81話 「今日は妙に長い日」
一人そそくさとリビングを出ていった武田を見て、レイは怪訝な顔をする。同じく怪訝な顔をしていたエリナと顔を見合わせ、首を傾げていた。
「……武田、変」
私の後ろにいるモルテリアが唐突に呟く。
「どうしたんでしょうか……」
確かに、明らかに様子がおかしかった。モルテリアですら気づくほどだから、かなり不自然だったということだろう。
私たちはキッチンからリビングへ戻り、エリナたちと合流する。ナギも普通に動けるらしく、集まってきていた。
「ナギ大丈夫?」
レイはナギに尋ねる。あっさりとした口調だ。
「えっ! レイちゃん、俺のこと心配してくれるんっすか!?優しいっすね!!」
「優しいとかじゃないけど、気にするのは当然だよ」
「マジ優しいっす!! 天使っすわ!!」
「そういうの止めてもらっていいかな。面倒臭いし」
ううっ、と傷ついた顔をするナギ。少し前に壁に激突していたとは思えない元気さである。
しかし私としては武田の方が気になるところだ。
少しして、そんな私に気がついたエリナが、声をかけてくる。
「沙羅、武田の様子を見てきてもいいのよ」
心を見透かされているみたいだと思った。別に恥じることはないはずなのだが、なんとなく恥ずかしい。
しかし、彼を一人にしておくのも不安だ。だから私は、「少し見てきます」と言い、リビングを出た。
廊下にでもいるかと思ったが、武田はいなかった。となると、恐らく自室だろう。
私は勇気を出して、彼の部屋の扉をノックしてみた。緊張は頂点に達し、心臓は暴れるように脈打つ。息が詰まりそうになりつつ、返答を待つ。
しばらくすると、扉がゆっくり開いた。
「沙羅……!」
武田は目をぱちぱちさせる。いきなりのことに驚いているようだ。
「どうかしたのか?」
「い、いえ。一人で出ていかれたので、どうしたのかなー、って。少し気になりまして」
「そうか。だが気遣いは不要。少し一人になりたかっただけだ」
彼の微笑みはどこか寂しげであった。夕暮れ時に見上げる空のように、柔らかさの中に哀愁が漂っている。
やはり少しおかしい気がする。上手く言葉にできないが……違和感を感じるのだ。
「まだ何かあるのか、沙羅」
眉頭を寄せながら武田は言う。その顔にはどこか気まずそうな色が浮かんでいる。
もしかしたら彼は何かを隠しているのかもしれない。そんな風に思った。彼は、体は頑丈だが、心は脆い。それを知っているからこそ、余計に心配なのだ。
「武田さん。今、何か悩んでられますか?」
この際どうにでもなれ、くらいの勢いで質問してみた。
すると彼は口を結び視線を逸らす。表情を見た感じ、やはり何か隠していることがあるようだ。だが、そう簡単に話してはくれなさそうである。
「一人で抱え込まないで下さいね。辛い時には頼ってもいいんですよ」
「頼る? だが、誰に」
こんな返しがくるとは思っていなかった。まさか「誰に」なんて聞かれるとは。
どう返せばいいのだろう。どんな答えが一番適当なのか。暫し考え、私はやがて口を開く。
「私でよければ力になりますよ」
「つまり沙羅に話せばいいということか?」
「あ、あくまで一例ですけどっ……」
言ってしまってから凄まじい恥ずかしさに襲われる。
わざわざ自室にまで押しかけて、しかも自分に頼れだなんて。とんでもなく厚かましい女だ、私は。引かれるかもしれない。
私は逃げ出したい衝動に駆られる。しかし、彼の瞳が私を凝視しているので、逃げるに逃げられない。
「なんというか、すみません。出過ぎたことをすみません。それでは私はこれで……」
一刻も早く場を離れようと身を返した、その時。
「待て!」
武田が私の片腕を掴んだ。
気づかなかったふりをして軽く払おうと思ったが、彼の握力は、軽く払えるようなものではなかった。大きな手は私の腕を離さない——彼が私の心を捉えて離さないのと同じように。
これほど強く掴まれては、もはや気づかなかったふりなどできない。仕方がないので振り返ることにした。
「何でしょうか」
気まずさのせいか、つい冷たいことを言ってしまう。後悔しても時既に遅し。
「あ、いや……いきなり掴んだりしてすまん」
恐る恐る武田の顔に視線をやる。彼は気まずそうな顔をしていた。
「実は相談したいことがある」
「え?」
まさか、本当にあるとは。
「沙羅がそう言ってくれるなら、ぜひ甘えさせてもらいたい。構わないだろうか」
当然だ。武田に頼ってもらえているのだから、断る理由などあるわけがない。
「構いませんけど……でも、私でいいんですか?」
「あぁ、もちろん。むしろお前がいい。これは沙羅にしか相談できないことだ」
「は、はいっ。任せて下さい!」
レイを見習って元気よく返事してみたところ、見事なまでに失敗した。
冷静に考えれば、私がレイのように爽やかに振る舞えるはずがない。馬鹿げた試みであることは誰の目にも明らかだ。やってしまったな、と後悔した。今日はこんなことばかりである。
そんな私を見て、武田はふっと笑みをこぼした。地味だが確かに笑っている。どうやら面白かったらしい。
「元気そうで何よりだ」
彼はそんなことを言った。彼らしくない、柔らかな表情と声で。
今日は妙に長い日だ。
既に色々あったにもかかわらず、まだ終わりそうにない。今日は本当に色々なことが起こり続ける日である。とにかく巻き込まれる。
でも、不思議なことに、嫌だとは微塵も思わなかった。