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新日本警察エリミナーレ  作者: 四季
お出掛け編
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59話 「好きだから」

 低く構えていた武田は、真正面から迫るリーダー格の男性へ突進する。そして男性のみぞおちに膝を入れた。男性はゲホッとむせ、バットを落とす。

 いくら男とはいえ、みぞおちを膝で強打されれば、ダメージを受けずにはいられないだろう。素人ならなおさらだ。


 怯んでいるリーダー格の男性を、武田は素早く蹴り飛ばす。成人男性が空き缶のように吹き飛ぶ様は圧巻。もはやこの世の現象とは思い難い。


「なめるなよっ」


 箒を持った男性が背後から武田に迫る。蹴りを放った直後の隙を狙えばいけると思ったのだろう。だがそれは甘い考えだ。背後からとはいえ、気配丸出しの攻撃に気づかない武田ではない。


「こちらのセリフだ」


 武田はくるりと身を返し、振り下ろされる箒の柄を右腕で防ぐ。そして左手で相手の手首を掴み、いとも容易く捻りあげる。ほんの一瞬のことだった。

 手首を捻られた男性はギャッと情けない声を出した。見た感じは地味だが、もしかしたら結構痛いのかもしれない。


 武田はそれからも、迫りくる男性たちを確実に捌いていく。体のサイズ故に大振りの動作になっている。しかし無駄のない効率的な動きだ。


 彼の戦いには吸い込まれるような魅力が感じられる。私が武田に憧れているからというだけの理由かもしれないが、私は今、彼の戦いに完全に見惚れてしまっていた。


 レイが使う体術のように視覚的な華麗さがあるわけではない。むしろ武田の戦い方は力を重視したものだ。大きな体に勢いを加えて攻撃を放つ、と言えば分かりやすいだろうか。それにも関わらず引き付けられるものがあるというのは、なかなか謎が深い。



 ——と、その時。


 武田の視線が突如私へ向いた。何事かと思った瞬間、彼は焦ったような顔でこちらへ駆け寄ってくる。


「沙羅!」


 彼の叫び声はいつになく緊迫している。

 その声を耳にした時、何かが起こったのだとすぐに分かった。その何かが何なのかまでは分からなかったが。


 武田は片足で地面を蹴る。半ば突っ込むように私の方へ接近してきた。そんな彼にぶつかり、私は数メートルほど後ろへ飛ばされる。そしてそのまま地面に転倒した。

 私は地面に仰向けに横たわり、武田がその上に覆い被さるという、極めて珍妙な体勢になる。顔の距離はかなり近く、表情がよく見てとれる状況だ。


「えっ。武田さん?」


 武田は顔を歪めていた。先ほどまでの交戦していた時とはまったく異なる表情。明らかに不自然な顔つきである。


「武田……さん? 一体……?」


 状況が飲み込めず混乱し、同じようなことを何度も尋ねる私に、彼は低い声で「ぼんやりするな」と忠告した。


 最初は、私がぼんやりしていたことを怒っているのかもしれないと思ったが、どうやらそういうことではないらしい。彼の顔に浮かんでいたのは、怒りではなく苦しみの色だったのだ。


 それから数秒後、武田越しに衝撃を感じた。ゴンッという瞬間的な強い衝撃である。


「……ぐっ!」


 その瞬間、武田は目を閉じて顔を歪め、詰まるような声を発した。

 首から上だけを少し動かすと、その意味がすぐに分かった。視界の端に、太いバットが入ったからだ。

 恐らくそれで殴られたのだろう、と簡単に想像がつく。


「武田さんっ!」


 慌てて動こうとする私に対し、彼は静かに「動くな」と言い放った。

 直後、再びゴンッという衝撃が伝わってくる。先ほどと同じような衝撃だ。


「た、武田さ……」

「構うな。私は平気だ」


 武田は冷静な声で言うが、言葉とは裏腹に、その頬は濡れていた。表情もいつになく固い。平静を装っているものの、見た感じかなりきつそうだ。


 それからも、一度、二度と衝撃が伝わってきた。


 その度に不安の波に襲われる。不安の波は私を飲み込み、深い海の底へと引きずり込むようだった。


 それと同時に、今日みたばかりの悪夢がフラッシュバックする。

 過去の武田が立て籠もり犯に何度も刺されるという質の悪い夢——あんな辛く苦しいもののことは、もう一切思い出したくない。忘れてしまいたい。それなのに、光景は鮮明に蘇る。しかも、忘れようとすればするほど、まるで目の前で見ているかのようにはっきりと思い出してしまう。


 悪夢の中で何度も刺されていた過去の彼と、今私を庇って繰り返し殴られる彼。その二人が重なって見えて、恐怖感はよりいっそう増大していく。


「……怖い」


 痛いのも辛いのも、どちらも武田だ。私は一度も殴られていないし、痛い目には遭っていない。それなのに、震えが止まらなかった。


「武田さん……、怖い……」


 いつの間にか男性たちに取り囲まれている。けれど武田が庇ってくれるうちは、私が傷つくことはない。だがそれで安堵などできるわけがなかった。

 なぜなら、今私が一番恐れているのは、武田が傷つくことだからだ。


「お願い……します。武田さん、もう……もう私を庇わないで」


 心からの願いだった。


 自分が痛い目に遭う方が何百倍もましだ。痛くても辛くても、無力な私のせいで傷つくのが私自身なら、まだ納得できる。

 しかし、武田は私から離れてくれない。


「沙羅を怪我させるわけにはいかない。だからここからは離れられない」


 それが武田の言い分だった。

 だが、私には分かる。彼はまとも動ける状態ではないのだと。彼はこの体勢のままいることで精一杯なのだ。


「嫌……私、嫌です……。でもどうしたらいいか……」


 言葉を上手く紡げない。

 今この瞬間に時が止まれば良いのに。世界すべてが滅べば、などと考える。私はきっと、既におかしくなっていたのだろう。

 やがて恐怖は頂点に達し、涙が溢れた。


「……沙羅、なぜ泣くんだ」


 武田が小さく言う。


「私は……間違っているのか。なぜお前は、私が傷つくことを恐れる……?」


 彼の問いに答えるかどうか、私は暫し迷った。


 そして私は言うことに決めた。


「……好きだから」


 それは、私のすべてを終わらせてしまうかもしれない言葉。

 でも、彼を救えるなら、私のすべてが終わっても構わない——。


「私は好きな人に、傷ついてほしくないんです……!」

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