44話 「女王の風格」
「大丈夫っすか!?」
ちょうどその時、ドアがバァンと音をたてて開いた。勢いよくナギが出てくる。様子がまったく分からず心配だったが、無事なようで私は安堵した。
「ナギ! そっちは!?」
レイが素早く聞き返す。
「こっちはエリナさんが余裕で拘束したっすよ! そっちも楽勝っぽいっすね。レイちゃんが仕留めたんすか?」
「沙羅だ」
ナギの問いに答えが返ってくるより早く、武田が口を挟む。意味が分からない、といった顔をするナギ。
当然の反応だ。エリミナーレでも一番弱い私が紫苑を仕留めたなど、いきなり言われて理解できる話ではない。当人である私さえ、いまだによく理解できていないのだから。
そもそも私は紫苑を倒そうと思って動いたわけではない。それどころか、攻撃してやろうという気持ちすら抱いていなかった。ただほんの少し、数秒くらいでも怯ませることができればいい。そう思い、腕を動かして抵抗しただけだ。
それがまさか紫苑の顔面に命中するなんて、微塵も考えてみなかったことである。
「え。さ、沙羅ちゃん……っすか? なにかの間違いじゃ」
「沙羅ちゃんの肘鉄が紫苑の顔面にヒットしたんだよ」
「ひ、肘鉄っすか……怖っ」
こちらを一度見てから後ずさるナギ。こんな風に接されるなんて、ある意味新鮮だ。
だが、「肘鉄する人」みたいなイメージがついてしまわないかどうか、少々不安だったりはする。
五年以上も前のたった一度のことで「瓶で殴る人」扱いされているのだ。今変なイメージがつけば、三十手前ぐらいまでそのイメージでいくことになってしまう。
それだけは勘弁してほしい。
「ただ必死で何も考えてなくて……、完全に紛れですよ」
結局私は苦笑いでごまかすしかなかった。過剰に期待されても困るので、紛れだということは強調しておく。
「ナギ! いつまで喋っているの!」
突如、リビングからエリナが現れた。その手には黒く光る鞭が握られている。一体どこで手に入れたのか……不思議で仕方ない。
敗北したと思われる茜は、首に、エリナが持つ黒光りした鞭を巻き付けられている。
茜の生命は既にエリナの手中にある。もしエリナの機嫌を損ねれば、茜は鞭に首を絞められることとなるだろう。
「後片付けを私一人にさせるつもり?」
「いやいや! 俺もやるっすよ!」
「ならいつまでも喋っていないで。思考は行動で表しなさ——くっ!」
ナギに対して上から目線で話していたエリナだったが、突如顔をしかめる。私は暫し何が起こったのか分からなかった。
しばらくしてから私はようやく気がつく。茜がエリナの右足首を踏みつけていたのだ。赤く濡れた足首を強く踏まれ、エリナもさすがに辛そうである。
「捕まえたくらいで調子に乗ってるんじゃないよぉ」
茜は首に鞭を絡められていても、いつもと変わらないゆとりのある甘ったるい声を発する。片側の口角が僅かに持ち上がっていた。
彼女はそれからも、エリナの傷ついた右足首を、踏みつけたり蹴ったりと痛めつける。
「やってくれるじゃない……!」
エリナは鞭を持つ手の力を強めた。
ミシミシと軋むような音が鳴る。しかし茜は、エリナの右足首を攻撃し続ける。
もはや我慢対決だ。
「せ、せめて足首くらい……確実に潰してやるもんねぇ……」
茜は茜で苦しそうだ。
細い首に鞭が食い込み、満足に呼吸できていないのだろう。まだ声を発せているのが不思議なぐらいである。
だが彼女は信じられないほどの精神力で、エリナの右足首に攻撃を浴びせる。
「すぐに黙らせます」
茜に止めの一撃を入れようと二人へ歩み寄るのは武田。しかしエリナは、「必要ないわ」と、彼の助力をきっぱり断った。
「ですが」
武田は困惑した顔でエリナを見る。
「必要ないと言ったはずよ」
「なぜですか」
「なぜって……『仲間に助けを求めた』なんて言われたら癪じゃない」
他者の力を借りると、茜に負けたみたいで嫌。
エリナは多分こういうことを考えているのだろう。いかにも気の強い彼女らしい考え方だ。私などにはまったくない発想である。
彼女は自力で茜をくたばらせたいのだろう。
「武田は救急にだけ電話しておいてちょうだい」
「はい。分かりました」
エリナの付け加えが微妙に恐ろしい。
しかし命じられた武田はほんの僅かも動揺していなかった。携帯電話を取り出し、慣れた手つきで操作を始める。
「おばさん……なんかに……」
茜は朦朧としてきていた。気力だけで意識を保っているというような状態だ。
「どうやらこちらの方が我慢強いみたいね。せっかくだから、最後に一つ教えてあげるわ」
エリナは冷ややかな声で告げる。
「私はまだ、三十代よ。……おばさんと呼ぶには早いわ」
エリナが腹を立てているのは、最後までそこだったようだ。おばさんと呼ばれるのがよほど嫌らしい。
糸が切れたマリオネットのようにパタンと倒れた茜を、エリナは武田へ渡す。これで茜も紫苑も二人とも身動きの取れない状態になった。
「救急は何分くらいかかるのかしら?」
「電話して六分程度と思われます」
「そう。なら問題はなさそうね」
足首には血がこびりつき、腕や体には小さな傷がいくつかできている。一般人なら慌てるレベルの負傷だ。
しかし、エリナはいつになく涼しい顔をしている。
そこには、エリミナーレのリーダーと呼ぶに相応しい風格が、確かに存在した。