47話 「休日」
翌日。目が覚めて時計を見た時、既に十時を回っていた。
私は慌てて飛び起きる。みんなはもう起きているはず。完全に寝坊だ。大慌てでスーツに着替え、髪を整えて、リビングへ走る。
「す、すみませんっ! 遅れてしまいました!」
ドアを開け、飛び込むようにリビングへ入った。しかし、リビングに入ってすぐ、違和感に気づく。
人がいない。
午前十時に誰もいないはずがない。私はキョロキョロ辺りを見回す。
「あ、あれ……?」
しばらく見回していると、台所の方から武田が歩いてきた。片手にはカップラーメン、もう片方の手にはコップを持っている。
朝食にしては遅く、昼食にしては早い。かといって間食にカップラーメンはないだろう。
「沙羅、起きたのか。おはよう」
私に気づいた武田は、あっさりした挨拶だけでソファへ向かう。彼は今日も自分のペースを貫いている。
「あ。おはようございます」
私は挨拶だけしか返せなかった。こんなだから会話が盛り上がらないのだ。
レイやモルテリア、それに加えてナギもいない。もちろんエリナも。
広いリビングに二人きり——そう考えると、恥ずかしいような嬉しいような、微妙な気分になる。もっとも、二人きりだからどうということはないのだが。
「今日って、何かあったんですか?」
勇気を出して尋ねてみると、武田は顔をこちらへ向けた。
その拍子にばっちり目があってしまい、胸の鼓動が速まる。寿命が縮みそう、なんて思ったりする。
「何もない。ただの休日だ」
そうか、今日は休日だったのか。
エリミナーレの休日は曜日で定められていない。なので定期的に連絡をもらうシステムとなっている。このシステムにはどうもまだ慣れない。
武田はテーブルに置かれたカップラーメンへ視線を戻した。
割り箸でくるくると掻き混ぜ、たまに麺を上へ引き上げたりしている。あくまで想像の域を出ないが、もしかしたら彼は熱すぎる物が苦手なのかもしれない。仮にそうだとすれば、親近感が湧く。
「レイとモルはお出掛け、ナギは女探し、エリナさんはまだお休み中だ」
意外にも詳しく教えてくれる武田。淡白に見えて親切なところは彼の美点だと思う。
「武田さんは?」
「見ての通り食事中だ。休日用にとっておいた、新作のカップラーメン」
「それ、新作なんですか?」
「レバニラ入り甘め醤油味。珍妙な味シリーズの最新作だ」
武田は若干嬉しそうな顔をしていた。表情がいつもより柔らかく、しかも自然である。
さすがの武田も食事の時くらいは無防備になるのだろうか。あまりイメージできないが、彼とて人間。心が緩む瞬間がないはずはない。
「それより、沙羅の今日の予定は? 用事は何かあるのか」
レバニラ入り甘め醤油味のカップラーメンを啜る合間に彼は問う。
何と答えるのが最善なのだろう。自力では答えを出せなかった。事実の通り「何もない」と答えれば良いのかもしれないが、それではいけないような気もする。
「武田さんは何かありますか?」
考える時間を稼ぐため、取り敢えず問い返すことにした。
問いに問いで返すな、などと言われそうな気がする。しかし、意外にも、彼は突っ込まなかった。
「特にない」
私の問いに、彼は短く答える。予想外に早く終わってしまった。会話が上手く続かない。
「じゃあ今日は一日中ここにいらっしゃる予定ですか?」
「そうだな。今日は事務所でできる仕事をする予定だ。色々と溜まっているからな」
それでは休日と言えないんじゃ……。
内心思いながらも言わなかった。敢えて言うほどのことではないと判断したからだ。
それより、これはチャンスだ。彼の仕事を手伝うことにすれば、今日一日傍にいられる可能性はおおいにある。
「そうでしたか。もし私でよければ、お手伝いしますよ」
せっかくのチャンスを挑みもせずに逃すのは愚かとしか言い様がない。
昨日までの私なら尻込みしてしまっていただろうが、今日の私は違う。ちゃんと言える。絶対に逃げたりしない。
「問題ない、私一人で十分だ」
いきなり見事に断られたが、それでも決して諦めない。
「一人より二人でやる方が早く終わります。だから一緒に」
「必要ない。自分でできる。だから、私のことは気にするな」
武田はカップラーメンの麺を啜りながら淡々とした調子で言い放つ。彼は私と作業をするのが嫌なのだろうか。
「……ごめんなさい。私じゃ力不足ですよね」
私が関わると、必ずと言っていいほどハプニングが起こる。そして余計な仕事を増やしてしまう。一緒に仕事をしたくないと思われるのも当たり前だ。
そんなことは分かっている。
けれども、ほんの少し期待してしまっている自分がいた。もしかしたら受け入れてもらえるのではないか、と。
だがそんなものは所詮幻想にすぎなかったのだ。
「いや、そういう意味では……沙羅?」
自分でも気づかぬうちに、目から涙がこぼれ落ちていた。頬を伝い、やがて顎までたどり着く。長い旅を終えた涙は、襟を濡らして姿を消した。
「……なぜ泣く」
武田は細めの目を見開き、困惑した顔をしている。
私は小声で「分からない」と返すのが限界だった。
なぜ泣いているのか、なんて尋ねられても答えられるわけがない。むしろこちらが聞きたいくらいである。
そんな私に、武田は静かに歩み寄ってくる。
「すまない。何か悪いことを言ってしまったか?」
彼は膝を曲げて少し屈み、私の顔を覗き込んできた。泣き顔なんて見られたくない。そう思い、顔を背ける。
「嫌なことがあったのなら言ってくれ。私は人の気持ちに疎いが、言葉で伝えてくれれば分かると思う」
「……何でもないです」
私は本当のことを言えなかった。本心を述べるということは、私が武田の傍にいたいと思っていることをばらすと同義。無理だ、言えるわけがない。
「何もないはずがないだろう。お前は何もないのに泣くのか? あり得ない話だ」
私は腕で涙を拭い、ようやく武田に目をやる。
そして驚いた。
彼の瞳が不安げに揺れていたからだ。どんな状況にあっても冷静さを失わない彼が、眉頭を寄せ、不安の色を浮かべながら私を凝視している。
それは私にとって、かなり衝撃的なことだった。




