8話 「歓迎会の準備」
事務所へ帰るとすぐに歓迎会の準備が始まった。
歓迎会などにはあまり興味がなさそうに見えるエリナだが、意外とそういうことが好きらしい。というのも、いきなり椅子から立ち上がりメンバーたちにテキパキと指示を出しだしたのである。
そのことに私は内心驚いた。しかし、レイはもちろん他の人たちも慣れた様子だったので、どうやら珍しいことではないようである。
当然私にも役割が当てられた。料理を作る役だ。
同じ役だったのは、緑みを帯びたショートカットのモルテリアと、茶髪なところに違和感を感じる武田。レイと別なのは少し寂しいが、また新たな友好関係を築く絶好の機会だと思って頑張ることにした。それにしても、私と武田が同じグループ分けというのが不思議だ。エリナは武田のことに関して私をライバル視しているものと思っていたのだが……。
私と彼が同じグループでエリナは別だなんて、実におかしな話である。
「……沙羅。溢れかけてる」
「えっ!? あ!」
麺を茹でていた鍋からお湯が溢れかけていた。
モルテリアに指摘されるまでまったく気づいていなかった私は、大慌てでどうにかしようとするが、対処法が分からずあたふたなることしかできない。家ではずっと母が食事を作ってくれていたので、私は電子レンジで温めるくらいしかしたことがないのだ。
「もういい……変わって」
私を突き飛ばすようにしてモルテリアが鍋の前に立つ。あまりに料理慣れしていない私を見て呆れたのだろう。
そこへ、横でサラダ用の野菜を刻んでいた武田が口を挟む。
「モル。あまり乱暴なことはするな」
情けない私をフォローしてくれる発言に、思わず胸の鼓動が速まる。
失敗したところを助けてくれる——小さい頃に読んだ少女漫画みたいな話、現実にあるわけがない。そんなことは分かっている。それでも私はときめきがとまらなかった。
「でも、麺がもったいない」
モルテリアの技術のおかげで、危うく溢れるところだった麺は救われた。彼女は料理が得意なようだ。
「だからといって突き飛ばすことはないだろう。台所で突き飛ばすのは怪我に繋がるから止めろ」
「でも麺がもったいない」
話は平行線でまったく進展がない。
モルテリアは、外見だけでなく中身も、浮世離れした不思議な少女だった。それなのに料理が得意という点も謎である。今まで出会った中にも変わり者はいくらかいたが、ここまで個性的な人とは出会った記憶がない。
「武田は、こぼれた麺が可哀想じゃないの……?」
そう尋ねるモルテリアの翡翠のような瞳には、今にも溢れ出しそうな涙がキラキラと光っている。
普通の女の子がこんな風に突然涙目になったなら、可愛く見せるための嘘泣きだと嫌悪感を抱いただろうが、モルテリアにはそう感じさせない力があった。演技とは到底思えないような純粋な瞳をしていたからだろう。
しかし、武田はというと、溜め息を漏らすだけだ。
「沙羅が怪我するのと麺が危ないのと、どっちがいいんだ」
えっ。今、サラッと沙羅って呼んで——あ、一応言っておくけどダジャレじゃないから。
武田に尋ねられたモルテリアは、鍋の中の麺を氷入りのザルへ移し、水道水で冷やしながら返す。
「……これからは気をつける」
また先ほどの繰り返しになるものと思っていたので、モルテリアが素直に返したのは意外だった。彼女もまともな会話ができないわけではないらしい。それを知り、少し安堵する。
——その時だった。
突如電気が消え、辺りは真っ暗闇になる。
「えっ? これは一体……」
私は半ば無意識に呟いてしまった。
誰かが間違えて消してしまったか、あるいは、なんらかのサプライズ企画か。初めは呑気にそう考えていたが、どうやら違うようだと空気で察した。
さすがエリミナーレのメンバーだけあって狼狽える者はいないが、先ほどまでより辺りの空気が引き締まっている。そのせいだろうか、心なしか寒くなった気すらする。
何が起きたのか分からず混乱していると、目の前に真っ白な女性が現れた。信じがたいことだが、体が少し透き通っているように見える。
「お聞きなさい。これはあなた方への宣戦布告です」
ハーフアップにした白い髪は肩より少し下くらいまでの長さで、体は細く、哀愁の漂う顔つきの女性。だが、その儚げな容姿や表情に似合わない、凛とした話し方だった。
「我々はあなた方の抹殺を命じられました。ですから、覚悟しておいて下さい」
そこまで言うと、真っ白な女性はすうっと姿を消した。それとほぼ同時に照明が元通りになる。
今のは一体何だったのだろう。誰かのいたずら? 心霊現象? 私はしばらく自分なりに考えてみたが、結局それらしい答えを見つけるには至らなかった。コンビニの事件といい、今起こった謎の出来事といい、今日はやたらとおかしなことに遭遇する日だ。一日に何度もとなると、さすがに少し気味が悪いと思ってしまう。
外は既に日が暮れていた。いやに胸騒ぎがする。
「サラダ……よろしく」
不安になっていた私に何事もなかったかのように頼んでくるモルテリア。麺がたっぷり入ったザルを持つ彼女の顔からは、微塵の動揺も感じられない。
もしかして私だけが幻を見たのだろうか、と思いつつ振り返る。
刻み終えた野菜が乗ったまな板の前に立っている武田は、ぼんやりしていた。まるで何者かに心を奪われているかのように、困惑した表情のまま宙を見つめ続けている。
「武田さん?」
小さめに声をかけると、彼は意識を取り戻したようにこちらを向く。
「……あ、いや。何でもない」
武田は気まずそうな表情で独り言のように呟く。私に返した言葉なのかどうかハッキリと分からない言い方だった。
明らかに様子がおかしいので、心配になって尋ねてみる。
「顔色がよくないですけど、大丈夫ですか?」
すると彼は素っ気なく「問題ない」とだけ返す。それから、まな板の上の刻まれた野菜を皿へ移し、そそくさと運んでいってしまった。
やはり様子がおかしい。武田は一体どうしたのだろう。やはりあの白い女性と関係があるのだろうか。
そんなことを考えていると、床に一枚の紙が落ちていることに気づく。なんだろうと思い、拾ってみてショックを受ける。
女性の写真だったから——。
しかも、先ほど見た幽霊のような白い女性と瓜二つの容姿をした女性である。やはり彼女は、武田の様子がおかしくなったことと関係がありそうだ。
私は拾った女性の写真を、服の中へそっとしまった。