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新日本警察エリミナーレ  作者: 四季
お出掛け編
52/161

51話 「水の楽園」

「水族館なんて凄く久々です。もう数年来ていません」


 しばらくそれどころではなかったからだ。


 採用不採用にほぼ関係ないと思われる筆記試験のために、数年間勉強してきた。あの勉強が必要だったのかどうかはよく分からない。ただ、仮にそれほど必要性がなかったとしても、人生にまったく役立たないということはないはず。いや、そうでないと困る。私の費やした時間が無駄だったということになってしまうから。


 大学生になってからは同級生の空気に馴染めず、遊ぶといえば家で遊ぶくらいのものだった。おかげで交友関係はたいして広がらなかった。

 けれどこうして楽しく過ごせているのだから、この道を選んだことを後悔してはいない。


「私も、五年以上来ていない。ある意味同じと言えるかもしれないな」

「確かにそうですね」


 多少は会話が成り立つようになってきた。が、やはり長くは続かない。私がもっと器用に話せたなら改善されるのだろうか……。


「よし。では入場券を買ってくる」


 武田は妙にやる気に満ちている。


「私も一緒に行きます。離れていて迷惑をかけてしまったらいけないので」


 私は彼についていくことにした。少しでも近くにいたいからだ。もちろん、事件に巻き込まれてはならないので、という理由も完全な嘘ではないが。



 それから私たちは入場券を買いに窓口へ向かった。

 何でも機械化のこの時代に、機械ではなく人間が入場券を売っている。珍しくて少しばかり戸惑ったが、新鮮な感じがして嫌ではない。


 幸いそれほど並んでおらず、すぐに順番がくる。


 カウンターの向こう側に座っている五十代くらいの女性は、武田を見て、一瞬顔をひきつらせた。黒いスーツを着た高身長の男がいきなり現れたものだから、何事かと驚いたのだろう。

 カップルの彼氏やファミリーの父親、男友達のグループ。辺りを見回すと色々な立場の男性がいる。年代も少年から老年まで様々だ。けれど、スーツ姿の者はほとんど見当たらない。


「入場券二枚、お願いします」


 武田は直立したまま女性に頼んだ。女性は「は、はい」と、緊張した面持ちで詰まらせつつ返す。


「カップルチケットのほ……」

「何だと?」

「い、いえ。男女ペアのお客様用にカップルチケットという入場券がありまして……」


 五十代くらいの女性は、武田の圧力に怯んでいる。カウンター越しでも圧倒されるようだ。


「それは普通の入場券と何かが違うのか?」


 武田が興味を示したからか、女性はほんの少しだけ安堵した顔つきになる。


「はい。通常の入場券二枚より五百円お得になっております。それに加え、特典もお付けさせていただいております」


 通常の入場券より安く、しかも特典付きときた。かなりお得である。この水族館は、どうやら、カップル層の集客に力を注いでいるらしい。あくまで想像だが、大体正解だろう。そうでなければ、カップル限定で手厚いサービスをすることはないはずだ。


 武田は一度口を閉じ、すぐに顔をこちらへ向ける。そして落ち着いた声色で「どうする?」と尋ねてきた。彼一人では判断できなかったようだ。


「それでいいと思いますよ」


 私はさらっと返す。

 どちらでもいいが急いでほしい。というのも、今から入場券を買いたい人の列が、かなり伸びてきているのだ。

 カウンターは三つあるので、私たちがゆっくりしていても、完全に機能停止してしまうわけではない。だが、三つのうち一つが使えない影響はそこそこ大きいらしく、列がみるみる伸びていく。


「ではこちらで頼む」

「カップルチケットですね! ありがとうございます!」


 女性は嬉しそうに応じる。

 ノルマでもあるのだろうか? ついそんな夢のないことを考えてしまった。


 武田は入場券代を速やかに支払う。きっちりの金額を出したので、会計はすぐに終わった。背後からの圧力からやっと解放され、私は半ば無意識にホッと息を吐いていた。


 私が今の短時間で気疲れしたことなどまったく気がついていない武田は、独り言のように「よし」と呟いている。

 呑気という言葉が最も似合わないイメージの彼だが、今の彼の様子は呑気そのものだ。呑気より相応しい言葉が見つけられないくらいである。



 入場券を手に入れたので、さっそく入館する。それからは驚きと感動の連続だった。


 様々な種類の魚が大量に泳いでいる大きな水槽は、本物の海かと錯覚するほどに壮大。外から射し込む太陽光が、水を煌めかせている。この光景だけでも十分価値があると思う。

 深海魚用に薄暗いエリア、小さなカニや脚が長すぎるカニのいるエリア、バリエーション豊富なクラゲのエリア——とにかく色々あった。どれもユニークで、非常に興味深い。生物の多様性を改めて感じた。


「水がキラキラして綺麗でした。なかなか凄かったですね!」

「あぁ。なかなか怖かったな」


 え、何の話?


 私は怖さの話をしていた記憶はないのだが。突っ込みたい衝動を堪える。


 それよりも一番の驚きは、武田に怖いという感情があることだ。包丁やナイフを刺されてもさほど動揺しない彼を怖がらせる水族館は、かなりレベルが高い。


「何か苦手なんですか?」

「私はまったく泳げない。だから水は嫌いだ」

「えっ。じゃあどうして水族館に……」

「お出掛けと呼ぶに相応しい出掛け先が他に思いつかなかったからだ。女性は大抵水族館が好きと聞いたことがあったのでな、ここを選んだ」


 女性が大抵水族館を好きかどうかはともかく。

 お出掛け感を演出しようと努力してくれていたことには感謝したい。私一人のために考えてくれたことは何よりも喜ばしいことだ。


「なので沙羅、水辺での事故や事件には巻き込まれないように気をつけた方がいい。いくら私でも、火の中水の中とはいかないからな」

「火も水も恐ろしいですよね」

「その通り。水は恐ろしい。だが、火の中なら駆けつけられる。そこは心配しなくていい」

「火も大概危ないですよ……」


 私にとっての結論は「どちらも怖い」だ。火も水も、生活していくうえで必ず必要なものだが、時に人間の命を奪ってしまう。


「沙羅はエリミナーレの仲間だ。火くらいでは見捨てない」


 流れるプールなら見捨てられるかもしれない……。


「水は浅くても無理ですか?」

「すまないが無理だ。私が出ると、むしろ状況を悪化させてしまう確率が高い」

「それは困りますね」


 私と武田はどうでもいい話をしながら水族館の敷地内を悠々と歩く。

 空はよく晴れていて、太陽の光が眩しかった。

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