62話 「帰還」
「怪我した、ですって!?」
事務所へ帰り今日起きた一連のことを説明する。
それから、武田が負傷したことを伝えると、エリナは驚いて大きな声を出した。彼女らしからぬ派手な反応である。
だが、彼女が愕然とするのも、当然といえば当然だ。任務中ならまだしも、休日のお出掛けで負傷して帰ってきたのだから。
「あぁ、もう! どうしてこうなるのよっ!」
「すみません」
エリナは呆れと怒りの混ざった声で武田を叱る。武田は真剣な表情で謝った。するとエリナの視線がこちらへ移ってくる。
「沙羅、貴女もよ! どうなっているの!?」
怒りの矛先が向いたのはやはり私だった。
だが今回は何も言い返せない。私がぼんやりしていたのが、武田が負傷した原因だからだ。怒られて当然である。
「ごめんなさい。私がぼんやりしていたせいで……」
「そんなことはどうでもいいわ」
凍りつきそうなほど冷たい視線を向けられる。ここしばらくわりと親切にしてもらえていたので、この雰囲気は忘れていた。
「ごめんなさい……」
「貴女のうっかりで怪我させられたら困るのよ! 武田はエリミナーレの主戦力なの、そのくらい分かっているでしょ!」
今日のエリナの厳しさは、今までの中でもかなりトップクラスだ。非常に攻撃的な口調である。しかし、言っていることは真っ当なことなので、反論はできなかった。
庇ってくれそうなレイはリビングにはいない。ナギやモルテリアも部屋の外なので、場を和ませることができるような者は誰もいない。
「貴女は自分がしたことの重大さを——」
「エリナさん、あまり沙羅を責めないで下さい。彼女を庇ったのも、それで負傷したのも、私が勝手にしたことです」
武田は、エリナの言葉を遮り、すらすらと話し出した。
私と二人きりの時のぎこちない話し方とは大違いだ。やはり付き合いの長さによるものだろうか。
「このくらいの傷なら数日で治ります。仕事に支障はありません」
「よろよろしてたじゃない!」
ヒステリックに叫ぶエリナ。
だが彼女の言うこともあながち間違ってはいない。実際武田は、歩いている途中で何度かよろけたりしていた。重傷とまではいかずとも、普段通り動ける状態ではないと思われる。
「まったく、困るのよ……次の仕事もう受けちゃったのに」
どうやら既に次の仕事が決まっているようだ。だとしたら、エリナがいつも以上に怒っているのはそのせいかもしれない。
「次の仕事、とは?」
「護衛任務よ。珍しくて新鮮でしょ」
「確かに。誰が担当するのですか」
「明日依頼主である女性がここへ来るわ。本人に二人選んでもらうことになっているの」
どうか選ばれませんように。
当たり前だが、護衛など私には無理だ。何かの間違いで私が選ばれてしまったら、エリミナーレの名に傷をつけることとなってしまう。それだけは避けたい。
「武田。この件、レイとモルにも伝えておいてちょうだい」
「分かりました」
エリナの命令に武田が頷くと、それをもって解散となった。
これは常々思うことだが、エリナは突如解散にすることが多い。集合して深刻な話をしていた時ですら、話が終わった瞬間解散にする。
速やかに終わるのはありがたいことなのだが、どうもしっくりこない。いきなり「解散!」と言われることにはなかなか慣れないのである。
リビングを出て扉を閉めた直後、武田が自ら話しかけてくる。
レイが車を回してきてくれるのを待っていた時も、彼は自分から話しかけてきた。今日の彼は妙に積極的だ。もしかしたら少しは打ち解けることができたのかもしれない。
「そういえば。あの時言っていた、ショップで買ったという物のことだが」
「え?何でしたっけ」
「あの男たちに攻撃される直前、渡そうとしてくれていただろう。あれはどうなったんだ」
——カニのピンバッジ。
武田に言われ、その存在を思い出した。彼にサプライズ的にプレゼントしようと、私が密かに購入しておいたものである。
水族館から帰る時に渡そうとしたのだが、男性たちに襲われたことで渡し損なったのだった。それからはレイらと合流したりバタバタしていたので、存在をすっかり忘れ去ってしまっていた。
恐らく鞄の中に入っていることだろう。
「あっ、少し待って下さい」
鞄を開け、中に手を突っ込む。それから手の感覚を頼りに探す。すると、わりとすぐに見つかった。
手のひらに乗るような小さな紙袋を、彼へ差し出す。
「これですよね。遅くなりました。どうぞ!」
「ありがとう。感謝する」
武田は会釈して受け取ってくれた。彼の大きな手に小さな紙袋は似合わない。
それにしても、まさかこんな形で渡すことになるとは思わなかった。本当はもっと驚かせるような形にしたかったのだ。
だが、そんなことを言うのは贅沢というもの。受け取ってもらえただけ御の字なのである。
「中を見てみても構わないだろうか」
「もちろんです」
「よし。では開けてみる」
武田は小さな紙袋に興味津々。少々意外だ。
貰うなり中身を見たいだなんて、なんだか可愛らしい。まるで一年に一度のクリスマスプレゼントを貰った子どものようである。
彼は贈り物などには関心がないものと予想していた。しかしそうではないらしい。瞳がいつになく輝いているところを見ると、私の予想は良い方向に外れたようだ。
ちょうどその時、男性部屋からナギが出てきた。
もう寝るところだったのか、白いTシャツに短パンというだらしない格好をしている。書道風文字で『乾布摩擦』と描かれた短パンが非常にかっこ悪い。
「うわわっ! 二人きりっすか!?」
私と武田が二人で話しているところを目にしたナギは、やや興奮気味の声を出した。ナギは勝手に盛り上がっている。
「武田さんついに覚醒っすか! あ、やっとモテ期が来たんすねっ!?」
「違……」
「いやーっ、いつか来ると思ってたっすよ。武田さんにもモテ期が来るって信じてたっす! けど遅かったっすね!」
最初ナギは笑いを堪えているようだったが、ついに耐えきれなくなり、腹を抱えて笑い出す。彼の笑いは一度始まるとしばらく止まらない。
「待て、そうではな……」
「照れなくていいっすよ! 沙羅ちゃんが可愛いのは事実っすから!」
ナギは酔っ払いかのように笑い続ける。私がナギだったら、翌日腹が筋肉痛になるに違いない。
「……ひゃー、おかしかったっすわー。でも武田さん、手を出しちゃダメっすよ。男女の仲はゆっくり深めていくものなんで、いきなり乱暴なことしちゃ——」
「いい加減にしろ!」
不快そうな顔をしていた武田がついに爆発した。
「私と沙羅はそのような関係ではない! 勝手に話を進めるな!」
「否定するってことは、やっぱ沙羅ちゃんのこと意識してるんすね」
一切躊躇いなく火に油を注ぐナギ。
「なんだと。そんなことは……」
対する武田は怪訝な顔をする。
「いいや、そういうことっすよ。武田さんは相変わらず疎いっすね」
初めはいつもの感じで武田をからかっているのだと思った。だが、ナギの表情を見ると、単なるからかいではないと分かった。武田を弄りたいだけなら、こんなに真剣な表情はしないだろう。
「アンタは沙羅ちゃんのこと、とっくに好きになってるんじゃないんすか」
ナギはキッパリと言い放つ。
「ま。でも、自分で気づかないとどうしようもないっすね」
そんな曖昧なことを言い、リビングの方へと歩いていってしまった。私と武田は静かな廊下に残される。
「なんだあいつは」
武田は、はぁ、と疲れたように溜め息を漏らしていた。恐らく、ナギの言動がまったく理解できなかったからだろう。
しかしすぐに気分を切り替えて述べる。
「今日は色々と迷惑かけてすまなかったな」
「いえ。楽しかったです」
確かにかなり色々なことがあった。苦難の連続である。
だが、彼と一緒に過ごせたことは、私にとって何よりの幸せだった。
「贈り物、感謝する」
そして、彼が私に向けてくれる笑みは、私にとって最上級のご褒美である。
それはもう、何にも変え難いほどの。