61話 「良き理解者」
私は合流場所に指定されたカメショップなる店がどこにあるのか知らない。一方武田はカメショップの所在地を知っているらしく、少しも迷うことなく案内してくれた。
おかげで時間はそれほどかからずに到着できた。普通の速度で歩いて五分くらいだ。
「沙羅ちゃん!」
カメショップの入り口付近に立っていたレイは、私たちの姿を発見すると大きく手を振る。
レイは女性にしては背が高いので、人の多いところでもよく目立つ。地味な私のように埋もれてしまうことがない。そういう意味では、レイは、人込みでの待ち合わせにうってつけの容姿をしている。
「……レイさんっ!」
私は彼女に駆け寄り、その勢いのまま抱きつく。衝動的な、ほとんど無意識の行動だった。
さすがのレイもこれには驚いた顔をする。待ち合わせ場所で会うなり抱きついてこられたのだから、当然といえば当然の反応だ。事情の説明もなく突如抱きつかれれば誰だって戸惑うに違いない。
「沙羅ちゃん? ちょっと、どうしたの。いきなり何?」
戸惑いを隠せないレイに、武田が落ち着いた声で言う。
「私がやらかしてしまった」
「えっ。沙羅ちゃんに酷いことしたの!?」
レイは言いながら武田へ鋭い視線を向ける。罪人を責めるような、厳しい目つきだ。
対する武田は、言いにくそうに返す。
「いや、危害を加えてはいない。ただ庇っただけだ。そんなつもりはなかったのだが……結果的に泣かせてしまった」
「泣かせるとか酷い」
「すまない。今回は完全に私の力不足だ」
「想像力不足の間違いだよね」
「……そうかもしれない」
厳しい言葉をかけられ、武田はすっかり小さくなってしまっていた。
レイは私の体を引き寄せて、ギュッと抱き締めてくれる。触れたところから温もりが伝わってきた。強張った心がゆっくりと溶けていくようだ。
「怖かったね、沙羅ちゃん。でももう大丈夫だよ」
「ありがとうございます……」
なぜだろう。レイが傍にいてくれると、武田が傍にいてくれるよりも安心できた。
そこへモルテリアが戻ってきた。カメショップでの買い物を終えたところらしく、カメのイラストが描かれた大きな紙袋を両手に持っている。見た感じは重そうだ。だが、モルテリアが苦労せず持てているところを見ると、それほど重くないのかもしれない。
「……沙羅。それに武田も……」
モルテリアは丸い頬にほんの少しだけ笑みを浮かべる。会えたことを喜んでいるように感じられる表情だ。
「モルさん、買い物してられたんですか?」
「うん……。ビーフカメロンパン、クラゲグミ、ペンギンのエッグ、蟹ワンタン、それから……」
「色々買えたみたいですね」
永遠に続きそうな感じがしたので遮る。こちらから聞いておいてなんだが、モルテリアの買った物をすべて聞いている暇はない。
「買い物は完了?」
「……うん」
モルテリアが小さく頷くと、レイは「じゃあ帰ろっか」と屈託なく笑う。
「車はあたしが回してくるよ。武田、車の鍵ある?」
「あぁ、ある。よろしく頼む」
武田は鍵をレイに手渡す。
「正面玄関のとこに着けるから。あそこなら人もいるし、安全だと思うよ。待っててね」
「はい、分かりました。お願いします」
レイは笑顔で手を振りながら歩いていった。モルテリアは「一緒に……」と言って、レイの後を追っていく。とっとっとっ、というような狭い歩幅での小走りが可愛らしい。小動物のようだ。
「結局また二人になってしまいましたね」
「そうだな」
武田は少し気まずそうに短く返してくる。二人になるとどうも微妙な空気になってしまう。
「よし。では取り敢えず移動するか」
「そうですね。気をつけて行きましょう」
私は武田と一緒に水族館の正面玄関へ向かう。
水族館の正面玄関付近は人で賑わっていた。今はちょうどみんなが帰る時間帯だ。だから特に人が多いのかもしれない。正面玄関近くのタクシー乗り場とバス停には行列ができていた。
人込みは苦手だ。喧騒の中にいると気づかぬうちに精神が疲労してしまうから。
しかし、今は状況が状況なので、人の多い場所の方が安心できた。静かなところにいるより襲われる可能性はずっと低い。そう思えるだけでだいぶ気が楽になる。
「……沙羅、一つ聞きたいことがあるのだが」
車を待っていると、武田が唐突に話しかけてきた。
「何ですか?」
「お前は私を好きな人と言っていたが、あれはどういう意味だ」
心臓がバクンと大きく鳴る。
まさか今さらこんな話題が出てくるとは思わなかった。あの時彼は特に触れなかったので、すっかり油断してしまっていた。
動揺したせいで、伝えたいことが上手くまとまらない。
「あっ、あれは……たいしたことじゃなくて……」
「私を良き仲間だと認識してくれている、という解釈で構わないのだろうか」
「それもありますけど、武田さんはかっこいいなぁって……思います」
すると武田は戸惑った顔をした。眉間にしわを寄せ、首を傾げる。
「かっこいい、だと?」
「はい。強くて優しくて、頼りになるので、武田さんは私の憧れです」
これで良いのかどうかは分からない。私の気持ちが正しく伝わっているとは思えないが、それでも何も言わないよりはましだろう。
それからしばらく、武田は真剣な表情で黙り込んでいた。
彼は今、何を考えているのだろう。不快な思いをしていないといいが……。
「沙羅」
かなり時間が経過してから、彼はゆっくりと口を開く。
「お前は優しいのだな」
突然発された意外な言葉に、私は思わずきょとんとしてしまう。情けない顔をしていたかもしれない。
「労ってくれたのは沙羅が初めてだ。だが私には返すものがない。この先も無自覚に傷つけてしまうことがあるだろう。だがそれでも……」
武田は一度そこで言葉を切り、一呼吸おいてから続ける。
「いつまでも良き理解者でいてほしいと思う」
良き理解者、か。
やはり私はまだ彼の恋愛対象にはなれないのかもしれない。
彼は「恋愛感情を抱かない」と強く決めている。だから、この想いが成就する日は、まだもう少し先になることだろう。だがそれでも、確かに一歩ずつ進んではいるはずだ。
「もちろんです!」
だから私は挫けない。容易く諦めたりしない。
改めてそう心に誓い、夜の空を見上げる。澄んだ空に輝く星は、いつもより眩しく感じられて、私は少し目を細めた。