作者: 四季
畠山宰次編
93/161

92話 「よく分からないけど、分かったよ」

「武田さんっ……」


 私は彼の名を呼んだ。届くわけがないのに。無意味であることは分かっているのに——。



 眉間に銃口を突きつけられた武田は、慌てることなくゆっくりと顔を上げる。そして、切り刻むような鋭い眼差しを宰次へと向けた。


『そんなもので脅せると思うか』

『まさか。武田くんを止められるとは思っていませんよ。ただ、隙を作ることくらいはできるやもしれませんな』


 言い終わるや否や、彼は空いている方の手で武田の右手首を掴む。素人の目には捉えられないような速度だった。武田でも対応できない速度とは、なかなかである。

 宰次はそのまま、掴んだ手首をねじ曲げた。本来曲がらぬ方向へと、ぐいぐい捻る。


『何を……』

『足の次は手。それが相場でしょう? ふふ』


 ふふ、という笑い方が余裕ありげで嫌らしい。


『最期くらい素直であっていただきたいものですな』

『断る』

『では仕方ありませんな』


 宰次は手を手首から腕へと移す。そして、肘をあらぬ方向に曲げた。軋むような痛々しい音が小さく聞こえる。あまり聞きたくない音だ。

 武田は肩から腕を動かし、振り解こうと試みる。だが、宰次の握力は案外強いらしく、びくともしない。


 直前と変わったことといえば、宰次の顔に不愉快の色が混じったことくらいだろうか。


『無駄な抵抗をする愚か者は、好きではありませんよ』


 面白くなさそうに言いながら、武田の背に膝を突き立てる宰次。


『……っ』


 武田は目を細め、掠れた息のような声を漏らす。彼にしてはきつそうだ。

 宰次は、身長はさほど高くなく、力もたいして強くなさそうである。だからこそ、少しの力でダメージを与えられる膝を選んだのだろう。

 エリナの膝蹴りほどの威力はないだろうが、それでも不安は拭えない。心配だ。


「いいねぇ。面白いねぇ。ここからどうなることやら」


 武田の身を案じる私のすぐ横で、吹蓮が愉快そうに笑い出す。人が不安と戦っている時に……!と、少々腹が立った。けれども、その苛立ちを吹蓮に直接ぶつけるほどの勇気はない。


「私はいつまでここにいなくてはならないのですか?」


 苛立ちは飲み込み、気持ちを切り替えて吹蓮に尋ねてみる。彼女なら宰次から何か聞いているに違いない。


「そんなこと、あたしに聞いて信用できるのかい」

「分かりません。でも、貴女の言い方によっては信じられるかも……」

「おかしな娘だねぇ、天月さんは」


 言いながら吹蓮はこちらに手をかざした。

 事務所のリビングでの光景が鮮明に蘇る。まずい、と思う——が時既に遅し。衝撃波のようなものに体が突き飛ばされる。

 今まで体感したことのないような速度で体が吹き飛ばされていく。そして、扉近くの壁に激突した。


「……あ」


 それ以上声を発することはできなかった。

 背中全体に走る激しい痛み。それのせいで何も考えられない。考えようとしても、痛みにすべてを掻き消されてしまう。

 床に座り込んだまま身を縮め、ただひたすら痛みに耐える。今の私にできるのはそれしかない。


「天月さんはすぐに油断するから可愛いねぇ」


 吹蓮がこちらへ迫ってくる。


 逃げないと。そう思うが動けない。駄目だ、このままでは何をされるか。だが、私の力では吹蓮には敵わない。

 混乱して涙が込み上げてきた。


 そのうちに吹蓮に首を掴まれる。彼女はもう片方の手を、私の頬へあてがう。


「よくもうちの娘たちを傷つけてくれたね。仕返しにアンタの顔も傷物に……」



 諦めかけた——刹那。



 扉が勢いよくバァンと開いた。視界の端に人影が入る。


「「沙羅ちゃん!」」


 私の名を呼ぶ声は、よく聞いたことのある声だった。いつも近くで聞いていた声。

 そう、レイとナギの声だ。


 部屋へ入ってきた二人の姿を目にし、吹蓮のしわだらけの顔が驚きに満ちていく。彼女はゴミをポイ捨てするかのように、私を地面に落とした。


「沙羅ちゃん! 大丈夫!?」


 青い髪を揺らしながらレイが速やかにこちらへ来る。私を見つめる彼女の瞳は、不安げに揺れていた。


「れ、レイさん……」

「怪我は!?」

「あ、ありません……」


 凄まじい勢いに少々圧倒されながらも、必要最低限の言葉を返す。

 その間、ナギは拳銃の銃口を、吹蓮へ向けていた。引き金に指をかけている。いつでも撃てるという状態になっているようだ。


「良かった。本当に良かった。無事でいてくれてありがとう」

「あ、いえ……」


 捕まったのは私だ。私はまたみんなに迷惑をかけてしまった。それなのにレイは「ありがとう」なんて言う。意味がよく分からない。


「それじゃあ沙羅ちゃん。こんなところはもう出よう」

「は、はい。……あ! でも武田さんが……」


 私としたことが忘れかけていた。しかし、一度思い出すと気になってくる。


「大丈夫。武田のところにはエリナさんが行ってるから」


 それを聞き、ほっとした。

 けれど、それと同時にほんの少し胸が痛くなる。


 エリナに助けてもらったら、武田は彼女をより慕うようになるかもしれない。無力で護らなければならない私より、助けてくれて頼りになるエリナを選ぶかもしれない……と思うからだ。

 この期に及んでそんなことを考えている私は馬鹿だ。でも、考えてしまうものはどうしようもない。脳に湧いてくるものは消しようがないのである。


 ……だが、今は止めよう。こんなことで悶々としている暇はない。


「沙羅ちゃん、何か言いたいことがあるの?」


 レイは私の心を察したように尋ねてきた。


「……武田さんに、会いたくて……」

「武田に?」

「お礼と、私が生きてるということを、直接伝えたいんです」


 恐らくエリナが伝えていることだろうが、もしかしたら伝わっていないかもしれない。それに、武田も、私を見て確かめる方が良いだろう。


「だから……武田さんのところへ行きたいです……」


 言いたいことを正確に伝えるには言葉が足りていないかもしれない。私は肝心な時に上手く話せなくなる。だから今も、「結局何が言いたいの?」と首を傾げられるかもしれない。

 そう思っていたが、レイは強く頷いてくれた。


「よく分からないけど、分かったよ。沙羅ちゃんは武田に会いたいんだね」


 歯切れのよいさっぱりとした口調で言いながら、ニコッと笑いかけてくれるレイ。

 私は今まで、この笑みに何度も救われてきた。男性的な凛々しい顔に笑みが浮かぶと、良い意味でギャップがあり、非常に魅力的に感じられる。見る者の心の雲を晴らす、そんな不思議な眩しい笑みだ。


「よっし。じゃ、行こうか」


 彼女がこちらへ差し出す手を、私は勇気を出して掴む。

 武田のように大きな手ではないけれど、彼女の手は、私をいつも明るみへと連れていってくれる。だから、彼女の手も嫌いじゃない。


「ナギ! 後は任せるよ!」


 吹蓮へ拳銃を向けているナギに、レイは強く言った。ナギは頷く。


「レイちゃんのためなら一人でも頑張るっす!」

「よろしく頼むよ!」


 レイに手を引かれ駆け出す。彼女は足が速いので、私ではついていくのに必死だ。時折地面から浮きそうになったりした。だが怖くはない。


 ——武田に会える。


 そう思うだけで、視界が一気に晴れるような感覚がした。先ほどの壁に激突した背中の痛みは、今はなぜか感じない。希望が一時的に消してくれたのかもしれない。


 ——早く会いたい。


 その一心で、私は駆けた。レイに手を引かれ、ただひたすらに走り続ける。

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