74話 「可能性があるならば」
鉄扇を閉じ、その先端を武田へ向ける瑞穂。彼女はその時になり初めて嘲笑うような表情を浮かべた。どこかあどけなさの残る顔に、他人を見下すような表情は似合わない。
「いい年してヒーロー気取りはかっこ悪いですよ。大人しく従って下さい。そうすれば酷いことはしませんから」
控えめな大きさと整ったラインが特徴的な唇を、彼女はゆっくりと動かす。
「そんな力なき娘のために、これ以上痛い目に遭いたくは……っ!?」
いつの間にか瑞穂の背後へ回り込んでいたナギが、彼女のこめかみに銃口を当てていた。瑞穂ですらたった今まで気づかなかったようだ。忍者のごとき気配のなさである。
ナギは片側の口角を僅かに持ち上げた。
「勝ち誇ってらっしゃるとこ悪いんすけど」
いつでも撃てるよう、引き金に指を当てている。
「そろそろ消えてもらっていいっすか?」
気づいた瞬間には驚きの表情を浮かべていた瑞穂だが、すぐに落ち着いた表情へ戻る。しかし、その顔に笑みはない。
「残念ながらそれはできません。エリミナーレを一人残さず消し去ることが仕事ですから」
「偽者瑞穂ちゃんはいろんな意味で理解力ないっすね」
瑞穂は不愉快そうな顔をする。嫌みを言われ不愉快に思うのは当然といえば当然だ。
だが、今までずっと笑みを崩さなかった瑞穂が不愉快そうな顔をしたのは、正直意外だった。彼女なら嫌みを言われても笑顔で流すと考えていたのだ。
「にしても、エリミナーレを一人残さず消し去るとか、そんなことできるわけないっしょ。偽者瑞穂ちゃんって、実はちょっとお馬鹿系なんすか?」
ナギは冗談めかしつつ述べた。
怒らせると怖そうな相手にでも、一切躊躇うことなくずけずけ物を言う。微塵の遠慮もないストレートな言葉選びは、さすがナギといったところか。凡人には真似できない。
「ナギ! お前はあまり接近しすぎるな!」
私を庇うように立ってくれていた武田が、いつもより少し大きめの声で口出しする。
ナギの武器は拳銃。接近戦には明らかに適していない。それなのに瑞穂に近づいている彼を心配して言ったのだと思う。
実際、武田でも苦戦する彼女にナギが勝てるとは到底考えられない。それに、同じ一撃を食らったとしても、肉体が頑丈でないぶん武田よりもダメージが大きくなることは避けられないだろう。ナギが瑞穂とまともにやり合うのは危険だ。
「杞憂っすよ! 銃口当ててりゃよゆ……ちょっ!?」
瑞穂は油断して喋っている隙を見逃すほど甘い人間ではなかった。彼女はナギの髪——三つ編みを掴み、彼の体を彼女自身に引き寄せる。女性が男性に対してしているとは思えないくらい、軽い引き寄せ方だ。
思わぬ強い力だったのか、ナギは動揺した顔をしている。
「これ以上、苛立たせないで下さいね」
瑞穂はナギを地面に叩きつけた。顔面からで痛々しい。アスファルトに顔面から叩きつけられたのはかなり痛かっただろう。随分酷いことをするものだ。
しかし、心の中で「私でなくて良かった」と安堵している自分がいた。人によっては嫌なやつだと思うかもしれない……。
「ちょ、偽者瑞穂ちゃん! いくらなんでも酷いっすよ!」
ナギはむくりと起き上がると怒りを露わにする。女好きの彼が年上の女性に対して怒るのは珍しい気がした。
「怪我したらどうしてくれるんっすか! 武田さんじゃないんすよ!?」
武田ならいいのか、と心の中でつい呟いてしまった。それはそれで酷い気もする。だがナギが意外と元気そうで安心した。
一方瑞穂はというと、まだ不愉快そうな顔をしている。彼女がナギへ注ぐ視線は、不快感と憎しみが混ざったような刺々しいものだった。
たったの一度だけ地面に叩きつけるくらいでは、彼女の中にある苛立ちは解消されないようだ。今まで余程耐えていたのだと察することができる。
「まずは一人目」
瑞穂の、可愛らしさがあるアーモンド型の瞳は、茨のような視線をナギへ向ける。それからナギの髪を乱暴に掴み、鉄扇を開く。そしてナギの顔面を強く叩いた。
顔面への攻撃が妙に多いが……大丈夫だろうか。
ナギに特別興味はない。だがそれでもエリミナーレのメンバーだ。骨折したり脳がダメージを受けたりしていないか、少々心配である。
顔面を鉄扇で強打されたナギは地面に倒れ込む。
「覚悟してもらいます」
「待って! 時間ほしいっす!」
「それは無理です」
瑞穂は鉄扇を振り下ろし、ナギを攻撃する。儚い容姿とは真逆の様子だ。
彼女は本物の瑞穂ではない。それは分かっている。けれど、武田から「優しい」と聞いていただけに、今の彼女の行いは衝撃的だった。イメージとかけ離れていたからであろう。
「沙羅ちゃん!」
鉄扇による猛攻から逃れようと必死になっているナギが、突如叫ぶ。切羽詰まった声色だ。
何だろう、と思い彼を見る。すると奇跡的に視線がぴったりと合った。
——次の瞬間。彼は持っていた拳銃をこちらへ放り投げる。
「使って!」
ナギは強く言った。
黒い拳銃が宙を舞い、私へ向かってくる。これほど上手に投げられるものか、と感心する。
しかし、大きな問題があった。私はキャッチボールが苦手なのだ。運動は全般的に苦手なのだが、特にキャッチボールはまともにできたことがない。
投げれば壊滅的なコントロールのせいでおかしなところへ飛ぶ。受けようとすれば絶対落とす。ボールですらそのような状態の私が、球形でない物をキャッチできるわけがない。
どうしよう、と思っていると武田がキャッチした。武田は「よし、これを」と言いながら、拳銃を私へ渡してくる。
「ナギさん……?」
「それ使っていいっすよ!」
使っていい、と言われても。
訓練もしていない私が撃つなど危険なばかりである。
だが、執拗に攻撃されるナギを助けなくてはと思う気持ちはあった。彼はアスファルトの上を転がるようにして、瑞穂の鉄扇攻撃を避けている。背が低いぶん武田より身軽な気はするが、動きが危なっかしい。
「沙羅、撃てるのか?」
「分かりません……。でも」
「でも?」
同じ言葉を繰り返し、首を傾げる武田。
「私にできるかもしれないなら、やります」
幸い瑞穂は私を見ていない。ナギが逃げ回っているおかげである。今はチャンスだ。
私は覚悟を決める。ここで逃げたらあまりに情けない。今まではずっと護られるばかりだったけれど、いつまでもそれでは駄目だ。
できる——だから私は、そう自分に言い聞かせ、引き金を引いた。
偽者の瑞穂を消し去り、この夢から覚めるために。