52話 「何事もなくは終わらない」
しばらく歩いた後、少し休憩しようという話になり、近くにあった軽食店へ入ることにした。賑わっている店内はウッド調で、外から光が射し込んでいる。自然派でありながらも爽やかな印象の店だ。
私たちは唯一空いていた窓側の二人席に座る。店員のお姉さんがメニューと水を届けてくれた。非常に気が利く。
メニューはなかなか魅力的だった。フルーツスムージーやカップケーキのような甘い系もあれば、フライドポテトや白身魚のフライなど塩気がある軽食系もある。とにかく幅広い。
そんな中で私が意外だと思ったのは、ステーキやパスタなどの食事系も充実していることだ。種類が豊富で、しかも、すべてそれなりに美味しそうである。
「武田さんは何にします?」
「実に難しい」
「分かります。こういうのって結構迷いますよね」
見慣れれば落ち着いて選べるようになるのだろうが、初めてなのでなかなか選べない。ジャンルは幅広く、しかも種類が多すぎる。迷えと言わんばかりだ。
「今日は私がもつ。だから好きなものを頼んで構わない」
「えっ。そんなの悪いですよ。自分で払います」
私も子どもではない。入場券は買ってもらってしまったが、せめて食事代くらいは自分で払うべきだろう。
「いや、沙羅は払わなくていい」
「そんなのダメです! 付き合ってるわけでもないのに」
「待て。なぜそうなる」
「とっ、とにかく! 武田さんが二人分払う必要はありません!」
ついうっかり余計なことを言ってしまうところだった。いや、既に若干言ってしまったが。
ギリギリセーフだろうか。
「そうか。沙羅が嫌なら仕方ないな。すまなかった」
武田は僅かに視線を下げる。
彼の様子を目にすると、申し訳ないと思う気持ちが一気に込み上げてきた。せっかく奢ろうとしてくれたのにそれを強く拒否するなんて、酷いことをしてしまった気がする。今さら気づいても時既に遅しというものだが、甘えておく方が良かったかもしれない。
次からは気をつけよう、と自身の心に言い聞かせた。
「ところで注文は決めたのか?」
「そうですね。私は……」
再び何げない会話へと戻った、ちょうどその時だった。
「——沙羅ちゃん!?」
突如、背後で誰かが私の名を発した。
晴れた空のように爽やかで、聞き覚えのある声。そうだ、この声はレイだ。
「それに武田も。どうして!?」
振り返ると、驚き顔のレイが立っていた。その数歩分ほど後ろには、メロンパンを頬張るモルテリアの姿もあった。
二人がお出掛け中だということは武田から聞いていたが、まさか遭遇するとは予想していなかった。こんな偶然が現実に起こるものなのだろうか。
「……会えて嬉しい」
レイの後ろにいるモルテリアは、メロンパンを恐るべきスピードで口に押し込みながら、小さな声で言う。頬が大きく膨らんでいたが、ほんの数秒もしないうちにゴックンと飲み込む。
「レイとモルか。二人もここへ来ていたとは、驚きだ」
武田は言葉とは裏腹に淡々とした調子で述べる。レイらとバッタリ遭遇したことに驚いている様子はない。妙に冷静だ。
だが前以て仕組んでいた感じもない——そもそも彼はサプライズ的なことをする質でない。その可能性は潰して構わないだろう。
結局のところ、やはりこれは完全に偶然ということか。奇跡としか言い様がない。こんなこともあるのだな、と感心した。
「どうしてここにいるの!?」
レイは驚いた表情のままだ。
「エリナさんに沙羅を連れて出掛けろと命じられたからな。車を運転していると、いつの間にかここへ来てしまっていた」
まるで無意識に水族館まで来てしまったかのような言い方だ。随分適当である。
「エリナさんが出掛けろって? 珍しいこともあるものだね」
レイは眉を寄せ、怪しむような顔つきで返す。
それは私も同感だ。
エリナなら、私が武田を好きだと知っていても、素直に応援してはくれなさそうだ。むしろ嫌らしい言動で挑発してくる可能性の方が高いだろう。しかし彼女は、私が武田と同じ時間を共有する後押しをしてくれた。
もしかしたらエリナは武田に恋愛感情を抱いていないのではないかと、そんな淡い期待をしてしまいそうである。
「最近のエリナさんはよく分からないな。以前はずっと傍にいるように命じられていたのだが……近頃距離を置かれている気がしてならない」
エリナの変化には薄々気がついているらしい。人の感情に極めて疎い武田ですら気づくとは、余程大きな変化なのだろう。
「気にしたら負けだと思うよ。それより、沙羅ちゃんと遊ぶといいよ! 若い女の子と一緒にいると若返るらしいし!」
いきなり何の話だろう、と思いつつも苦笑で流す。私を思っての発言だと察することができたからだ。レイが悪意のある発言をするわけがない。そこは安心である。
「それは私が老けているということか……?」
「いや違う! 違うからっ!」
レイは激しく否定してから、はぁと溜め息を漏らす。
「じゃ、あたしたちは行くよ。二人の時間を邪魔したら悪いからね」
レイの言葉に反応し、モルテリアはコクリと頷く。素直な子どもみたいで可愛らしい。
——刹那。
キャアッという甲高い悲鳴が店内に響いた。辺りが急激にざわつく。今までの楽しい雰囲気から一転、空気が凍りつく。
声の主がどこにいるのかはすぐに分かった。私たちがいる席からは遠く離れた席だ。気づかないふりをしていれば巻き込まれない距離である。
「……何なの」
ちょうどその場から離れていこうとしていたレイは怪訝な顔で立ち止まる。
「野蛮な奴らか?」
武田も悲鳴が聞こえた方に目をやって言う。
水族館へ遊びに来て、様々な生き物の観察を楽しみ、お店でホッとひと休み。今日はさすがに大丈夫だろうと踏んでいたが、それは誤りだったらしい。
何事もなく終わる日はない。それがエリミナーレである。




